(無題)
朝は時差ボケもあるから、午前4時あたりで一度目が覚める。
それらかもう一度寝ようとして、眠れる時もあるがそのまま起きていることもある。
7時前にアパートを出て地元の人が憩うカフェへ。
という日課だ。
日の出が日毎遅くなり、空が秋に変わっていく様子がよくわかる。
肌に伝わってくる風も、秋らしく爽やかな風になっている。
もちろん、日中は30度を超える暑さだが、湿気が無いので影は長袖がいる感じだ。
今日は土曜日、稽古もそれぞれの国に帰る人がおり、受講者の数が少なくなっている。
多分、今日は土曜日だから、帰国する人も多いだろう。
スペインでのワークショップだが、スペインの人が一人もいないのが面白い。
昨日からクリスチャンが参加している。
彼が入ると、なぜか稽古は暴れる稽古になるから面白い。
多分、私が反応しているのだろう。
稽古を終え食事での会話で、クリスチャンに「何年、日野武道を習っている?」と聞くと9年だという。
それまでの36年間は空手を徹底的にやっていた。
そういえば、初対面の時ガンガン突きを突っ込んで来ていたのを思い出した。
身体能力が高いし自力も強いので、いくら大きな体格でも彼に負けてしまっていた。
それは大臣等を護衛したり、テロ対策をするのが仕事だから当たり前のことなのだが。
だから先日のバルセロナのテロの後、フランスでのテロ対策が大変だったそうだ。
9年という時間が経っているのか。
何時も書いているように、時間は残酷にその人の時間の在り様を見せる。
違う言い方をすると、私の武道に真摯に向き合ってくれていた人と、そうでない人の差が歴然とあるのを見せてくれるのだ。
クリスチャンは、最初の7年間は、私の全体イメージを目を閉じて、頭の中に描き出せるようにしていったという。
とにかく9年間という時間は、彼とディビットを育てたのは確かだ。
他の人は「自分なりのやり方」を最初から全うしている。
当然、自分なりにはできるが、私の言うようには出来ない。
それは新しいテーマを提示した時に、振出しに戻っていることで分かる。
ディビットら二人は、要素を的確に選び出し、「これの応用」だと理解し取り組む。
ここに差が生まれているのだが、自分なりの人には、残念ながらそれは分からない。
どこまで行っても、一つの動きに対して一つの認識しかない、点のままにしか捉えられない からだ。
つまり、対症療法のままなのだ。
それはそれで良いのだろう と思う。
それがその人の人生だからだ。
きっと時間というのは、住み分けに必要なものなのだろう。
もちろん、これは考え方だから、どんな場合にもこれを適応させることができる。
点と点、一つの現れと一つの現れ、それらを線で結ぶことで「それらはどういうことか?」を考える事が出来るからだ。
逆にこれが出来ないと、物事を深く認識していくことは出来ない。