時差ボケ防止にはこれかな?
もしかしたら、今回のやり方が時差ボケ防止に良いのかもしれない。
午前1時くらいから爆睡して、朝7時くらいに目が覚めた。
もちろん、一度も目が覚めていなかった。
これは、ここ10年の帰国時で初めてだ。
この体験は、最初からそうすれば良かった、と思うかも知れない。
こんな事はいくらでもある。
「遠回りしてしまった」というやつだ。
もちろん、こんな事は常にある。
思わず「遠回りして〜」と口からついて出るが、実際は私は何も思っていない。
言っただけ、というやつだ。
それは、どんなことでも「遠回りしなければ分からない」と思っているからだ。
大阪でのドラムソロコンサートのチケット予約発売が始まった。
このことも、「やって見なければ分からない」のだ。
もっと言えば、「やって見ても分からない」と言える。
何かしらの結果というか、このコンサートで言えば「コンサートは始まり終わり、そこに聞きに来てくれている人がいる」という状態はあるが、その状態がどうして起こったかの本当のところは分からない。
それをさも誘導できる風に言うのが、マーケティングという統計学的考え方だ。
しかし、それは「そうかも知れないし、そうで無いかも知れない」という曖昧さを排除したものでは無い。
「やって見なければ分からない」からこそ、やってみるのであってやる前から分かっていることなど、やっても面白い筈もない。
リスクを負いたくない、という考え方が蔓延っているから、こう言ったマネージメントが仕事になるのだろう。
それも「リスク」という言葉が生まれたからだろう。
その言葉がなければ、そんな事は考えない。
その意味で、言葉を沢山知るほどに、その言葉に振り回されていくだけ、ということになるのだ。
自分が生きていくのに、あるいは、自分が仕事をするのにどんな屁理屈がいるというのだろうか。