感じる、は、今そのもの
■東京ワークショップ
9月13,14,15,16,17日
16.17日は、表現者の為の特別教室です。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
https://www.hino-budo.com/index.html
お知らせにあります
「感じる」どこにでもある言葉だし、どこにでもあるワークだ。
私の言う武道でも、一般のワークショップでも最重要項目だ。
以前、フォーサイスカンパニーに初めて行った時、「感じる」を説明した。
その時、ダンサー達は「日野の話すこと、そんなワークは沢山受けたよ」と反応。
次にその実際を行った。
もちろん、誰も私の指示することは出来なかった。
トップダンサー達が出来ないのには驚いた。
その理由は最初分からなかったが、ダンサー達を観察していて気付いた。
ダンサー達は「感じる」という言葉を、頭の中にしまいこんだだけだったのだ。
つまり、感じると「思う」感じていると「思う」、感じると「考える」感じていると「思い込む」だったのだ。
まるでオカルトの世界だ。
感じるということが実際ではなく、あくまでも頭の中の産物になっていたのだ。
思うのも、考えるのも「感じる」ではない。
感じるというのは、今正しく起こっている出来事を体感していることだ。
この場合だと(フォーサイスカンパニーでのワーク)、コンタクトでの感じるだから、相手との関係を感じていることだ。
一つ一つ駄目出しをし、注意点を指示していった。
最後にダンサー達は、「確かに日野の言葉はどこにでもある。しかし、それが本当に有るとも、出来ることだとも思わなかった。誰一人として、その手本を示してはくれなかったからだ。だから、全部架空の世界のことだと思っていた」と言葉が変わった。
相手からこちらに伝わってくる力を感じ取る。
言葉としては、それだけのことだが、そこには、相手から伝わってくる力を感じ取る為に、こちらから相手に対して働きかけなければならない。
つまり、相手の力に対して抵抗しなければならないのだ。
だが、こちらの抵抗の割合を慎重に、そして丁寧に、繊細に行わなければ、相手の力は見えてこない。
伝わっても正確には把握できないのだ。
そうすると、それに見合った動きを出来ない。
感じるとは、相手との関係性の中で、その関係性そのもののことだ。
だから、ここを飛ばすと、あくまでも自分勝手な自分ということになるのだ。
そうなると、当たり前だが誤解も起こる。
火曜日からの合宿も、9月のワークショップも、この「感じる」がキーワードになる。
武道において、歴史に残る達人は、言葉にこそ表していないが、この「感じる」を発見したのだろう。
だから、今も残る言葉を「感じる」を切り口にすれば、その匂いくらいは実感出来るだろう。
■1年ぶりの岡山のワークショップです
9月21.22.23日です
西日本の方はどうぞ!
http://workshop.digiweb.jp/