2008 7 月 24 日
1 年ぶりに地中海で泳いだ。
1 年前ギリシャ、セリフォスの海よりも少し暖かい。
海岸には、多くのイタリアの人達が太陽を楽しんでいる。
日本の海水浴場のように、芋の子を洗う感じだ。
日差しは沖縄よりもきつい。
時差ボケの身体を元に戻そうと、太陽を浴びるだけ浴びた。
おかげで、太ももはピリピリする。
Internatinal dance meething の先生達と、海岸でそれこそミーティングだ。
しかし、日本人が一人もいないというのは気持ちが良い。
その代わり、初めて見る日本人に、子供達はあからさまな好奇心を示し、ジロジロと見る。
そうか、これは、私が子供の頃駐留していたアメリカ人を、興味津々で付回したの同じだ。
子供達にとって、俺はガイジンなのだ。
深夜 11 時空港に到着。
初めてのイタリアだ。
ホテルから送迎バスが……無い???
待つこと約 30 分。
痺れを切らした舞紀さんが主催者に電話。
後 15 分くらいで着くという。
ということは、我々が空港に到着してから、車を出したのか??
そうか、これがイタリアなのだ。
深夜の道路をフルスピードで 40 分。
山の上にあるホテルに着いた。
主催者のバシリオさんが出迎えてくれた。
部屋に荷物を置き、皆が食事をしているレストランへ。
深夜 12 時を回って食事?
宴会ではなく食事だそうだ。
何でも、ワークショップの後のショーケースのリハーサルに手間取ったらしい。
部屋はコンドミニアムタイプだ。
だから、バスタオルとか必要なものを持参しなければならない。
しかし、部屋には殆どのものが揃っていた。
それは私の部屋だけらしい。
ここイタリアでも、私は特別待遇を受けているようだ。
英語からイタリア語に通訳する青年ダビデと対面。
ダビデ?ふざけた名前だ。
この青年が思いもかけず武道オタクだった。
「五輪の書」の話、脇差の話、歴史の話、えらい盛り上がった。
ワークショップの先生達が、代わる代わる挨拶に来る。
みんな私のレッスンに興味津々のようだ。
「サインを下さい」など、どう広まっているのか知らないが、みんなは私をよく知っているようだ。
一泳ぎして部屋へ。
夜 9 時からその直前までワークショップを受けていた人達のショーケースが始まる。
クラシックバレエやジャズの生徒達が習ったことを披露する。
そこで、スカラシップや優秀な人達を、先生全員で選び表彰。
横に座っているウエスが 「アキラも来週は、あの舞台に上がるんだよ」と。
私は、詳しいことは分らないが、たった 1 週間足らずのワークショップで、ショーケースをするというのなら、最初からショーケースようのワークをしなければならない。
これは難問題だ。
しかし、それにしてもこのショーケースは???
7 月 25 日 今日はマーツが到着する。
何時なのかは聞いていないが、ローマから列車で移動してくる予定になっている。
ナポリから 4 時間。
列車で夕方到着。
列車が遅れたそうだ。
再会を喜び合い、早速トレーニングの話に華が咲く。
明日から、ワークショップが始まる。
ワークの予定が変更になり、私のクラスは、朝 9 時から???ほんまかいな頼むで。
この辺りのマフィアは相当せこいらしい。
もちろん、泊まっているホテルはマフィアのものだ。
そのマフィアが主催者に嫌がらせをする。
このワークショップが金になるとふんだからだ。
何だかんだといちゃもんをつけ、値段を引き上げたり小金を取ろうとする。
ワークショップ自身も、内部でゴタゴタだそうだ。
その余波を受けての時間の変更だ。
ウエスに、 「私はここで WS をするのは初めてなのに、ショーケースの為のワークショップなら駄目だ。私のワークを教えるのが本意だから、ショーケースに向けてはやらない」と話した。
ウエスもその意見に賛成で、自分もはどんなワークをしたかの発表だけにする、と言う。
舞紀さんは、ウエスの助手でもある。
だから、その辺りの話も私にちゃんと伝わる。
7 月 26 日 朝 8 時、クラス分けのオーディションがあった。
これもおかしな話だ。
このワークショップに参加するには、自分のビデオやキャリアを前もって書いている筈なのに。
そうとう内部は混乱しているようだ。
まあ、イタリアだから仕方がないのかも、と思ってしまえるくらい、全てがイタリアだ。
中級者クラス??? どこがやねん。
こんなもん初心者以下やないか。
私の話しに、みんなキョトンとしている。
これは先が思いやられるし、ショーケースもへちまもない。
もちろん、日本の初心者よりも質は悪い。
どうすれば、時間を消化できるか。
本当に最初の 1 時間が長かった。
次の上級者クラスは、そのクラスに分けられているだけましだ。
まだ話しは通じる。
とにかく胸骨からの連動だ。
ねじれだ。
しかし、時間が 2 時間しかないので、さっと過ぎてしまう。
マーツがもっと長く稽古したいと嘆く。
そろそろマリコさんが着く時間だ。
舞紀さんが電話を。
アクシデント発生! マリコさんのスーツケースが行くえ不明だと空港から電話が入った。
どこからどこまでも、イタリアだ。
明日も朝 9 時。
ウエスたちと食事をした後、先に寝ることにした。
7 月 27 日 朝 9 時、スタジオにマリコさんが現れた。
スーツケースはあったそうだが、どこか一部が破損しており、そのレポートを空港で書くのを手間取ったそうだ。
クラスで、改めて通訳をしてくれるマリコさんを紹介。
しかし、昨日はどうなることやらと思っていた、中級者クラスも少し締まってきた。
胸骨トレーニングから始まって、手の平を腰で感じその動きに誘導される、というところまで進んだ。
もちろん、それは単に「そのような」だけだが、 impro ということの入り口には、誰にでも分りやすいものだ。
上級者クラスでは、背骨を感じて連動させる。
そこからの遊び。
やはり、このクラスは食いつきが良い。
「感じる」ということが何を意味するのか、を少しほんの少し理解する入り口が見えたのかもしれない。
マーツが一人の女性を誘導し終わった時、その女性はいきなり泣き出した。
マーツが 「良く分るよ、私もそうだったから」と。
初めて人とコネクトされたことを実感した瞬間が、スタジオをフリーズさせた。
上級者クラスは、屋外のスタジオだ。
確かに、青い空乾いた空気は、心地よい。
しかし、その分意識を散漫にさせる。
その意味で、レッスンは難しいと昨日は感じていた。
しかし、受講者の集中力が増すに連れ、それらは消し飛んだ。
全ての音を消してしまう空気の密度が、部屋を作り出していた。
ウエスを始め、他のクラスの先生達が受講しているので、それも密度を高める原因になっているのだ。
明日は、主催者の一人ミッシェルも参加するという。
レッスンが終わり、マーツと連れ立って街に買出しに出た。
野菜や果物が瑞々しく美味しい。
トマトなど、昔子供の頃食べた味がしている。
トロペアの市街は、細い路地が入り組み、まるで映画の 1 シーンのようだ。
窓と窓で話をしているおばちゃん。
狭い路地でもお構いなしに走る車。
夜 11 時から、受講生達との質問会のような会合が持たれた。
受講生達は、ある意味ハッキリとした意思を持っている。
という点では、日本人よりも良いが、幼いという点では殆ど一緒だ。
やはり、世界中が幼稚化しているのだ。
マーツが 「未熟なまま成長しているから仕方がない」 と客観的なことをいっている。
とはいっても、マーツもまだ若く幼い点がある。
しかし、芯の強さやしたたかさは、受講者にも日本人にも見受けられない。
もしかしたら資質なのか。
自分の立場を、子供の頃からオーディションで勝ち取って来ている強さは、何かで養えるかと言えばそれは無い。
無理だ。
マーツとは、コーヒーショップでもレストランでも、直ぐにミニワークショップになる。
それが、私にとっても心地よい。
9 月から世界ツアーが待っているという。
その契約を終えたらフリーになるので、絶対に日本に来るといっている。
7 月 28 日 今日から正面向かいを無理やりする。
無理やりと言うのは、絶対にこいつらには理解できないから、無理やりするのだ。
人種が違うから何も出来ないのではない。
その証拠にアメリカ人でも通じる人はいるし、イタリア人でも目を輝かせる人もいる。
やはり、そこに大きく立ちはだかる壁はレベルだ。
こればかりは、いかんともし難い。
7 月 30 日 明日でワークショップも終わり。
何だかこの地は疲れる。
暇さえあれば寝てしまう。
火山が目の前にあり、それも活火山だから 20 分おきに噴火しているという。
もちろん、向かいと言っても船で渡らなければならないし、相当離れているが。
初心者クラスは、殆ど質問タイムになってしまった。
介護とか、障害者に対しての身体の接し方に集中した。
上級者クラスでは、後ろから肩掴みで誰がどれだけ動けるのかを観察してみた。
もちろん、それはショーケースの為だ。
どうでもいいが、どれもこれもジャズダンスだから、全く違うものを観せて、観客を煙にまいてしまおうと思っている。
私のワークのクラスは、ショーケースの前に時間をとってプレゼンテーションということで、行うことになった。
日本の武道家とはどんなものかを、きちんと皆に見せたいらしい。
まあ、それはそれでありがたいことだが。
さあ、誰を選んでショーケースとするか、また、プレゼンなら何を話すればよいかを考えておかなければならない。
明日は、特別に午後 4 時から 8 時になった。
その間、別のクラスは舞台でリハーサルを行っているそうだ。
日本からカレールーを持参して来た。
カレーを作り、みんなで一瞬日本。
マーツもカレーは大好物。
「美味しい!」
マーツが 「日野、部屋代が無料になった。やったね」 と親指を立てウインク! さすがツワモノ。
絶対に主張しなければ駄目、マーツが舞紀さんにアドバイス。
舞紀も主催者に。
やった!二人とも部屋代は無料!! 外国と日本とは違う。
本当に違う。
日本人の美徳は、外国では駄目な奴になってしまう。
しかし、これは絶対ではない。
あるレベル以上の人達には、日本人の美徳は美徳として映っており、そのことが信頼関係に繋がるのだから。
つまり、相手を見なければ駄目だということだ。
7 月 31 日 今日でワークショップも終了だ。
中級者クラスのガキは、 「これもショーケースでするのか」 という質問ばかりする。
とにかく「これで良いのか」ばかりだ。
「これで良い分けないだろう、たった今まで知らなかったことを、今生まれて初めて習って出来るわけ無いだろう。出来るのは運が良ければ 20 年後くらいだ」 と怒鳴ってもその意味が分らない。
本当に分らないのだ。
どうして??? 物事を深く探求するという習慣が全くないからだ。
仕方がない。 本当に仕方が無い。 民族の違いとはそういうものなのだ。
ということを思い知った。
しかし、中級者クラスも上級者クラスも、私のクラスでは何一つ出来ないが、他のジャズのクラスでは、驚くほど動く。
皆プロポーションも素晴らしく良い。
これでは、このジャンルで日本人など殆どが太刀打ち出来ない。
また、振り付けを覚えるのもすこぶる早い。
では、どうして私のクラスの動きが出来ないのか。
それの答えは簡単だ。
カウントがないからだ。
カウント無しで動くことが出来ないからなのだ。
日本のリズムは、本当に特殊なのだ。
「違う!」のだ。
今日は、フランスから参加しているゆかりさんも連れ立って、海岸で一泳ぎだ。
夕方 4 時のシャトルバスに乗り、 7 時のバスで帰る。
しかし、みんなが同じことを考えているので、バスは満員だ。
ここでも面白いことを発見した。
バスから降りる人がいる。
しかし、乗る人はそんなことを考えてはいない。
入り口に団子状態になり、我先にと乗り込む。
それがイタリア南部なのだ。
私がバスに入ると、後ろが空いている。
「後ろへ詰めんかボケ!」 日本語で怒鳴るが、我関せずだ。
イタリアだ。
夜はレストランへ。
ここでトラブった。
勘定になって、私がみんなの負担合計 90 ユーロを持ち精算へ。
おつりはある。
が、レジで貰ったおつりでは、足らない。
席に戻り、皆にいくら出したか確認。
やはり、レジで誤魔化しやがったな。
しかも 10 ユーロ。
さてどうするか。
もう一度レジへ。
すると、人相の余り良くない若者が二人、席を立ち私の後ろへ。
そうか、こいつらマフィアだった。
まあ、そんなことはどうでも良い。
私はレジのおばはんと、その若者を一睨みしてから、ニコッと笑って 「何だか分らない」 という仕草をした。
ウエイトレスが慌ててマリコさんを呼びに。
マリコさんが来て通訳。
しかし、イタリア語しか分らないフリをするおばはん。
そこへマーツ。
日本語、英語、フランス語、イタリア語が入り混じってグチャグチャ。
レジのおばはんに、今私が渡したお金の勘定間違いだろう、ということで決着。
結局 10 ユーロは取り戻した。
そうか、こちらがお金を渡す時、きちんといくら払っている、というのを確認しなければ駄目なんだ。
日本との違いの一つだ。
8 月 1 日 今日は夜 10 時からショーケースだ。
私のクラスは、夕方 4 時から 8 時までレッスンの時間がある。
これは、主催者の配慮だ。
ジャズなどのクラスは、舞台で 1 時間ほどのリハーサルしか出来ない。
つまり、その日はワークがないのと同じなのだ。
4 時からの中級者クラスは、デモンストレーション用の組技を順番にやらせ、それでお茶を濁してやろうと考えた。
ねじれと、そこからの変化。
3 パターンを、順番にやらせたらそれなりの時間を使う。
何しろ、学芸会のように、子供が舞台に立つ姿を見せて、父兄を喜ばせなければならないのだ。
生まれて初めての体験だが、こんな体験は二度としたくない。
上級者クラスには、日本でやっているショーケースの、正面向かい合いとコンタクトもどきにしよう。
しかし、学芸会にもならないとはどういうこと?
たった三つのパターンを順にする、という段取りが出来ない?
何でやねん!! 何とか、時間内で覚えさせ、上級者クラス。
ここでも、グチャグチャになりながら、 5 分前くらいに完成。
ほんまに舞台が出来るんか?
段取りを覚えられないのだから、どうにもならない。
ということは、飲み込みの早い日本人ダンサーが、ダンスの実力は別としてヨーロッパで活躍できる理由の一つがここにある、ということが分った。
午後 8 時、急いで食事。
レストランで待つこと 20 分。
いくら声をかけても、雑談に華を咲かせ仕事をしない。
午後 10 時からショーケースと言っているが、きっと 30 分は過ぎるだろう。
イタリアだから。
食事が終わりかけた頃、突然停電だ。
しかし、しかし、従業員は誰一人として慌てない。
というよりも、停電に対処しない。
????? 分らない。
15 分もたった頃、やっと小さなローソクを 1 本持って来た。
しかし、停電のおかげで、素晴らしくきれいな夜空、驚くほど沢山の星を見ることが出来た。
舞台袖にスタンバイ。
アナウンスがあり、私が紹介された。
武道の話と司会者を相手に一つデモを観せる。
デモをすることなど、聞いていないので道着も木刀も、武道と関係のあるようなものは、何一つ用意していかなかった。
急遽、モップの棒で木刀代わり。
しかも、少し曲がったモップの柄で。
妻と演武を三本。
そして中級者クラスは、無事に終えた。
続いて上級者クラス。
観客にも何かさせてやろうと思い「ナマムギ…」を怒鳴らせることにした。
何度か練習し、本番。
しかし、ここでは照明が無茶苦茶に。
2 パターンしか指示を出していないのに、全く出来ない。
アアアアアー! 司会者がインカムで指示。
「ノーーーー!」 「アホか、まだ動いたらあかんやろ!」 「なんでやねん!!」 「勝手にせえ」 「ナマムギ…」
ダビデがマイク越しに怒鳴る。
声やスピードが落ちてきた。
突如マリコさんが 「ナマムギ…」。
ダビデとマリコさんの「ナマムギ…」が会場に響き渡る。
暗転。
舞台は終わった。
チャンチャン。
全部のステージが終わり、講師たちが改めて舞台へ。
ウエスが 「色々不手際があって、ごめんなさい」 と何度も謝ってくれる。
「大丈夫、関係ないから心配するな」 とステージ上で雑談。
何となくショーケースが終わりパーティ!
マーツは、朝 6 時 30 分の列車でローマに立つ。
朝が早いから、パーティには出ずに寝た方が良い。
来年、日本での再会を約束して別れ。
パーティには早く出すぎた。
日本人はほんまにあかん。
時間を守りすぎる。
会場の外で立ち話をしていると、生徒達やスタッフがボチボチと集まって来た。
「ミラノにある芸術の学校の、振り付け科には教えに来ないのか」 アルゼンチンの生徒が聞く。
一寸待てよ、俺を何だと思っているのだろうか? よく聞くと振り付け家だと思っていたようだ。
ダビデが、現れた。
本当に彼には世話になった。
通訳もさることながら、私の受けをとってもらったり、武道の話をしてもらったり。
「ありがとう、本当にお世話になりました」 「いいえ、私は会えて本当に良かったです。今度はローマでもワークショップやってくれませんか。私がオーガナイズしますから」
終わってみて、ワークショップをやったという実感が湧かない。
貧乏性だからか。
酔っ払ったついでに、ダビデに強烈に速いダブルの突きを見せてやった。
彼等は、実感しなければ分らないからだ。
ダビデは「……」 朝方まで酔っ払った。
8 月 2 日 午前 8 時に空港行きのバスが出るという。
10 分前に停留場に。
そこに来たのは、韓国の大学教授とその生徒達だ。
お別れの挨拶と名刺交換。
その教授は私の理論に大変興味があるという。
だから、機会があれば日本に習いに来たいと言っていた。
8 時発のバスは、 9 時になっても来ない。
あかんで、飛行機に間に合わない。
そうこうしていると、バスとは程遠い、ただのバンが 1 台。
「なんでやねん」
その時間になると、今日ローマに発ちそこから乗り継いで帰国する人達が沢山いた。
乗れるわけないやろ。
私は、さっさと自分達の荷物を積み込み、少しの隙間があったので、韓国の人達に乗せるように指示を出し車内に収まった。
最後までイタリアらしさを味わえた。
出国手続きを終えた時、ローリング・ストーンズやティナ・ターナ、マライヤ・キャリーなど来日の折、そのステージを演出した女性が 「日野はニューヨークに来たことがあるか」 「いいえ」 アホかアメリカは嫌いじゃ、と出かけていたのを飲み込んだ。
「じゃあ、今度、このメンバー全部を招待するから、ニューヨークのスタジオでワークショップをしないか」 と誘ってくれた。
まあ、誘われるのならそれはそれでいいか、と皆でニンマリ。
さあ、成田に着いたら東京教室だ。
ワインでも飲んで寝よう。