関係、分かる人と分からない人

「関係性」のワークが出来ないのは、根本的に「私が」と「誰に」が明確ではないからだ。
明確が否かは目を見れば分かる。
「開いているだけの目」は、関係性を体感している人にとっては気持ちの悪い目だ。

しかし、体感出来ていない人にとって「開いているだけの目」か「関係が明確な目」かは判別出来ない。
つまり、自分にとって大事な人を見抜けないということだ。
もっともな言葉を振り回す人に、振り回され続けることになるということだ。

まして、武道ということになると、全ては関係性で成立している。
木刀の素振りも大事だろうが、本当はここが一番の勘所なのだ。
でなければ、永久に独り相撲になるだけだ。

ワークショップで、皆がワークに取り組んでいるのを見ていると、その「関係性」は、何時も書いているように幼児や保育所に通う子供の頃の遊びがカギを握っているように思う。
そこを素通りした人は、どこでここを訓練すれば良いのか。
いや、訓練出来るのか?とも考える。

まずは「意志を明確に」からだ。

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