武禅終了です

88回目になる「武禅」が終わった。
途中でとんでもないアクシデントがあった。
昼食を食べ、皆で話し合っている時、それは起こっていた。
道場で人の気配がする。
何と、全く知らないおばはんが道場に入っているのだ。
「便所かして下さい」唖然とした。
「おばはん、お前の家に他人が勝手に入って来ていたらどうするんや!警察呼ぶぞ!」
そんな輩が多いのだ。
そんな輩とは、年配の人が圧倒的に多い。
若い人は、玄関でチャイムを鳴らす。
そして「ごめんください、すみませんが便所をかしてください」と、普通なのだ。
だから、こちらも「どうぞ、上がって」となる。
普通を分からない、いい年をしたボケが多すぎる。
私に怒鳴られた後、きっと「恐い人やね、便所くらいかしてくれもいいのに」と話しているのだろう。
そんなことも有りながら、「武禅」は進んだ。
毎回のことだが、終わってから皆のレポートを読み、アドバイスを書く。
それを読んでいると、こちらとしては、これで気付いて欲しいと、雑談やワークとは直接関係の無いパフォーマンスをする。
しかし、その事が書かれていないレポートが圧倒的に多い。
何が重要で、何が重要ではないか。
そこを嗅ぎ取る嗅覚が退化しているのだろう。
つまり、「どうすれば~」という、How toを無意識的に求めているということだ。
How toではなく、気付くという自分自身の直観が働くから、自分自身を省みることが出来、一歩前に進めるのだ。
しかし、学校の授業、いわゆる研修と同じだという無意識的な作用が働き、ワークの中だけにしか、習えるものは無いという事になってしまう。
How toで仕入れた知識やテクニックは、ファッションのようなものだから、脱いだら相変わらずの自分がそこにあるだけだ。
ある人のレポートに、
「自分が今まで良いと思っていた喋り方や間の取り方、相槌、うなずきの殆どが、テクニックをやっていたと気付かされました。『自分で書いた原稿を読んでいるみたい』と言われたのが、ハンマーで頭を叩かれたようだった。」というのがあった。
この人は一部上場企業の中堅なので、きっと色々な研修を受けさせられており、その中にこういったテクニックが入っていたのだろう。
そんなものは、生身の人間には通用しない。
そのルールを習った人同士でしか通用しないのだ。
ほんとに、人間を舐めきった研修が多すぎる。
人は誰でも違和感を感じ取る力を持っており、それを乗り越えるのが「武禅」なのだが、そこを無視したものばかりだ。
今回もワークの途中で、どれだけ人は違和感を感じているのかを体験させた。
一人の女性をテスターにし、全員がその女性の肩に触れるだけだ。
そして、その女性の脈診をとって確かめる。
だが、触れる人がその女性の付近に来ると、女性は緊張するのだ。
脈診には、如実にそれが現れるのだ。
つまり、違和感を感じ取っているのだ。
今回このことを自分の事として、あるいは、人間関係を築く難しさにふれたレポートはなかった。
一番本質的なパフォーマンスだったにも関らず、一部の人しか気付いていないとは。
治療家の為の「明鏡塾」でも、同様のワークをする。
治療家が患者に違和感を与えるのは、もってのほかだからだ。
いよいよ京都のワークショップです。
まだ空きがありますので、お申し込みを急いで下さい!
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
■福岡ワークショップは7月12.13.14.15日です。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。

詳細は後日webページで

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