全部忘れている時、物凄い音が出ている

「自分が今何をしているのか、これから何をするのか、そしてどうなるのか。等ということを全部忘れている時、物凄い音が出ている」
2003年のキース・ジャレットの言葉だ。
ライブというものの本質を語った言葉だ。
1970年ワイタ島で、マイルス・ディビスのグループは60万人の観客の前で行った。
その時のマイルスの演奏を振り返ってのコメントだ。
この言葉は、全てのライブ、本番に当てはまる。
それが出来ないから、面白くも何ともない舞台しか無いのだ。
もちろん、武道もこれだ。
論理的な、のま逆だ。
どうして人はこの方向にいかず、本番でも自分の思っている事や考えている事に縛られてしまうのか。
このキースの言葉は、当然ダンスにも当てはまる。
物凄い音が出ている、というのは、物凄く美しい姿が現れているに代わるのに。
それは、それに気付けるほど、音楽やダンス、自分の取り組むものに対して情熱が足りないし、無いのかもしれない。
大方は「私は○○が好き」というレベルに安住し、そのレベルをスタートとして探求していかないからだ。
この言葉が、インタビューの最後に出て来たので驚いた。
この状態にならなければ、自分が音楽そのものにはならないし、ダンスそのものにもならない。
版画の睦稔さんも、画家の寺門さんも、その最中はこの状態だ。
昨日見た寺門君の水彩画。
その絵に思わず目が止まった。
それは一体何だ?どうして?
陳腐な言葉ではなく、何か適した言葉が有る筈だ。
それを探そうと昨日から思っていた。
全く違う角度だが、マイルスは、「俺の音を一寸でも聴いた奴は逃がさない。別の世界に絶対にいざなう」という。
しかし、これとは違う。
これは深層にはあるかもしれないが、意識としてはこれではない。
物事を深く考えるのは面白い。
浅いと、違うジャンルとの共通点を見出す事が出来ないが、深いと共通点がいくらでも見つかるからだ。
その事によって、自分自身に乗り越えるべき壁を作り出すことが出来るからだ。
乗り越えるべき壁はあるのではない。
自分が気付く事で目の前に突然現れるのだ。
それを作り出すのは本当に楽しい。
乗り越える度に自分自身の何かが変わっていくからだ。
そんなヒントをワークショップで見付けて欲しい。
9月の東京ワークショップは基本からみっちりいきます。
http://www.real-contact.jeez.jp/index.htm

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