もしも

稽古をしていてガックリくる時がある。
「今は、こうしているけど、もしこう攻めてきたらどうするのですか」
もちろん、この言葉を読めば、順当な考え方だと思うだろう。
しかし、現実はそうではない。
その時に行っているのは、約束や型という、一番基本的な様々な要素を身に付けていく為の稽古だ。
だから、その場面で「もしもこう攻めてきたら」というような、ありもしないこと、そして枝葉末節のことを持ち出すべきではない。
というよりも、その基本的な稽古をしている、という認識が全く無いということにガックリくるのだ。
まさか、子供のチャンバラごっこじゃあるまいし、上段から切り落としにいっている刀が、突然左右に曲がる事はない。
そんなに遅く、また、判断できる程の切り落としなら、切り落としではない。相手もそれが見えているから、違う受けや攻め方をしてくる。
そんな当たり前のことを想像できない者が、武道をやれる筈も無い。
もっと言えば、稽古の初めはゆっくりと行う。
身体の運動線や相手との距離感を確率させる為だ。
そのゆっくりが実際のスピードだと思っている節があるのだ。
だから、「もしも」というような発想にもなる。
日常でも「もしも」を多用する人がいる。
もちろん、その「もしも」が的を得ている場合もある。
その場合は、本質的なところから引き出した「もしも」だ。
しかし、大方はこの例のように、的外れで枝葉末節的な「もしも」というありもしない思いを持ち、その思いに振り回されることになっているのだ。
本当の意味での想像力の無いものは、自分の中に何も築いていくことはできない。
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