目を皿のように

木曜日の本部の稽古は、台風の為開店休業状態になった。
そんな中、高校の空手部の先生が雨の中来てくれた。
武道雑談に興じて時を過ごしたが、一寸だけでも稽古をしようとなり、結局深夜1時30分頃まで汗をかいた。
雑談時、面白い共同見解が出た。
例えば、ある高校がやたらと試合で強い。その監督は空手を知らない。
もちろん、空手の歴史も強さも知らないし興味も無い。
しかし、試合では勝つ。
その理由は、その監督にとっては試合をやっているのが、空手だという固定観念が無く、「そういうルールの競技」という認識しかない。
だから、競技に勝つには、ということばかり考え、生徒達に練習をさせる。
だから勝つのだと。
意外とその道の専門家ではなく、素人の方が発想が豊なのではないか、という見解だ。
素人の目というのは、意外と本質を見ている。
専門家は、自分がそのことに固執しているから、あるいは、拘るものが有るが故に、本質を見失ってしまっていることもある、ということでもある。
以前シルビー・ギエムを観にいった時、周りはバレエをしている子供たちや、その親で一杯だった。
話している事は、「足がよくあそこまで上がるね・軸がブレない」等々だ。
誰もバレエを観ていないし、楽しんでいないのだ。
人というのは、そんなものだ。
自分の拘っているところでしか見ていないのだ。
しかも目で。
目は単なる水晶玉だ。
網膜に映り込んでいる像を、自分の拘ったところで取捨選択しているだけだ。
だから、見る、というのは、実は最も難しい作業なのかもしれない。
画家の寺門君が、「目を皿のようにして」という話を今日してくれた。
北斎の絵は、当初遠近法を無視して描きたい事をデフォルメしている、と信じて疑わなかった。
それは、遠近法の教育を先に受けていたから、その目で見ていたからだと気付いたという。
寺門君自身が滝や波が好きで、よく出かけたそうだ。
しかし、いくら滝や波を観ていても、それを描く事が出来ない。
というのは、滝にしても波にしても、一度として静止することが無いからだ。
そこで先ほどの「目を皿のように」何万回も滝や波を観ていると、何と北斎が描いたように見えるようになったそうだ。
つまり、北斎はデフォルメしていたのではなく、非常にリアルな絵を描いていたと分かったそうだ。
「見る」これも相当深い世界だ。
9月の東京ワークショップは基本からみっちりいきます。
http://www.real-contact.jeez.jp/index.htm

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