取り組む

今回フランスからの来客は、全員若く、若い分だけシャイで思い切り静かな稽古になった。
若い人達の取り組み方を見ていると、何時もながら勉強になる。
初めはざっくりと稽古を行うので問題は無い。
ざっくりと覚えたら、部分に入る。
部分はかなり厳密な条件がある。
厳密な部分をきちんとする為には、その部分と他の部分との関係が問題と浮かび上がってくる……筈だ。
筈だというのは、そういった考え方を知らなければ、問題など浮かび上がっては来ないからだ。
だから、考え方や条件という柱を持っていなければ、新しいことは新しいこととして出来ないのだ。
そこで「出来なくても良い」という、これまた考え方が必要なのだ。
この「出来なくても良い」がなければ、「出来なければならない」という洗脳を外すことは出来ない。
出来なくても良い、というのは、初めて取り組むことだし、その取り組むべきことが感覚的なことで、その感覚すらもまともではない、つまり、自分の感覚等、正しいのか間違っているのか、深いのか浅いのか、を検証した筈もないからだ。
どうして、これほど厳密なことに取り組むのかというと、でなければ、自分自身の感性や考え方を成長させる事が出来ないからだ。
そうすると、成長していない自分が動かす身体だから、成長していない動きになるしかないからだ。
ここの構造は難しい。
ワークショップでは、そういったことを知ってもらい、そのつもりで取り組んで貰っている。
そんなややこしく複雑なことに、フランスから来た青年達は取り組んでいた。
一人の青年は、なにやら腑に落ちたらしく、一人でコツコツと身体に向き合っていた。
今日は、このまま本部の稽古になる。
一寸昼寝だ。
9月15.16.17.18.19日東京ワークショップ
https://www.hino-budo.com/

Follow me!