行き着く先

武道は身体をお互いに動かす事で成立する。
しかし、この「身体を動かす事」ということが曲者だ。
先日も、物理というのは、どこからどこまでを指しているのか、ということで話しが盛り上がった。
というのは、常々話している事に、「相手を感じる」ということがあるが、それをした場合としなかった場合とでは、明らかに結果が異なる。
だから、この「感じる」という言葉でしか表わせないものの正体は何なのかを、明確にする必要があり、明確になれば、その事も物理の一つの材料として上げることが出来る、というものだ。
その意味において、心技体とは良く言ったものだと感心する。
もちろん、それらは全て表裏一体のもので、どちらかが抜きんでるという事は無いが。
武道は身体が入口になるが、身体の事に意識が集中されている時は、相手に対しての効果は薄い。
その場でのことに集中すれば、効果は高くなる。
そんなことを実際に体験していくのが稽古だ。
しかし、そのことを知っていなければ、単に「ああそんなものか」で終わり、次の稽古の時は忘れてしまっている。
つまり、自分の行きつく先の概念であるとか、イメージなりを持っていなければ、一つの稽古は一つの稽古で終わってしまうということだ。
9月の東京ワークショップは基本からみっちりいきます。
https://www.hino-budo.com/2011Tokyo-WS.htm

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