師匠に出会った

昨日道場に帰った。
途中、こおろぎやマツムシなど虫の音がうるさいほど聞こえていた。
赤とんぼは日増しに赤く染まって、山の短い秋は冬を予感させる。
私が22歳の時、名ドラマー槌野一郎、といっても誰も知らないだろうが、戦後間もない頃、東の白木秀雄、西の槌野一郎と呼ばれていた人に引き抜かれたことがあった。
その槌野さんに、「晃、ドラムの音はこれやで」と、私の練習台を私のスティックを叩いて聞かせてくれた。
バンド部屋に野太い金属音が響いた。
その時その音に、無条件に魅せられた。
教えられたから、やろうと思ったのではない。
その音をだせたら、良い音楽が出来ると思ったのではない。
つまり、判断を超えた「無条件で」だった。
以降、その音を求めてくる日も来る日も練習をしたが、当たり前のことだがその音を出せるわけも無い。
それからもずっと「これかな?」と、記憶にある音を探し続けていた。
ドラムを現役から退いた後も、こと有る毎に「これかな?」を続けていた。
昨日の深夜2時。
「これや!」
初めて槌野さんの音に触れることが出来た。
42年前のバンド部屋が、目の前に浮かんだ。
槌野さんのニコッと笑った顔が浮かんだ。
42年かかった。
もちろん、ドラムを続けていたら、もう少し早く辿り着いたかもしれない。
きっと、槌野さんが私に聞かせてくれた年齢(私より17~20歳くらい上)辺り、多分20年くらいは掛かったろうが、辿り着いただろうと思う。
あるいは、逆に辿り着いていないかもしれない。
それは分からない。
しかし、それは問題ではない。
自分の力だけでそこに辿り着いた事に価値があるのだ。
その価値とは42年間かかってやっと、槌野さんを師匠と呼べるようになったということだ。
もちろん、槌野さんはすでにお亡くなりになっている。
昨今、何かしらを教えて貰っている人の事を師匠と呼ぶが、私はそうは考えない。
ここに書いたように、その人の言葉の何かしらを自分の力で体現したら、その人と関係できたということになる。
だから、そこに初めて師であり弟子であり、という特別な関係が生じたと考えるからだ。
昨今の師匠という言葉は、学校の先生、という同意語のような感じがする。
私はそれに違和感を覚える。
そう易々と師匠と出会えることはないし、弟子になれることもない。
それは、こちらのレベルの問題もあるし、師匠たる人のレベルの問題もあるからだ。
昨日は、日本の芸事の歴史の片隅に足を一歩乗せられた気がした。
一瞬の至福の時間だった。

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