文科省が武道を導入

今年度から文科省が武道を学校に導入する。
このことを考えていた時、ふと不思議に思ったのが、何かと日本にいちゃもんをつける中国や韓国から、この武道を学校に導入に関して、日本を非難するコメントが出ていないことだ。
「武道を学校に導入する=軍国主義に逆戻り」といちゃもんをつけていない。
それはどうしてだ?
ということは、日本においては武道というものが、完全に習いごとやスポーツの一つであり、何ら本質が無いと見ているということになる。
武道も舐められたものだ。
もちろん、周知のように武道は戦後 GHQ により禁止されてしまった。
それは、日本人の持つ精神性の特殊性を排除する為だ。
武道を禁止すれば日本人は骨抜きになり、世界にとって日本は脅威では無くなると結論づけられたからだ。
それがそのまま今日まで生きているという認識であり、もはや「武道」は商標的価値しかないのだ。……。
その中身の無い武道を学校教育として導入する。
一体誰が何を指導するというのだろうか。
誰が「武道」を指導できるというのだろう。
ニュースでは、剣道や柔道そして相撲を実際として行うという。
であれば、武道と言わずに剣道、柔道・相撲と呼べば良い。
現在の剣道や柔道は、どれほどの言葉を尽くしても、事実としてはスポーツ競技である。
だからこそ、柔道はオリンピック競技の一つとして存在するし、剣道も世界で競技として存在する。
むろん、スポーツ競技が悪いだのレベルが低いだのという話ではない。
スポーツと武道は全く違うという話だ。
武道と呼ぶからには、少なくとも GHQ が禁止したものでなければいけない。
しかし、ここで勘違いてもらっては困る。
武道=軍国主義ではないし、武道=意味の無い精神主義でもない事を。
武道の本質には二重性がある。
その一つは、自分以外の価値のあるものを、 自分の生命を投げ出して守ること 。
例えば、家族であり、地域であり、国のことだ(外国でいえば軍人のことだ)。
その一つは、 生命ということを直視(死生観)すること である。
この二点が暗黙の内に備わっている精神が、日本には脈々と流れており、それが日本を取り巻く当時の環境や間違った指導者の為に歪められた結果、軍国主義と呼ばれる結果になっただけなのだ。
一昨年、滋賀県のある小学校で、 6 年生3組全員に武道のワークショップを、月 2 回 2 カ月に渡って行った。
続きは
https://www.hino-budo.com/
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