選手も生もの

本部も先日稽古が始まった。
本部は本部で色々な効果が見えるので面白い。
武道から考えていった関係の中での身体の操り方、意識の使い方など、他のジャンルでの応用効果を報告して貰えるからだ。
「踏ん張るな」とか「具体的な指示を出すな」というような事や、そのジャンルにある常識的なトレーニング方法をことごとく壊す。
色々なジャンルの話を聞くと、なるほどトレーニング論が無いことに驚く。
ただ常識的とされることを、まるで宗教のように盲信している節があるのだ。
やっかいなのは、それでも身体能力の高い人は結果を出すからだ。
身体能力の高い人は、どんなトレーニングをやっても結果を出せる。
しかし、普通の人というのも変だが、それほど身体能力の高くない人は、逆にどんなトレーニングをやっても、さほど結果を出せないのだ。
しかし、それは方法が悪いという側面があるのだ。
昨年暮れ、ある種目の合宿で、実力差がかなりあり、勝てるはずの無いチームに勝ったという。
初日はこてんぱに負けた。
それが実力通りだ。
だが二日目に取り返したそうだ。
一般的に勝負は実力差、特にチームプレーとなれば、実力差通りにしかならない。
それが二日目には取り返したそうだ。
相手チームは完全にパニックになっていたそうだ。
それは監督が指示の出し方を変えたからだ。
ここのところは一寸バラすことは出来ないが、言葉一つで選手、特に高校生くらいの年齢はコロッと変わる。
この場合、相手チームは理論的に徹底的に練習を積んでいるチームだ。
勝ったチームの監督は、理論的なチームに対しては、有効だと言う。
当たり前だ。
当たり前の事、つまり、そのジャンルでの常識的なことしか考え方の中にないからだ。
選手も試合も生ものだと分かっていないのだ。
身体と言うのは不思議だ。
もちろん、それは身体ではなく「人」なのだが。

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