武道になるのか

「武道は体操や運動だと捉えたら出来ないですよ」
外国で教えるようになってから、特に強調している事だ。
先日もブリュッセルでは、口が酸っぱくなるほど何度も口にした。
もちろん、日本でも同じ状況なのだが、比較的阿吽の呼吸で理解する人が多いので、たまにしか注意しない。
もちろん、現象としては身体を動かすことで成立することだから、西洋的運動だと捉えても不思議ではない。
また、運動として捉えたとしても、ある水準までには到達する。
その意味において、それでも良いのだ。
しかし、そこから先は無い。
つまり、上達の限界が運動と捉えた時点で存在する、ということで、それは武道としての醍醐味を味わえることはないということだ。
もちろん、これは無意識レベルでの話、自分で知らず知らずのうちにという話だ。
だからといって、武道が意味不明な精神論だというのではない。
武道は確かに身体を駆使して成立するものである。
では、体操や運動だと捉えなければ、そうならないのか。
と言えば、ことはそれほど簡単でも単純でもない。
思ったからと言ってもそうはならない。
思ったことがそのまま実現するのであれば、これほど楽なことはない。
思ったことと出来ることは、ある意味で全く違う。
角度を変えれば、いくら思をうが、身体そのものに発する脳からの神経系統の信号は、従来のまま、つまり、子供の頃から培ってきた、運動系の信号でしかない。
そこを運動ではない、と変換させなければ、この言葉を具現化できることはないのだ。
ここに武道を稽古する意味、稽古が武道になっていく意味があるのだ。
そこが面白いところだ。
毎年恒例のRealcontact東京ワークショップ2011が、9月15日から19日までと決まりました。
https://www.hino-budo.com/2011Tokyo-WS.htm

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