パリは明日で終わり

パリの初日は、例によって少し狭い道場だ。
その中に50人以上は、以上に熱気がこもり、蒸し風呂状態になっていた。
初めて受講する人も沢山いたので、とりあえず体重の移動から始めた。
常連の人達は、復習の意味もあるから、熱心に取り組んでくれていた。
今日は朝から(?)迎えに来ると言っていたので、朝から待っていた。
時差ボケで時間を間違って聞いたかな、と思いつつ、8時30分から9時過ぎに。
9時30分だったかな、と9時30分を回る。
眠気も襲ってくるので、だれた状態に拍車がかかった。
部屋で寝て待とう、と部屋に帰る10時過ぎ。
ベッドに横になって、目を閉じたらフロントから電話。
「ヒノセンセイ」
「遅れてしまいました」
悪気の欠片も、申し訳ないの欠片も無いところが可愛い。
パリオペラ座に向かい合流。
なんと譜面パト。
警官の射撃教官と共に、射撃場へ。
壁には色々な銃が掛かっていた。
日本刀まであった。
レンガ作りの橋の中をくり抜いた建物で、そこが射撃練習場だった。
教官のアタッシュケースには、機関銃が2丁。
リュックには拳銃2丁と無造作に実弾が沢山。
こんな武器を普通に携帯しているのに、一寸ドキッとした。
警官のする訓練を、そのまま教えて貰った。
エキサイティングと言うしかない体験だった。
もう一つ飛んでも無いオプションがあった。
ヴァンドーム広場にある、ナポレオンが持ち帰った戦利品の大砲や、様々な武器を溶かして作ったという青銅色の塔。
別にその塔は観光の為と中に入れるのではない。
どういうコネか、どういうシステムかは知らないが、その塔に登らせてもらった。
しかし、登ったのは良いが、階段の幅が約50cmくらいだろうか。
目の前には壁が迫り、一寸これは無理という感じになった。
176段くらいの階段を登りきった時には、完全に目が回って気分が悪くなっていた。
サクラダファミリアも登ったが、それよりも閉鎖感があった。
まあ、一生に一度の体験だから。
昼は特大のピザだ。
これはこたえた。晩飯抜きにしてやろうということで、その晩は食べなかった。
2日目は、郊外の体育館だ。
7,80人はいるだろうか。
前回参加してくれていた、柔道5段の巨漢もいた。
今回も投げ飛ばしてやろう。
しかし、打撃系の練習になると、体術関係の人はまるでどうにもならないのが参った。
それでも、皆静かに真摯に取り組んでくれていた。
今日も晩飯は抜き。
バナナだけで良いだろう。
数人の打撃系の先生方とコーヒー。
毎回新鮮で驚くばかりだ、と嬉しそうに話す。
自分の習った事と全く違うアプローチだから戸惑うが、こっちの方が正しいと思えるようになった。とも。
明日は、パリ最後。
終わったらその足で、フランス最西部の街まで飛行機だ。
やはり、時差ぼけとの戦いをするしかなかった。
10時過ぎに寝て、2時30分に目覚め、そこから約1時間おきに目が覚める。
5時、仕方がないので起き出す。
6時30分、ホテルを出て散歩。
外国へ来た初日の朝は、毎回このパターンになる。
やっぱり、走っている人がいる。
多分、温度は氷点下くらいだろう。
短パンにタンクトップだ。
病気だろう。
しかし、これだけ身体を動かすのが好きな人達に、農耕民族は真正面からはぶつかれないと、何時も思う。
そこで生まれた知恵は、大事にしなければ直ぐに失われていく。
山の手事情社「ひかりごけ」
http://www.yamanote-j.org/works/works_hikarigoke201301.html
■5月2.3.4日は京都での3回目になるワークショップを開きます。
https://www.hino-budo.com/index.html
「お知らせ」からリンクしています。
■ 9月13,14,15,16,17日、定例の東京でのワークショップが決まりました。
場所も、何時もの新木場マルチスタジオです。

詳細は後日webページで

Follow me!