パリに帰ってきて

■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日

16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/2013TokyoWS.htm

パリは秋になっていた。
2日前の猛暑は嘘のようで、ジャンパーが必要だった。
北駅に着き、その足で郊外の体育館に直行。
会場に着くと、もう何人も来ていた。
クリスチャンが魔法瓶にコーヒーを入れて持ってきていた。
それを貰って一服。
ワークショップには、新しい人が1/4程いた。
やはり先生方が多い。
常連達が連れて来てくれるのだ。
若手の警官も、クリスチャンに連れられて来ていた。
今回は、190㎝はある柔道の先生をかなり相手にしてみた。
受講者は興味津々で周りに集まってくる。
相変わらず、楽しい雰囲気でワークは進んだ。
座り系を少し、そこから肘、肘での投げと続けていくと、昼休みになった。
昼からはねじれのバリエーションで、今日のワークは終わった。
疲れた。
夕方のパリは、落ち葉が夕陽に映えてかなり美しい。
土曜日の晩だから、人が多いのが気に入らないが、秋のパリだ。
これでユニクロのヒートテックも意味があるというものだ。
東京のワークショップの申し込みも増えてきている。
表現者の為の表現塾の受講者は、多ければ多いほど面白い事になるのだが、最終的にどうなるのかは分からない。
「身体塾」では、身体を繋げて使う事を練習する。
繋げる為に必要なのは、身体に対する刺激であり、それを感覚する力だ。
つまり、繋げるのは「感覚」なのだ。
感覚を使って、点から点を線にしてしまうのだ。
もちろん、それはいきなりは出来ない。
しかし、その作業をする事が大事であり、そうしている時こそ、身体がクリアに観客から見えている時なのだ。
演劇では感情表現なるものがあるが、これとて表現ということで考えると、感情が現れているように見える、という事が大事なのであって、当たり前だが、自分自身が感情的になることではない。
感情は身体から見えるものだ。
その意味で言葉はいらない。
その身体から見えるとした時に、先程の点から点への線を感覚していく、という作業が、感情が高ぶっているようにも、沈んでいるようにも観客から見えるのだ。
その意味において、役者であろうが身体を自分のものにする事が大事なのだ。
「身体性」とか、意味不明の言葉や概念を、次から次へと使うが、結局のところ幻想を持ち
こんでいるだけで、そこには「身体性」など無く、気持ちの悪い雰囲気が見えるだけだ。
そういった言葉遊び的身体を排除しなければ、本当の意味でクリアな身体は出現しない。
秋の「武禅」は10月12,13,14日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
中段お知らせから入ってください。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!
http://workshop.digiweb.jp/

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