会話で人を理解する
日常的に誰かと会話をする。
見知った人との会話は、その人を知っているので、会話で使う言葉の幅や世界、深度は理解しているので、話を弾ませやすい。
見知らぬ人との会話、一寸知っている程度の人との会話は難しい。
その「難しい」のが面白いのだが。
どうして難しいのかと言うと、私の場合の会話は、会話の中身、例えば、今話題になっている松本人志の事だとすると、その中身の問題ではなく、その人がどう扱っているのか?どんな世界観を持っているのかを読み取る、あるいは推察する、それを会話だとしているからだ。
つまり、話の中身は、人を知る為の、理解する為の材料の一つに過ぎないという考え方だ。
だから、その意味では会話の材料は何でも良いという事になる。
「この人は、そう考える人なのか」という一つのヒントから、その人の全容を推察していく、それが私の言う「面白い」になるのだ。
その「面白い」が、「こいつは面白くない」
つまり、底の浅さを見破る武器でもある。
そんな事を言うと、「それを教えて欲しい」という人が現れる。
それは自分で見つけ出すもの、自分が探し出すものであって、他人の手を借りられるものではないのだ。
もちろん、「言葉」という手を借り「知識」にする事は出来るが、自分のものにする事は出来ない。
「知識」だから何も分からないからだ。
ワークショップの「関係塾」では、こういった話からスタートする事もあります。
大阪ワークショップは2月2,3,4日です。