普通って何?
東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です。
定員が一杯になりつつあります。
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先日、私の戦友が自殺をしたという話を書いた。
鬱の症状が出て、どうにもならなかったからだ。
その彼が、かなり前精神病院に送り込まれた事があった。
その時も、突然の通知だった。
電話を取ると「◯◯精神病院ですが、◯さんをご存知ですか」だった。
突然と言うのは、彼との連絡は10年ほどの空きがあったからだ。
どうして精神病院に入っているのかが分からなかったので、とりあえず車を走らせた。
病院に着くと隔離病棟に入れられていた。
彼に面会すると、別段普通だ。
「どうした?何で精神病院で、隔離病棟なんや?」という話に当然なった。
仕事がらみでトラブルが有り喧嘩になった。
結果、警察が来て取り調べを受けた等と話しをしだした。
別段態度も言葉使いも普通だ。
どこが隔離病棟に入れられるキッカケになっているのか分からない。
医師に聞いても何を言っているのか意味不明だった。
「お前が病気やろ」というような医師だったからだ。
「アキラ煙草持ってるか」「アホか、病院内は禁煙や」「ええねん、俺は精神病者やから」「そらそうや」
こういった言動を、精神病というのか?こんなやり取りは、私達にとっては日常的だ。
彼は、ここで薬物治療となり、躁鬱の状態がひどくなってしまった。
私は彼と話をしていると、どう見ても「普通」だと感じる。
しかし、よくよく考えるとこの「普通」という言葉が曲者だと。
もちろん、この「普通」という言葉に引っかかったのは、この時に限ったことではない。
私自身が親から「普通にしなさい」と言われていた事がある。
私も色々な場面で「お前、普通にしろや」とも言う。
そんな時、決まって「普通って何や?」とは思っていた。
しかし、さほど突っ込んで考える事はしなかった。
ジャズを演っている時も「普通に叩け」とよく言われた。
これは理解できる。
この場合の普通は、リズムをしっかりキープすること、余計なおかずを入れないこと、全体の音量バランスを崩さないことだからだ。
つまり、巷にある「4ビートジャズ」という形式のようにする、ということが普通なのだ。
もちろん、私はそれをしていなかったからだし、する気もなかったからだ。
こういった場合の「普通」は誰にでも分かり易いが、例えば、私が精神病院に入った彼との会話を「普通」だと感じる時の「普通」は、普通の人にとっては普通ではないということになる。
普通ではないから精神病院へ入れられているのだから。
この時「普通って何やねん、教えてくれ」と彼は医師に言ったそうだ。
すると医師は黙ってしまうそうだ。
もちろん、私にもこの「普通」の実体や定義が分からない。
しかし、世の中は「普通」に価値を置き動いている。
それを見ていると、一番質の悪い迷信を鵜呑みにしているようにしか見えない。
普通に学校へ行って、普通に就職して、普通に結婚して……。
何なんだ普通というのは。
普通とは何か?というような疑問を持たない人が普通なのだろうか。
それはただの鈍感であり、自分に全く興味のない人だ。
と私の普通からは即答出来る。
普通に考えてみたら分かることがある。
普通の人が起業できるか?普通の人が仕事で成功できるか?普通の人が音楽で成功するか?普通の人が世界記録を出せるか?普通の人がノーベル賞をとれるか?普通の人が発明や発見を出来るか?普通の人が良い土を作ろうと思うか?普通の人が恵まれない国を援助しようと思うか?
そういったことから考えると、巷で言う普通とは、自分に無関心でありながら、自分のことしか思っていない人。
結果、社会にある常識や色々な出来事に一切の疑問を持たず行動もしない人。
つまりは、自分の無い人ということになる。
普通など実はどこにもないのだ。
人類の全ての人は、それぞれに個性があり、同じではないのだ。
そしてそれぞれに役目が有るはずなのだ。
そこを間違うからおかしくなるのだ。
間違う原因は自分のことを「普通」だと信じているからだ。
実体の無い迷信に自分を当てはめようとするからおかしくなるのだ。