世界が狭い
特に若い人を見ていて「世界が狭い」という言い方をする。
そうとしか言えないからだ。
逆に、私は何をどう見てその言葉になっているのか?だ。
確かにその動作というか、所作というか、対象のものに触れている「手」は窮屈だ。
と見えているのだ。
そんなところから「狭い」と言っているのか?
ふと、ここに気づいた。
それは、自分自身で「枠を決めているから」だと閃いた。
しかし、では枠を決めなければ良いのか、になるとそうでは無い。
囲い込みという状態がある。
現在は、大方がこれだ。
SNS然り、セミナー然り、カードの類、学校、ダンススタジオ、武道。
とにかく、ありとあらゆるジャンルがこの形態をとっている。
その理由の一つは、例えば客の絶対的な数が不足しているからだろう。
客の取り合いのようなものだ。
一つは、特別な価値だと表現しやすいからだ。
これこそ、世界が狭いという典型だ。
しかし、ここには経済が関わっているので仕方が無い。
その意味では、良し悪しの問題では無いのだ。
続きは後で。
今から沖縄へ。