喉の渇き

喉が渇いていない馬を、水場に連れて行っても、馬は水を飲まない。
そんな話を、この道場を建て始めた頃聞いた。
正にそうだ。
人は、自分にとって大事なことというのは、自分が気付いてこそ大事なのであって、第三者から見た、その人にとって大事なことというのは、大事だと気付かないものなのだ。
私自身のことを振り返っても、きっと水は飲まなかっただろうと思う。
ただ、自分からは飲まないが、飲ませてくれるのだから全部飲んだように思う。
先日研修医達に研修をしたが、医者にとって一番大事な患者との関係性を築くことを、まるで実際として分かっていなかった。
だから、そこを研修したのだが、喉が渇いていないから、全く意味を成さなかった。
飲ませてくれるから全部飲む、という感性も育っていなかったのだ。
しかし、それは無理も無いとも思う。
人の成長として大切な人との関係を、受験勉強という壁が完全に遮断してしまったのだからだ。
これは、ほんとに矛盾としか言いようが無い。
人との直接的関係が大切な職業なのに、受験勉強に忙殺され、その肝心の感性を磨く時間が全く無い。
受験のシステムを変えなければ駄目だ。
もちろん、この喉が渇いて~、というのは、彼らだけに向ける言葉ではない。
自分のことは、自分では分からない事の方が多い。
他人だから分かることも沢山ある。
その意味で、飲ませてくれるから全部飲んでみる。
という感性を育てて欲しいものだ。

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