自分次第というのは、

「座禅」でも、「ヨガ」でも何でも良いのだが、どの程度の効果を得たいのか?というのは、そのメソッドの良否ではなく、当人に全て関わっているのだ。
だから、自分に見合った効果しか手に入らないということだ。
良否ではなく、というのは、自分の欲する効果に応じて、メソッドを判断する目、見る目があるということだ。
どのメソッドが良いのか分からない人は、欲する効果が曖昧なので、一応どれかをやってみるのが良い。

私は、色々なプロのアスリートを教える。
そこで結果が出る。
アマチュアでも結果がでる。
それは、それに取り組んだ人の力だ。
私の一寸したアドバイスを、自分の身体で考えて、それを使えるように練習をした。
結果、レースでそれを試しながら結果を出したのだ。
もちろん、私のアドバイスが的中したというのもあるだろうが、当人の視点が広がり、もっと多角的に考えるようになり結果を出したと考える方が合理的だ。

ここで大事なのは、当人たちが身体で考える能力を持っていたことだ。
頭で理屈をこねくり回すのではなく、身体そのものの体感で考える力を持っているのだ。
だから、一般の人には理解できないアドバイスで、フォームから出る力が変化する。
「サドルに当たる骨盤の下に紙一枚ひいて」というような、「何じゃそれ」というようなことだ。
紙一枚を身体が感じ取っているということを分かり、その紙一枚で変化した事も分かる当人だからの会話だ。
ここのレベルの会話は、本当に楽しい。
どんどん新しいアイディアが、会話により生まれるからだ。

また、もう一つ楽しいのは、私自身の身体感覚と、アスリート達の持つ身体感覚を比較することが出来ることだ。
その事で、私が新たに訓練しなければならないことを発見できたりする。
それが楽しいのだ。

そして、そのアイディアに責任も当然付いてくる。
だからこそ、アイディアが生まれるのだ。
もちろん、責任という実際は無い。
しかし、こちらの意識として責任という自覚がある。
私は、その自覚が探究心を育てる一因だと考える。

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