感動

明日から「武禅一の行」だ。
また、濃密な2泊3日が始まる。
しかし、武禅は申し込み開始と共に定員になってしまうのが問題だ。
もちろん、それほど真剣に「人との関わり」を考えている人がいる、ということなのだが。
行は「正面向かい合い」という、人と真正面から対峙するところから入る。
ここの要素は単純に、向かい合う意思が対峙し合い、その後交じり合うということだ。
やっかいなのは、向かい合う意思というやつだ。
これを、向い会おうと「思う」になることだ。
どうして?と思うのだが、そうなる。
そうなるともうどうにもならない。
頭の中がパンクするだけで、何も感じることは出来なくなるのだ。
頭の中のパンクの原因は、「どうすれば?」が駆け巡るからだ。
大方がそうなる。
どうして?
人と向かい会いたくないのか。
向かい合いたくなくても、ずっとずっと向かい合っていれば向かい合いたくなってくる。
つまり、心地よいという感覚が湧いてくるからだ。
しかし、どうすれば?から抜け出なければ、それは味わえない。
自分が人として人と向き合う心地よさを感じることが出来ないのだ。
それは不幸だろう。
この「どうすれば?」という言葉は、色々な感覚を閉ざす言葉だ。
技術としては「どうすれば?」だが、その前に意思だし、感じることだ。
それがあるから「どうすれば」であり、そのことを使えるのだ。
それがなければ、「どうすれば」は単に使えない「知識」でしかないのだ。
感じられない人間が「どうすれば?」を獲得することは出来ない。
つまり、逆なのだ。
大方がそうだ。
今回も初めての人が半分はいる。
その人達が「どうすれば?」に陥らないことを祈る。
そして、関る感動を味わって欲しい。

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