他人はどう見ているのか
稽古をする、何を。
ここが問題だ。
例えば、約束組手をする。
そこから何を学ぶのか、何を稽古しているのか。
まさか、約束組手である、例えば、横受け掛け手だったとしたら、そのものを攻防としてやっていると思っているのではないか。
実は、そういう具合に見ている人がいる、ということをつい最近知って驚いたのだ。
もちろん、中学生や高校生で、武道の事を知らない人、技術ということを理解できていない人なら別だ。
そういう人は、それらの事を知れば理解できるだろう。
他の道場や、他の先生方はどう取り組んでいるのかは知らないが、私どもでは、そこに含まれている様々な要素を訓練している。
ざっくりと言えば、関係性と関係性で動いてしまう身体の形成である。
もちろん、その中で、自分自身の心理状態を気付いて行くという訓練も含まれる。
だから、約束組手でなければ出来ないのだ。
攻防とは何か?
突きとは何か?
もっと言えば、自分は一体何を目指して、何にどう取り組んでいるのか。
そういった事を引き出し、訓練する。
それは永遠に続くかもしれないものだ。
つまり、私達は「攻防」をやっているのではなく、地道に技術を身に付ける、その事を稽古だとし、それを重ねているのだ。
ここでの話は、観客のレベルアップだ。
「表現」ということと、それを受け取る側の話である。
一般社会生活でも、ここはかなり食い違う。
しかし、そこには大方の人は触れない。
面倒だからだ。
その怠慢が、思わぬ誤解を生んだり増幅させたりする。
もちろん、それはいたしかたの無い事でもある。
レベルを均一にすること等不可能だからだ。
明日から岡山ワークショップが始まる。
飛び込みでも、大丈夫ですよ!
岡山ワークショップ 9月17日-19日
http://rcokayama.nomaki.jp/
大阪ワークショップは9月22,23,24,25日です。
https://www.hino-budo.com/workshop-schedule1.html