人にしか出来ないこと
「先の先(せんのせん)」という言葉に出会ったのは、約35年ほど前になるか。
もちろん、武道の多くの極意書の中にある言葉だ。
宮本武蔵は「相手が打とうとする、う、の時に抑える」という意味の事を記している。
面白い事に、これを子供達に教えると、上は小学6年生くらいまでは、2.3回の稽古で出来るようになる。
少し前、今年小学1年生になる孫に妻が試しているのを見た。
やはり数回で出来ていた。
もちろん、こういった子供達が出来ることと、大人が出来ることの意味は違う。
子供達は、逆に出来て当たり前なのだ。
大人は、色々な知識や雑念が入り混じっているので、この反応はすこぶる難しい。
ましてや、相手が木刀を上段に構え、そこで行うとなれば想像力も働き、身動き取れなくなる。
その大人だから、意味があるのだ。
子供は無邪気に反応する。
しかし、全く意味が無いのではない。
そういった事を体感させておくと、身の危険を反応によって避ける事が出来る可能性があるのだ。
これも私のいう「考えるな」ということの1つだ。
「反応や反射」が、動物としての本能であり、特に防衛本能の1つだからだ。
それを妨げるのが判断だからだ。
これを私は「意志に対する反応」だとしている。
その意味では、意志のない人には反応できないのだ。
だから現代の病んだ人からの突発的な攻撃には対処できない。
その場合は、常に「違和感」を感じ取る訓練が必要になる。
もっと面白いことがある。
この極意のような反応を確実にやるのが、AIを搭載したロボットなのだ。
介助ロボットの一つが、これを実現しており、介助や回復の手助けをしているのだ。
ロボットが介助をする、とした時、ロボットが人を動かすのだろう、と大方の人が思うだろうが、実はそうではなく人の意志に反応してロボットが働くのだ。
だから、患者さんにとっては非常に気持が良いのだ。
歩きたいと思ったら、歩けるように介助してくれるからだ。
この進化は、携帯電話が現在のモバイルになった進化のように、猛スピードで進化する筈だ。
だから、このレベルでの医療従事者は不必要になるのだ。
という時代の変化を、多くの人は理解しているのだろうか。
今こそ、人間にしか出来ないことを求められているということを。