定着率の低さ

例えば、右手の動きと左手の動きを同調させるとする。
もちろん、誰でも一見出来る。
しかし、そこにプレッシャーがあった時、精神的に動揺するから、同調された動きは出来ない。
しかし、本当に出来ていれば出来る。
このことを知らない人には「何のことやら」という感じだと思う。
要は、自分では出来ていると思う事でも、そこに何らかのプレッシャーが加わるとたちまち出来なくなる。
しかし、それは本当には出来ていないということ。
という話だ。
同調させるという運動は、この場合は、右手のどこと左手のどこが同調する点だと決定するのか、という問題がある。
それがなければ、何も始まらない。
何かと何かを同調させていると「思い込んだ」だけというのは、誰にも分かるように実は何もしていないということだ。
そういった厳密性を自分自身に要求しなければ、本当に出来ている、という精神状態を持つ事は出来ない。
「本当に出来ていれば出来る」というのは、本当に同調させていれば、そこには「思い込んだ」という事とは異なる、今までの感覚ではない極めて明確な感覚を持つ事が出来るからだ。
だから、出来た時に「分かる」としか言えないのだ。
例えば、腕力に頼らないで力を出す、とした時、先ほどの感覚が必要になってくる。
つまり、非常に厳密な感覚が必要だということだ。
どうも私の教室の定着率は低い。
その原因は、「大体出来た」を目指しているのではなく、厳密を通して新しい感覚を手に入れることを目指している。
だから、言われた事を繰り返していれば出来る事では無く、自分次第でしか結果が出ないからだろう。

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