予定調和はあかんで

予定調和という、私にとっては吐き気がするほど胸糞悪い言葉がある。
ダンスの即興、芝居の即興等に見かける。
もちろん、武道にもある。

稽古で、相手が何をどうしたのかも分かりもしないのに、例えば、倒れたり、転んだりと、まるで技にかかったようにする人だ。
そして相手を褒めたり、アドバイスをする。
そんなことを以前書いた。

この典型がフランス人だろう。
個人を尊重する、という考え方が、悪い意味で浸透しているからだと思う。
少々のことでは文句を言わない。
それは自分自身も自分勝手だから、他人の自分勝手に対して寛容なのだ。
だから、稽古は稽古にはならない。
それこそ、全員が初めてやったことでも「一見出来ている」になるからだ。
そういった癖も、10年もすればどんどん無くなって来ている。

「稽古にならない」という事が理解されてきたのだろう。
その光景を初めて見たときは、本当に驚いたものだ。
この人たちは天才の集団だと。
稽古という約束を明確に表しているのは私くらいだろう。

大分前に、「約束稽古ばかりしている意味が分からない」という書き込みがどこかにあったと、誰かが見つけて私に教えてくれたのだ。
厳密な約束稽古でないと、技術は出来上がらない。
そんな基本中の基本を知らない人もいる事に驚いたものだ。
予定調和は、この厳密な稽古を壊すものだ。

前はよく注意をしていたが、面倒になりこの頃は言わない。
その代り、私のやることを体験して貰っている。
しかし、それには驚いても、その事が自分の延長線上に有るのか無いのかを考えるセンスは無い。
何でやろ?

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