武道の醍醐味

武道としての醍醐味というのは、相手と意識感応出来るところにある。
そのことで、身体は自動運動を誘発する。
もちろん、その自動運動を起こす身体は、一から作り上げなければならない。
それが稽古でもある。
つまり、武道という稽古は、自動運動を誘発する身体作りと、意識感応してしまう意識を作り上げることだ。
もちろん、自動運動というのは、単純に捉えてはいけない。
こちらに有利、相手に不利という運動、そして、相手と決して衝突しないという運動。
という二つの条件を備えた動きだ。
そしてその大前提になるのが、相手の動きに応じて動いてしまう、というところだ。
と、書いていると、なるほど言葉というのは便利なものだと思う。
たった、数行で核心を表現出来るのだから。
しかし、これを実際に行うとなれば、一生かかっても無理かもしれないのだ。
この言葉と実際の落差が、私にとっては常に問題になっている。
ここを突破出来る人、突破出来なくてもその道を歩ける人。
そんな人は現代にいるのだろうか、と思うからだ。
武道という言葉は、巷に氾濫しているが、それはそれぞれの人のイメージの武道だ。
もちろん、それが間違っているというのはない。
武道という言葉は、日本人にとってそれほど身近なものだということだからだ。
しかし、どう見ても、ただのおっさんやろ、という人が武道を名乗り指導しているのを見ていると、習っている人が気の毒に思える。
しかし、習っている人の欲求やレベルに応じて先生がいる、と考えると合点がいく。
中国ではないが、騙される奴が悪いのだ。
そうか、当人は騙されていると思っていないから、それで良いのか。
毎年恒例のRealcontact東京ワークショップ2011が、9月15日から19日までと決まりました。
https://www.hino-budo.com/2011Tokyo-WS.htm

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