怒涛の「武禅一の行」は昨日終わった

ゴールデンウイークも終盤になった。
色々なゴールデンウイークの過ごし方があるが、「武禅一の行」もその一つだ。

4日昨日16:00、参加者全員が熊野道場を後にした。

 

「感情をむきだしにすることも久しく、ましてお互いが笑い合える関係は奇跡です」

ある男性・経営者のレポートの一節だ。

 

「関係」は学ぶものではなく、体現・体感し、そこから自分自身で思考を働かせるものである。

つまり、「お勉強」では届かない世界だということだ。

 

「ましてお互いが笑い合える」

それは、感情そのものがむき出しだからである。

思えば20歳代の頃、演劇や音楽の世界では喧嘩が日常茶飯事だった。
自説どうしの衝突だ。
それを幼いと見るか、情熱的と見るかで変わる。
もちろん、そのどちらも含まれているのだが、もう一つ大事な要素がある。
「ぶつかっても壊れない」という無意識的な察知能力が働いている点だ。
だから、ぶつかった後、お互いに笑い合え、その人を理解しあえるのだ。
そこから言えば、壊れそうな人、殻に閉じこもっている人とはその喧嘩は、絶対に起こらないのだ。

 

感情むき出しで笑い合えないのは、そこに自得欲求が働くからだ。
それが戦争の元だ。

だから、感情の噴出が悪いのではなく、むしろそこが「人」として純粋な感情は一番重要な要素なのだ。
それは、危機管理にも働くし、人間同士の裸の関係を作り出すからだ。

感情が嫌がられるのは「怒り」が殆どだ。
しかし、「怒り」とは、お互いを尊重している事の現れの一つだ。
動物でいえば「威嚇しあっている状態」だ。
つまり、殺し合いをしたくないから、その威嚇で勝敗を決めてしまおう、というのが「怒り」の根源なのだ。

それらは決して「お勉強」では体得、あるいは発現させらないのだ。何故なら、基本的に人に動物として備わっている能力だからだ。


「真剣に見つめ合った時、三日前と明らかに変わっている事が凄く分かった。相手の間に居られる、正直に、素直に。相手に雑念などはあまりなく、殻がなく目の前にいる事を感じている。」

19歳の青年の最終レポートだ。


「武禅一の行」は、自分自身の葛藤の三日間だ。
どれだけ葛藤したかが、この言葉に現れる。
葛藤は、そのものと真正面から対峙しなければ起こらない。
彼にとってこの三日間は、19年間を凌駕するものだったのだろう。

 

秋の「武禅一の行」は、10月8,9,10日を予定しております。



東京ワークショップは6月3.4.5日、大阪ワークショップは7月1.2.3日です。
沖縄は8月5.6.7日に決まりました。
詳しくは
https://www.hino-workshop.com/

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