人は感情でしか動かない

吉祥寺公演や神戸公演のアンケートに、沢山の人がコメントを書いてくれた。
一言から数行まで。
全ての字には熱があった。
観てくれた人の気持ちが、その字を通して伝わってくる。
アンケートはアップしてあるが、その時に初めて目を通した。
公演は大成功だったのだな、とその時に改めて感じた。
これだけ沢山の人が、喜んでくれ、次回も絶対に見に来ます、と直接言ってくれた人や書いてくれた人もいる。
コンテンポラリーダンス、あるいは、コンタクトインプロビゼーションという、余り楽しそうではない世界に足を運んでもらって、これだけ喜んで貰えたら、それは大成功という以外に言葉はない。
しかも、助成金も取っていない自主公演であり、あらゆるダンスシーンとは関係していない。
その意味では、誰の力も借りていない、正に単独の公演だった。
だから、この成功は陽の目を見ることは無い。
雑誌にもメディアにも取り上げられることはない。
しかし、むろんそんなことは問題ではない。
新たなダンスの渦の中心になろうとしているのだから。

神戸公演の千秋楽の舞台が終わり、客席に今回も絵を描いてくれた寺門孝之さんを見つけた。
舞台から駆け降り寺門さんの傍に行き「どうじゃ!」と笑いかけた。
寺門さんは「参りました」と、大きく笑ってくれた。
そんな個々の関係が、より密になったということで満足だ。
だから私にすれば、メディアやダンスシーンが注目しなくても、大成功だった。
そして、コメントに表れていた書いてくれた人の気持ちが、大成功を物語ってくれていたからだ。
しかし、根本的な問題が浮き彫りになった神戸公演でもあった。
「素直に」ということの重要性だ。
打ち上げの時に、ダンサー達にコメントを求めた。
そこでは、何やら得たいの知れない言葉が沢山飛び出した。
つまり、ついさっきまで舞台に立ち、観客から大きな拍手を貰って感動した自分が無くて、その場を取り繕う言葉を「どう発したら良いか」と迷っている言葉しか出てこなかったということだ。
自分自身の素直な感情を表現するのではなく、何やら意味のありそうな、偉そうに聞こえそうな言葉。
自分とはかけ離れた言葉が沢山並んだのだ。
これにはアングリしたが、そういう回路が、つまり、意味のあることに価値がある、という教育が、素直な感情を表現できないという歪な、血肉の通わない言葉を生み出したのだ。
むろん、当人達にはそのことは分からない。
分からないから延々と話す。
中にはそのことに違和感を持った人もいるだろうが、大方は「ちゃんと話さなければ」ということで話していた。
それが神戸の舞台だったのだ。
「素直に」ということの難しさを改めて、改めて考えさせられた。
舞台に上がっていた人は、アンケートに書かれてあったコメントに感動しなかったのだろうか。
舞台で貰った拍手に感動しなかったのだろうか。
それは有り得ないだろう、と思いたい。
ただ、感情を素直に表現できなかっただけだと思いたい。
人は感情の動物だということを忘れないで欲しい。
感情だけが人を動かすのだということも。

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