人は既に繋がっているよ、ただ

■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
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バレンシアの稽古は、何時も隣で別のグループが何かしている。初日は、子供達の体操競技だった。
小さい子達が飛び跳ね、結構高度な技を繰り出していた。
そう言えば、昨年もこのグループがいたのを思い出した。
ユニフォームを着ている子達は、競技に出ているのだろう。
飛び跳ねる姿を見ていて、そうかと思ったのは、縦横無尽に飛び跳ねられるということは、ある意味ボールの様なバネをもっているし、身体が固まっているからだ。
身体に伸びがあれば、怪我をする。
何とも変なことになったものだ。
レスリングも柔術もやっていた。
それらも選手だろう。
しかし、何とも粗雑な稽古をしている。
あれでは、筋力だけが頼りだろう。
私のクラスの稽古は、身体に触れる感触を確かめながら進んでいる。
何とも対照的な稽古風景だ。
夜は、改めて三角形で蹴りと突きに対処するところから始まった。
手は迎えに行く。玄関にお客さんが来たのを迎えに行く、それと同じだ。
その準備が整っている程、相手は気持ちが良い。
決して、相手とぶつかり遮断する、対立するではない。
そこの本質を身体で実感して行くのが稽古だ。
もちろん、実感出来るようにならなければ、実感できない。
手の平を転がす。
腕を転がす。
どんどん無口になる。
何時もの事だ。
初参加の人が数人いた。
目を白黒させているだけだ。仕方が無い。
終わってから、クリスチャン達が、ビールでも飲もう、ということで、近くのカフェで乾杯した。
色々な話が出たが、コンタクトということになった。
実は私達人間は、既に繋がっている。
コンタクトしているのだが、それを思考や自我が遮断していると、話した。
ヨーロッパの天候が、時間と共に日本に影響を及ぼす。
その天候は、我々人間に何かしらの影響を与える。
それは、私達は生物という自然物だからであって、ビール瓶のような無機物ではない。
そこを理解して欲しい。
と難しい話だが、人というものの仕組みの本質を話した。
皆「そうか…」と考え込んでいた。
身体の細胞数や、骨格、あるいは、その他臓器、全て人類に備わっている。
ただ、「私はね」と主語が必要だと教育されているから、そこに対立が生まれ、まるでコンタクト出来ないかのような錯覚に囚われているのだ。
そういった事に気付いたのが、歴史に残る達人達であり、それを実感していくのが現代における武道に取り組む意味であり、私のワークショップだ。
■沖縄キジムナフェスタ・ワークショップ
7月20.21.22日です。
http://hinows.ti-da.net/
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。
詳細がきまりました。
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