「武禅一の行」の2泊3日は、きっとあなたの人生で初めて、
他人と長時間視線を合わせます。
気持ちを届かせ、喜怒哀楽を驚くほど噴出させますよ!
そんな非日常的な修行をします

「武禅」に来て本当に良かったです。とても感動しました。日野先生をはじめ、真剣に取り組む参加者の人達は「出来ない人」を小馬鹿にして決して笑わないということが分かりました。私が暮らす日常の人々は、人の失敗をバカにして嫌味に笑う人ばかりです。でもここに来ている人は誰一人、人を小馬鹿にして笑いません。出来ない人をのけものにしません。出来ないことに取り組んで失敗しても絶対に。憧れの姿がここにありました。私は真剣に生きる人達の中で生きたいです!

受講者全員があなたと向かい合う人であり、あなたに対して思った事や気持ちを率直に伝えてくれます。
もちろん、あなたも同じように「何だか遠いです」とか、「私に話して下さい」と忖度なしに伝えなければいけません。
それが「稽古」であり「修行」だからです。

つまり、受講者はそれぞれがそれぞれのサポーターなのです。

人が成長したり、自分の事を知るには「他人」が必要なのです。

みんなのサポートがなければ私は人と関わることの楽しさの感覚も気がつかないまま、薄っぺらい表面だけの人生を幽霊みたいに生きていったと思います。
みんなが私の声を受け取ってくれようとしているのを感じると、本当にうれしかった!
うれしくてしょうがなかったです。人とつながるというのはこういうことかと身をもって体験しました。

(参加者の声より)

「人の前に真正面からに立つ」講座1

日常では、真正面から向かい合う事は殆どありません。
それは、お互いの意思や気持ちを、お互いに向き合わせていないという事です。
つまり、既に無意識的に「お互いに関わりたくない」という意志表示をしている事なのです。
ですから、その状態で「分かり合える」は有りません。
まず、人と向き合っていない自分を知る事から「武禅」は始まります。
向き合う手段として、片側の人が木刀を構えます。そうすると、不思議な事に目の前の人が良く見えるのです。
「私の前にはいませんよ」実は自分もそうなのです。

写真は一人の話を三人が聞く。三人の中で、誰かが「私には話していない」と感じたら×を出す

「声を届ける」講座3

「こんにちは」と相手に伝えることからはじめます。


相手の人は後ろ向きに座っており、そこに「おい」と声をかけます。
果たして、その「おい」は後ろ向きの人に届いたでしょうか?
まずは、自分の声は届いていない事を知り、きっと驚くでしょう。
人に届けるには、相当のエネルギーが必要なのです。

「おい」が「こんにちは」に変わり、そして「歌」に変わります。
この場合の「歌」は、雑談の代わりです。
その「こんにちはや歌」を受け取れたら、不思議なことに、つまり、こころが伝わったとき「からだが反応」するのです。
その反応は感動として、自分のこころがふるえます。
そこが、このカリキュラムの入り口です。
あなたとの会話で、誰もが感動するっていうのは素晴らしいことだと思いませんか。

※「声を届ける」では、会話の代わりに歌を唄いますので、「大きなのっぽの古時計」「翼を下さい」を覚えておいて下さい。また、同じようなスローなテンポの曲もあれば持って来て下さい。(童謡以外で)※会話なのですが、その都度言葉を考えなければならない分、時間もかかるし、嘘くさくもなるので歌にしています。もちろん、歌を上手に唄うという事が目的ではなく、会話が目的なので上手下手は関係ありません。

「一生懸命話をしても、どうしても分かってもらえない」

それは、相手のこころを開く姿勢が出来ていないからです。
ということは、説得力や信頼関係・恋愛関係他という人間関係が築き難いという事になります。
それは、あなたが、「会話」を誤解しているからです。

会話とは、「言葉の意味を理解することではない」と切り替えて下さい。
もちろん、言葉を理解することは大切なことなのですが、その前にもっと大切なことがあるのです。
自分の「こころが相手に向っているのかどうか」なのです。
そして、相手に伝えたい気持ちが溢れているかどうかなのです。
極論を言えば、「こころの叫び」を持っているかどうかです。

もし言葉が全てだとすると、どうして言葉を知らない赤ちゃんの気持ちを、お母さんやその時期を体験している人には分かるのでしょうか?
どうして、言葉を理解しあえない、例えば外国の方、言葉が不自由な方の気持ちを汲み取る事が出来るのでしょう?

こころが相手に向っていない言葉は「音」でしかありません。
ですから、やかましく聞えてしまうのです。(居酒屋での騒々しさや、カフェでのガチャガチャ感、街宣車のうるささがそれです)

こころの上に乗った“伝えたいこと”は、「言葉」として相手のこころに届きます。
すると、相手はあなたに対して強い印象を持ち「存在感のある人」だと捉えます。

話術が巧みであったとしても、相手が「存在感の無い人」だと捉えた時、「自分の意見を押し付けてくる人」だと感じた時、あなたの言葉は空に消え、あなたの事は印象に残りません。
逆に「嫌な人」という印象を植え付けてしまうのです。

つまり、「人と人のつながり」は色々な手法や手段、マニュアルが作り出すものでは無という事です。
あくまでも、双方の「こころの共鳴」が作り出すものなのです。

こころに「からだ」でふれる(握手だけで気持ちは伝わる)


誰であっても、人のこころに直接ふれる事は出来ません。
しかし、「声」のセクションのように、何かを介在させればこころにふれることが出きるのです。
その一つがここでは「からだ」です。

相手の両腕を後からふれます。
あるいは手を握ります。
その時、からだは相手のこころに対して「快」を感じたり「不快」を感じたりという反応をします。
と同時にふれている相手も同じように快や不快を感じます。
それが「こころ」の反応です。

その不快を快に変えるのがここでの目的の一つです。
あなたが握手をしたり、部下の肩をたたいたり、恋人の、子供の、友人のどこかにふれた時、相手が心地よく思えば、相手はあなたに自然にこころを開きます。

もう一つの重要な目的は、後の人があなたの両腕をさわって、あなたを動かします。
その時、相手の指示する通り動く、という作業です。
これは、「人の意見を聞き入れられる、豊かな自分を作る」事を目的としたものです。

よく考えてみましょう。
あなたは、あなたの言葉や意見を受け入れてくれる相手を好きになるでしょう。
そして、信頼するでしょう。

つまり、それの逆で、あなた自身が誰からも好かれ信頼してもらえる人になるのが目的なのです。
まず、イスに座って、後の人の指示に従うところからが入り口です。