関係と表現
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります
9月13日から17日に行う東京ワークショップ。早速沖縄からも申し込みがあった。
「表現者の為の」の枠だ。
東京や神戸では、結構厳しいワークをやって来ているが、その他の場所でのワークは、結構緩めでやっている。
それはどちらかというと、一般の人に「人と関わるとはどういうことか」を知って欲しい、ということが目的だからだ。
大阪や東京でのワークに合わせて、ヨーロッパやアメリカから参加するダンサーもいる。
私のワークに響いた人達だ。
確かに人同士が関係し合うと、全てが変化する、ということに自分自身が感動したからだ。
昨日の東京教室にも、マルセイユのダンスカンパニーで活躍するダンサーが来ていた。
丁度、雑誌の取材の下見もあったので、そのダンサーや役者に話を聞かせた。
どうして私のワークが、そういった表現者に響いたのか、その理由をインタビューしてもらったのだ。
取材記者が想像していた、武道が表現者の役に立つ、というのとは、全く違う次元の言葉に、さっぱり理解出来ないようだった。
そりゃそうだ、そんな短絡的な意味、例えば、武道的な動きが役に立つとか、を想像していたのだろうが、世界レベルのバリバリのダンサーにとって、「動き」ということだけを引き出せば、何のメリットも無いのだ。
響いたのは、関係性という明確な感覚でありその体感だ。
それを私のワークを通して知り、稽古を通して身に付けることが、舞台での表現に役に立つのであって、単純な意味での武道の技や動きではない。
もちろん、世界には、そういった日本の武道の仕草を振付に取り入れている作品もある。
しかし、そんな色物的一過性のものではなく、その本人の本質、つまり、人は関係し合う、人は他の人と影響関係にある、ということに響いているのだ。
それこそが、舞台上での共演者とのリアルな関係性、舞台と観客との関係を築けるものだからだ。
だから、武道が表現者の役に立つのではなく、私のワークが役に立っているのだ。
取材の記者には響かなかったようだが。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
http://workshop.digiweb.jp/