思い出に生きるのか

人というのは、相当複雑な構造を持ち生きている。
でも一瞬で、それが飛んでしまう。
それは記憶だ。
脳の病気や事故で脳を損傷し、記憶が飛んでしまった時、「私」は残るが、「私」を支える支柱は無くなってしまう。
それこそ、人は思い出に生きているのだ。
そんなことを考えると、相当際どいところで、生きていると思わざるを得ない。
そんな人を身近で沢山みる。
もちろん、明日は我が身かもしれない。
そんなことを考えた時、今、自分が大事だと思っているものや、大事にしている何かは、本当に大事なのかどうなのか分からなくなる。
全ては、記憶という何かに頼っているからだし、現在のような状況が未来にもある、と盲目的に信じて疑っていないからだ。
今、といった時の「いま」も、記憶の産物だ。
その回路を通過させずに生きられないものか。
今、すべきこと。
それすらも過去の産物が支えている。
しかし、その瞬間の感覚だけは、その瞬間のものだ。
それを説明した時に、記憶の虜になってしまい、その感覚で得た感覚をコピーしてしまうのだ。
と、自分を追い込んで行く。
どうなるか分からないが、分からないから面白い。
■3月末にパリからブレストやブリュッセル他5都市を回った、ツアーをまとめました。
■京都ワークショップをまとめました。
■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
いずれも「お知らせ」からリンクしています。
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7月20.21.22日です。
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詳細は後日webページで

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