コミュニケーション能力がないのに
普通に考えて、高学歴で中・高とやたらと勉強していた人は、本当の意味でのコミュケーション能力はない。
その意味で、医師も教師も例外ではない。
ここが不思議なところだ。
コミュニケーション能力が乏しい人が、絶対にその能力が必要な仕事をする。
そして、その能力が高度に必要だとは分かっていないこと。
そこが不思議なのだ。
私は教師ではないので、授業などした事はない。
しかし、講師として小学校や高校・大学などで単発の授業をしたり、セミナーを頼まれたこともある。
非常勤講師をしたこともある。
そんな時、そこの校長や教師、あるいは教授から不思議がられたものだ。
それは、子供達や生徒達が、難しい話にもかかわらず熱心に私の話に耳を傾けるからだ。
その理由を問われ、私は常に子供達の反応を観察し、その都度その都度話題を変えたり、冗談を言ったりと、即興で対応しているから、と説明する。
もちろん、この「反応を観察する・その都度話題を変える・即興で対応する」と誰でも知っているかもしれない。
しかし、一生懸命机に向かっていた人が、その事を体験なしに出来る筈もない。
私にこれらが出来るのは、水商売の経験の中で、あるいは、様々な職種についていたおかげで、実際にやっていたからだ。
常に、他人との関わりがあり、そこでの会話が仕事を成立させていたからだ。
もちろん、同時進行で失敗だらけで、相手を怒らせたり、仕事を壊してしまったこともある。
つまり、会話はそんなリスクを背負っているということだ。
部活のノリでは、残念ながら見透かされて相手にされない。
それでも会話もどきが成立しているように思えるとすると、それは相手に何らかの下心があるからだ。
こと、コミュニケーションに関しては、その実践体験の深さが物をいうのだ。
決して知識でカバーはできないのだ。
それは、相手が人間だからだ。
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東京11月28,29,30日12月1日
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