本当の自分
「あっ、そうか」と気付く。
気付くのは大事な事だ。
物事の本質に気付く、問題に気付く、そういった複合的な、あるいは集合的な情報からの要素の抽出だからだ。
これは「頭脳の納得」である。
しかし、もう一つ大事な「気付く」がある。
それは、「こころに響く」気付きだ。
正しく自分自身に王手がかかるそれだ。
「ドキッ」とここに響く。
この体感そのものが、自分自身の奥底を揺るがすのだ。
それは恐怖の一つかもしれない。
その瞬間、それこそ時間が止まる。
自分自身の根源と正面から向かい合うからだ。
しかし、私は、ここにも何か層構造があるように感じる。
私の口癖である「本当か?」というのは、どうもここに根差しているように感じるからだ。
「本当の自分」なる言葉が氾濫しているが、そのレベルでのそんなものを見つけるのは簡単だ。
現状の自分が本当の自分だからだ。
昔、ビルの洗い屋をやっていた時、そこの職人の一人が「本当は俺は、サーファーや」と言っていた。
「本当はも嘘も、お前は洗い屋の職人やんけ」と切り返した。
その時、その「本当の俺は」という言葉に引っ掛かった。
それはただの言い訳に過ぎないと感じたのだ。
その彼の場合は、「本当の」ではなく、「どっちつかずの中途半端」なだけだ。
皆一様に、そういった言葉遊びが好きだ。
それを言ってどうなるものでもないのに、そういった言葉を振り回す。
そういったことを振り返ると、もちろん、私も「本当は俺は~」と友達に話していたのを思い出す。
但し、30過ぎたおっさんの時ではない。
10代の頃、ガキの時代だ。
ガキならその言葉を発する。
それは有る種見栄であり、カッコ付けだからだ。
どうして30過ぎのおっさんが、それを口にしたらおかしいのかというと、人は年齢と共に、物事を深く考えるようになる筈だからだ。
それこそが、人類が脳という器官を肥大化させた産物で有る筈だからだ。
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98回武禅のレポートをアップしました。
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