突然は無い
どんなことでも、それに気付かなければ、それを知らなければ「突然に」である。
突然、昔の友人から電話がかかる。
突然、雨が降る。
突然、車が飛び出してくる。
突然、ぎっくり腰になる。
その人にとっては突然だ。
しかし、雨が降る、で分かるように、突然なんて事はない。
そうなる必然がそこにあるから、雨が降っただけのものだ。
つまり、「自分」が主体である限り、突然はあるが、全体から見れば必然だということだ。
そこの切り替えが難しい。
道場をやり始めた頃、私自身も研究の過渡期だった。
だから、稽古をしていること、例えば、「突き」をやる。今日はこうだ、といっていても、明くる日は、違うこうだ、になる。
また、突然、「蹴りの時の突きは」と言い出す。
弟子たちは、始終目を白黒させていた。
毎日「突然違うことを言い出す」からだ。
しかし、私の身体の中では、全部繋がっているから、突然でも思い付きでもないのだ。
そうなると、天気を予測するように、人を予測する必要があるということが分かる。
空の雲行きを見ることでの予測だ。
雲行きが全体だからだ。
ワーク・ショップでは、こういった話と共に、ワークが進行する。
私の体験から考え出していったことから、ワーク・ショップを考え出しているからだ。
その意味では、マニュアルを知りたい人には向いていない。
でも、ワークの時間をライブだと捉える人には面白い時間になる。
どんどん変化し、思いもかけぬ方向に行ったり、脱線したり、というワーク・ショップだからだ。
是非、大阪・東京のワーク・ショップに足を運んで下さい。
知らない間に作っている、自分の垣根を外してみましょう。
そうすると、知らない間に「出来る」ようになっていますから。
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