気持ち
「気持ち」というのは何だろうと何時も思う。
その気持ちという世界は余りにも広すぎて、どこからどこまでなのかさっぱり分からない。
先日のレスリング少年は、「気持ちで負けていた」といった場合、相手は「絶対に勝ってやろう」という気持ちが、少年よりも強かったということになる。
少年は3回も負けている。
だから「こんどこそ」という気持ちが湧くのではないかと、机上の空論として成り立つ。
しかし、人というのは、そんな杓子定規ではいかない。
とにかく、一つの気持ちを維持し続けるというのは、至難の業だ。
1分、2分は持つかもしれないが、それ以上になると無理だ。
だから、その時の気持ちよりも確かな何かを持つ方が良い。
例えば、レスリング少年の例で言うと、試合の時に、あるいは、練習の時にだけ気持ちを作るのではなく、日常を「こんどこそ」に集中することだろう。
つまり、特別な気持ちをその時に持つのではないということだ。
少年に勝った少年は優勝をした。
本当に気持ちが強かったのだ。
きっと、毎日が優勝してやる、という生活だろうと思う。
ということは、それ以上の気持ちの強さを持たなければいけないということになる。
しかし、物事はそれほど単純ではない。
そこに技術と、技術を使える「気持ちの余裕」がいる。
先ほどの確かなものとは、技術のことだ。
しかし、その技術を使えるのも「気持ちの余裕」が必要だ。
と「気持ち」だらけで混乱してくる。
だから、ある意味で時間が答えを出してくれるのを待つのが良い。
つまり、自分はどんな毎日を送るのか、が答えだということだ。
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https://www.hino-budo.com/2012-KYOTOWS.htm