NDTの公演を観た。
現在フォーサイス・カンパニーに在籍する、シリルやマーツ、ヤニスなどの古巣だ。
それもあって、どんな踊りをしているカンパニーか知りたかったからでもある。
また世界の有名なカンパニーの実力や傾向を知りたかったからでもある。
一晩寝て、これを書こうとしてふと振り返った時、何一つ印象的なものはなかったことに気付いた。
私にとっては退屈だったからだ。
むろん、いわゆるダンステクニックということで言えば、間違いなく素晴らしかったのだが。
しかし、使われている“音”にはうんざりした。
「まだこれか(70年代の使い方・電子音が多い)」という選曲だったからだ。
ダンス・テクニックの品評会を観にいっているのではなく、ダンスを、そしてダンスを自己の表現の媒体として使っている人に興味があったから、そして、その素晴らしいダンス・テクニックをもってしか表現出来ない何かを体験したかったからだ。
で、一体何を観れば良いのか、を考えなければならないという内容だったということだ。
そこには、ダンステクニックを懸命に見せている姿しかなかった。
これが世界の一流なのか…?
振付家は、ダンステクニックをダンサーに要求すれば良い、そしてそれを見せれば良いと思っているだけなのか?
それがNDTの表現なのか?
ラベルのボレロを背景に作品は始まった。
天井から落ちるスポットの下で男性のソロがあった。
恐ろしく手足の短い、背丈のバランスの悪いダンサーだと思った。
そんな筈は無いと、何度も何度も目を凝らしてそのダンスに、その男性に集中した。
しかし、やはり手足は短く、動きは窮屈極まりないものだった。
およそダンスとは呼べない代物だ。
少し年齢の高いそのダンサーは、汗をびっしょりかいていた。
バランスの悪い身体でもソロパートがあることに驚いたし、あるいはアマチュアが混じっているのか、とも推測せざるを得なかった。
ソロパートは、かなりスピードのある振り付けなのだが、単に無茶苦茶に暴れまわっているようにしか見えなかったことが、余計にアマチュアなのでは?と思わせたのだ。
しかし、彼だけではなく、全てのダンサーは一様にこじんまりとして動きが窮屈で硬かったし、手足の短さが気になった。
何よりも“誰に何を見せているのか、見せようとしているのか”、という意識がまるでなかったのは致命的だった。
ステージという、観客とは隔離された世界で勝手に暴れまわっている、としか言いようが無い。
私の言う「押入れダンス」だ。
つまり、自分だけが満足したいのであれば、押入れの中で一人でやっていろ!それでお金をとるな!というダンスだ。
こと、この部分だけのことで言えば、エンターティメントというか商業ダンスというか、観客をきちんと意識して作り上げられたもの、また、そこに属するダンサー達の方がはるかに良い。
レベルの良し悪しは別として、観せる為に、という事を知っているから、そして、そのことでギャラが発生していることを自覚しているからだ。
20年ほど前、モーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団を観たが、その当時の振り付けというか、動きというべきか、一つの形と言おうか、それが年月の中、何一つ変わっていない事にも驚いた。
変わっているのかもしれないが、本質的には同じだ。
というよりも、それは振り付けではなく、クラシックバレエそのもののように一つの型なのか、ダンス用語なのかも、とも想像したのだが。
であれば、恐ろしく下手だ。
つまり、型や用語であるなら、レッスンしなれており、十分に使いこなせる筈だからだ。
もちろん、変わっているから素晴らしいというのではない。
変わる必然がないのに変わる必要など全く無いのだから。
変わる必然、あるいは、作家の必然から形態が、あるいは形式が変わる、あるいは進化する。
それらは、ダンスであれ演劇であれ音楽であれ、作家の精神の成長の葛藤が導き出すものだから、必然が無いのに変わる必要も無い。
変わっているだけのものが良いのなら、それらは巷に掃いて捨てるほどある。
気分でしか動けない、目先の変化しか見えないダンサー達の、あるいは役者達の、あるいはミュージシャンの、演出家の、振り付け家のものだ。
むろん、それ等をNDTと同列で扱うのは間違っているし、NDTに失礼というものだ。
ここで言いたいのは、振付家が何を表したいのかが明確ではなかった、というだけのものだ。
むろん、振付家としては色々な意図があったり、思想があったりするのかもしれない。
がしかし、実際の舞台にはそれらが見えないし、解説を読まなければ中身を分からないものであれば、舞台表現の意味などない。
そこに現れたものが無条件で観客に語りかけてくれなければ困る。
ここでは、ダンサーからは振り付け以外のものは、何一つ見えてこなかったのだ。
ただ、段取りを追いかけ、段取りをこなしているに過ぎない。
群舞があり(呼び方は少々古いが)デュオがあり、ソロがあるのだが、何一つダンサー同士の有機的なつながりは見出せなかった。
だから段取りを追いかけ、こなしている、と見えるのだ。
この作品はどこに向かっているのか、ダンサー達個々はどこに向かっているのか、振り付け家はどこに向かおうとしているのか、それらが全く無い。
Aとは違うB、という作品。
という程度の中身しか見当たらなかった。
具体的には、音楽や振り付けの組み合わせが変わっているだけ、という違いだ。
作品が終わる度にカーテンコールがあった。
そこで再び驚いた。
本当に驚いた。
なんとスポット下でソロを踊っていた男性の身体は普通だったのだ。
手足が極端に短いわけでもなく、背丈も他のダンサーたちと同じくらいだったことだ(当たり前のことだが)。
また、硬く窮屈な身体の他のダンサー達も、伸び伸びとし素晴らしい表情、素晴らしい肉体を持っていたことだ。
私は、カーテンコールに出てきた人達に、その場の姿に「今」拍手を送った。
何かから解放された喜びに満ちた姿に拍手を送った。
しかし、それは逆ではないのか。
自らを生き生きと際立たせる、そしてそれを観客に見せることを喜びとしているのが、舞台人であり、ダンサーなのではなかったのか。
少なくともシルビー・ギエムは、ダンスをしている時、非日常的精神が反映された動きをし、そのことに集中した姿は、“表現をしている”という言葉に値する。
伸び伸びとしなやかで、さらに高度な意識の運動が明確に見え、それが動きを有機的なものに見えるように仕向けている。
まるで、日本舞踊の名人クラスの踊りを見ているようだった。
単純化して言えば、ギエムは非日常空間を確かに演出してくれていた。
そのことが舞台空間を支配する者の持つ使命だ。
そして、カーテンコールのギエムは、日常の魅力的な女性を見せてくれた。
つまり、ギエムはプロの舞台人としての姿を持っていたということだ。
NDTの作品に、あるいはダンスには何一つ拍手を送るところなど無かった。
ダンステクニックは素晴らしいのだが。
作品を踊るダンサー達は、鎖に縛り付けられた身体であり、監獄の中の身体でしかなかった。
振り付けとそれをこなす自らの幼い自意識の奴隷以外の何者でもなかった。
行き場を失っている身体にしか見えなかった。
しかし、観客は何度も何度も拍手を送っていた。
観客は、自分の目で自分の感性でここで行われたダンスを体験したのだろうか。
そのことに疑問を持つしかなかった。
きっと、写真に切り取られたような、ダンスポーズを美しいと感じたのだろう。
そしてそれを表現だと思っているのだろう。
自分の感性に触れる何かで見ているのではなく、解説文から幻想を、あるいは思い込みを見、それを表現だと思っているのだろう。
もちろん、それは観客の自由であって強制されるものではない。
しかし、自らの力で見る、という能力を放棄しているようにしか感じなかった。
このレベルの観客を相手にする、ということだけを考えればNDTで十分だ。
と、観客の質を考えれば、日本の伝統芸能の文楽や歌舞伎、舞踊や舞のファンの方が見る目を持っているといわざるを得ない。
芸の質的差を見極める力を持っている。
つまり、舞台で表現されている姿からその「人」の芸の深さを洞察する力を持っているということだ。
むろんそれは無意識的にであり、その無意識的にというところが日本人の特殊な感性なのだ。
もちろん、芸の深さとはその人の精神そのもののことである。
という感性を前提に持つので、逆に言えば、日本における舞台とは、そこを追求するものであって、目先を変えて様々な作品を見世物にすることだけを目的にしているのではない。
もっと言えば、だからこそ小手先だけの芸を嫌うのだ。
したがって、舞台側の“人間が育つ”し、舞台人はその洞察力を持つ観客と勝負が出来る。
つまり、舞台の怖さを身体で味わえるのだ。
身包みはがされるのが舞台だと知っているのだ。
身包みはがされた、という自覚が育ち、その自覚を見直したとき、そこから精神が育つのだ。
ここを触れずにすり抜けているのが、西洋のダンスである。
しかし、観客の質は、例えば初代井上八千代が生きていた頃と比べれば低下はしているが。
というように、先人と比較する、比較できる手本が歴史の中に常にあり、そこを目指して訓練しているのが、日本の伝統芸の世界である。
当然、年齢を重ねるほどに芸に深みが出て当たり前だ。
クラシックバレエのように、飛べなくなったら舞台を降りなければならない、という世界ではないのだ。
と並べれば、日本の伝統芸能と、西洋のしかも現代のダンスと比較する方がおかしい、と反論もあるだろうし、比べられるものではないとも言えるだろう。
しかし、それは現象としての形だけを見た場合はその通りだが、“舞台”そして“人”ということで言えば、比べられなければ舞台を観る意味などない。
また、その違いすらも見えてくるはずもない。
しかし、伝統というものを勘違いしないで欲しい。
受け継がれてきた形式を保存するのを伝統と呼ぶのではない。
受け継がれてきた思想や感性、精神を基にして、先人を超えていくことこそ、伝統というものを存在させる意味だ。
そして、それを歴史の上に生きている、ということの証なのだ。
振り付けのイリ・キリアンは有名な人だそうだが、一体ダンサーに何を要求し作品を作っているのか、非常に興味が沸いた。
同時に、どうして有名なのかも知りたくなった。
世界が、あるいはヨーロッパが、もしもこれらの作品やダンサーたちを良しとするなら、その感性を疑わずにはいられない。
その幼い頭を疑わずにはいられない。
この窮屈な身体、ロボットのような動きを良しとしているのだから。
開演ギリギリで飛び込んだので、パンフレットを何も見ていない。
どの作品がキリアンで、どれが違うのか、それとも全部がキリアンなのか、前知識なしに見た。
結果、どれも皆同じに見えたので、全部キリアンなのだろうと思っていた。
しかし、それは違っていた。
しかし、同じに見えてしまったのだから仕方が無い。
何がどう違うのか?
それが何が違うのかといえば、音楽や振り付けの組み合わせが変わっているだけ、という違いだ。
プロのダンサーという事を考えたとき、区分けの難しさを感じる。
単純には、ダンスを見せることで生計を立てている人のことをプロのダンサーだという。
とすれば、そうではないダンサー達は、それを目指してレッスンに励む。
その人たちは、劇団四季であったり、その他のカンパニーに入ることを夢見る。
もしくは、自分のオリジナルな舞台を作ろうと励む。
それは、外国とて同じだ。
大きなカンパニーに入ることで生計はたつ。
だから、そこを狙ってレッスンを重ねる。
オーディションに合格するためにレッスンを重ねる。
と考えたとき、この場合のダンスは文字通り仕事だ。
解散前のフランクフルト・バレエ団はフランクフルト市の職員と同等だった。
つまり、公務員だ。
この場合、他のカンパニーと比べて、最高クラスの待遇だったそうだ。
当然、そこに所属したいと誰もが思う。
生計が立つカンパニーに属するということは、当然のこととしてそこの作品や、振付家の要求するテクニックが必要である。
逆に言えば、それさえ満たせば良いとも言える。
これらが正しいのか、間違っているのか、良いのか悪いのかという話ではない。
こういった状況を客観的に眺めたとき、会社員が何かしらの資格を持っていなければ、そして実践能力が無ければ仕事にありつけない、という図式と重なるということだ。
大きなカンパニーであればあるほど、団員の数は多い。
その団員たちが皆生計を立てられるように、とすれば、そこにある必然は、観客に分かりやすいもの、あるいは観客に支持されるもの、という内容になる。
あるいは、そのカンパニーを支えるスポンサーの意向にそったものでなければならない。
そして、会社員ほどではないが、年間相当数のステージ数をこなさなければならない。
でなければ、月給は捻出出来ない、という因果関係がある。
という大前提は、芸術を徹底的に追求するという、本来の目的を遠ざける。
何故なら、年間相当数のステージをこなす。
ということは、リハーサルが必然として多い。
であれば、個人のレベルを上げる為のレッスンや、自己反省に立って自己を考え直すという時間等無いに等しい。
それは、自己反省や自己を考え直すという作業を、退化させるという危険性をはらんでいる。
それは、一生懸命に仕事をしてきた人が定年退職し、燃え尽き症候群に陥るのと同じなのだ。
与えられた仕事を消化するだけに時間を費やしてしまって、自分自身の精神を成長させることは何一つ行っていないのだから、いざ会社を辞めると途方にくれるのだ。
それと同じだ。
定年退職した人が、好きな山登りをして老後を過ごす、とか旅をして、といい年をして恥ずかしげもなく語っているのはその典型だ。
当然、個人はその集団という中に埋没してしまう。
“○○集団の中のA”という如くだ。
これはマスの持つ宿命だ。
この辺りのせめぎ合いが難しいのだが。
私がジャズドラマーだった時、やはり、音楽で生計を立てたいと思っていた。
単に生計ということで言えば、バンドマンであれば充分に食べていけた。
キャバレーやナイトクラブで演奏していれば、半月に一度給料が貰えた。
その給料を引き上げるには、技術を磨き有名なバンドのオーディションに合格することで良かった。
極端に言えば、単に演奏技術を向上させれば良いだけだ。
ジャズを好きになり、ドラマーになろうと決心した時、そこには憧れのジャズドラマーがいた。
エルビン・ジョーンズであり、トニー・ウイリアム、ジャック・デ・ジョネットだ。
オスカー・ピーターソンと一緒に演奏している夢も見た。
ジョン・コルトレーンの「マイ・フェバリット・シングス」に熱中した。
「マイルス・トーン」に圧倒された。
月刊スイング・ジャーナルに掲載されている、ドラムを叩く彼らの白黒写真が宝だった。
その写真から、彼らの頭の中を、ジャズのフィーリングを、そしてスティック捌きを想像した。
彼らのようなドラミングをしたいと心から思った。
しかし、現実はキャバレーのバンドで、一日4ステージの内3,4ステージは歌謡曲やムード音楽を演奏していた。
しかし、それに甘んじていたのには、二重の意味があった。
彼らのドラミングにたどり着くには、余りにも遠い距離に自分があることを知っていたからだ。
頭の中では、彼らと同じドラミングをしているが、実際の自分は果てしなくひどい演奏だった。
だから一つは、ドラム技術が未熟だったから練習場になる、一つは、ドラムが未熟でも給料を貰えた、つまり、生計を立てられたということだ。
生計を立てられるから練習が出来るのだ。
友人は、ビッグバンドジャズをやりたいと、フルバンドに入った。
カウント・ベイシー楽団、デューク・エリントン楽団のような演奏をしたいと思い、フル・バンドに入った。
しかし同じように、殆どの仕事は歌謡曲の歌手の伴奏だったし、ダンスの伴奏だった。
私は、歌謡曲の伴奏をしたくてジャズドラマーになったのではない。
憧れのドラマーたちのようなドラミングをしたかったのだ。
だから妥協はしたくなかった。
結果時間と共に、その憧れのドラマー達を通してジャズを知り、そこから音楽を知り、音楽のルーツを考えるようになり、その音楽の持つルールの厳しさと自由さを知った。
それらをベースにして「音楽性」という言葉を実感できるようになった。
それは感性という言葉と出会わせた。
その感性を音楽そのものだと感じた。
つまり、音として出現する以前に、身体内にくすぶる得たいの知れない働きをする“何か”が音楽であり感性だと感じたのだ。
だから、当然のこととしてそこを追求していかざるを得なくなった。
そのくすぶりこそ「私」の証だからだ。
くすぶっているのは、他の誰でもなく私自身、私そのものだからだ。
それを追求しなくて何を追及するのだ。
それは、私自身が日本人であるということを、好むと好まざるとに関わらず意識しなければならない結果をもたらした。
アフリカ・アメリカンの血は私には流れていないことを知ったからだ。
そして、そのことがジャズのルーツであることを知ったからだ。
そこを突っ込んだ時、それは既成のジャズの形式では収まり切れないもの、既成の形式では表現し切れないものを目指していると気付いた。
しかし、そういった既成の形式に当てはまらない音楽を扱ったジャンルがあった。
それがフリー・ジャズの世界だ。
結果、コマーシャル・ジャズとは、対極になった。
つまり、大衆性がなくなってしまったのだ。
ジャズ喫茶に出演しギャラを稼ぐ、あるいは、キャバレーで演奏しギャラを貰うというジャンルからはみ出してしまったのだ。
しかし、はみ出したからといってギャラを稼がないわけにはいかない。
バイトを考えた時期も合ったが、正面から自分の音楽で稼ぎたかった。
つまり、自分の独自の音で世界と勝負をしたかったのだ。
だから、既成のジャズ喫茶での演奏を試み、そこで稼げるようになった。
友人はフルバンドに職を得、歌謡曲の伴奏が主な仕事で、たまにビッグバンド・ジャズを演奏する、彼、友人はプロのミュージシャンだ。
そのバンドから給料を貰っている、プロのミュージシャンだ。
私は、私の音楽を追及し、ジャズ喫茶やコンサートで演奏していた。
客の入り具合によってギャラが違うが、ダイレクトに観客からお金を貰っている、私もプロのミュージシャンだった。
「プロ」という言葉でも中身は違うという話だ。
どちらがどうではなく、歩いている道が違うという話だ。
そして音楽家か音楽屋なのかの違いだ。
それこそ職業選択の自由で、どちらを選んでも間違っていない。
ただ、プロといっても中身が違うという話しだ。
と考えた時、私のNDTに関する見方が間違っていることに気付いた。
NDTの場合、与えられた振り付けを、寸分の違いなく行える人でなければならない。
そして、それ以上も以下もいらないということだ。
NDTは、ここでいうフルバンド側のプロのダンサーだ。
もちろん、そのことは決して簡単だということではない。
しかし、この場合のダンサーはマシーン扱いだといっても間違いではないだろう。
振付家のマシーンだ。
作品の為のマシーンだ。
しかもその作品は使い捨てのものだ。
それは時代と共に古く感じられるようになる様なものだからだ。
もちろん、作った当事者はそうは考えていないだろう。
例えば、1960年代に作られた自動車でも、古さを感じさせないものもあれば、古く感じるものもある。
2004年に作られた自動車でも同じだ。
では、何が違うのか?目先の機能や形式だけを重視して作られたものは、時代が追い越してしまうのだ。
時代の目が追い越してしまうのだ。
しかし、自動車とは?というように、そこを徹底的に追求して作られたもの、つまり、そのものの、その人の物作りの本質に深く迫って作られたものは、時代を超えて常に新しい。
それと同じだ。
円山応挙の絵は今でも前衛だし、近松門左衛門の戯曲は新しい。
集団にとっての一過性の作品であれば、その作品に個人はいらない。
もちろん、その時々に応じて優れた個人はいるし、そのことがその集団を有名にさせ仕事量を増えさせるのに一役買う。
集団の中の個人は、それ以上でも以下でもない。
私は、NDTのダンサーに、個人としてのダンサー、芸術を追及するダンサーを求めて見ていた。
だから、様々な疑問が沸いて来たのだ。
しかし、大きな集団、そして振付家の道具であるのならそれで良い。
そうであるなら、このステージの悪さは振付家の問題だ。
振付家の価値観や美意識がこのステージを生み出しているのだからだ。
行き場の無い身体、その動き、鎖で縛られた様ながんじがらめで窮屈な身体、動き。
それを良しとしているのが振付家なのだから仕方が無い。
しかし、それが“現代そのもの”なのかもしれないが。
子供の頃、身体を全部使って遊んだ。
その身体は限りなく自由で、部屋中を走り回り、外を動き回った。
音楽が鳴っていると、自動的に身体が弾んだ。
嬉しくなると、身体は弾んだ。
思い通りにならないと、泣き叫び地団太を踏んだ。
怖くなると身体は硬直し縮んだ。
その身体は、前頭葉の束縛を受けず、自意識の束縛も受けず、ただ身体として、ただ感情として伸び伸びと動き回った。
それが原初的身体だ。
それが身体のはずだ。
つまり、内的外的に関わらず、全ての情報をダイレクトに動きに直結しているのが身体なのだ。
そこに人類の原初の姿が重なる。
したがって、それがダンスの歌の音楽の絵画の彫刻の、つまり芸術的衝動の起源でもあるのだ。
いわば 、解放された身体だ。
という視点から現代のダンスを見た時、ある傑出した個人を除き(例えば、シルビー・ギエム)、全てのダンサーは、窮屈極まりない動きを見せるのは、身体そのものの働きを歪めているとしかいいようがない。
仮にもダンスであるなら、それはどんな形式を用いていようが、子供の頃の伸びやかな動き以上のものでなければならない。
そして、それを進化洗練させたものでなければ、ダンスとして存在する意味など皆無だ。
では、何故歪な身体、歪な動きになるのか。
それは、身体は感性に従い自動的に動く、という身体の持つ働きを欠落させ、形式のみを優先させて来たからだ。
つまり、前頭葉の奴隷になるべく形式のみを発展させ、それ以前の感性と直結した身体を置き去りにしてきたということだ。
しかし、それはある意味でなるべくしてなったと言える。
何しろ「始めに言葉ありき」信仰に価値を見出してしまったからだ。
もちろん、形式はいらない、と言っているのではない。
形式は中身があって、それを現す為に必要不可欠のものであり、それらは表裏一体のものだ。
形式の為の形式など必要ないし、空虚なものだといっているのだ。
その末路は、変わった形式、変わった動きのみに焦点が絞られるようになっていくことだ。
また逆に、体操や雑技団の如く軽業的動きへとも進んでいく。
クラシック・バレエは、古典なのでそういった意味での方向性はないが、結果的にその形式だけに美を追求しているので、既に置き去りにした結果成立しているものだ。
動きそのものが目的となる、体操や雑技団。
動きを媒介として精神や感性を表現するダンス。
それらは似て非なるものだ。
しかし、ダンスは既に、人の自意識や感性、精神の成長を、つまり、人間的成長を欠落させてしまっているのだ。
幕末の剣士白井亨が
「世に星の数ほど剣客はいるが、一様に齢40を過ぎると衰えていく。 もし剣の道が若い間、体力の旺盛のうちだけのものなら、それはあたかも鶏の蹴合のようなものとちっとも変わりません。 こんなことに二十年も精力を傾けたとは、何と愚かなことをしたものだろう、ああわれ錯てり、と気付いたのです。……。 それがちょうどわたくしの二十八歳のころのことです」と記している。
この言葉は現代の取り組み方のほとんどのことに適応するのではないだろうか。