ピナの「夢の教室」

東京で映画案内に目を通していると、ピナバウシュの「夢の教室」が目に留まった。
ピナのもう一つの3Dの映画は昨年秋パリで観た。
夢の教室に興味を持ったのは、ダンス経験の無い10代の若者達が、1年間かけてリハーサルをしピナの作品を踊る、というものだったからだ。
日本の若者たちと、どう取り組み方が違うのか、また仕上がりはどうなるのか。
私がワークで指示している事と、どれ程の違いがあるのか、また無いのか。
私が見つけた事は、この舞台にもあるのか無いのか。
そんなところに興味があったのだ。
若者達でピナを知らない人が沢山いた。
学校の先生に勧められたという若者もいた。
とにかく、雑多な動機で集まった若者達だ。
スタート時点は日本の若者と何も変わらない。
それはスエーデンの芸術大学の学生も、ベルギーの学生達とも同じだ。
ピナの作品は、隅から隅まで行き届いた振付があり、演出がある。
そして理解できなくても、ある程度想像出来るストーリーもある。
その意味では、若者でも取り組みやすいのではないかと思った。
それを指導する情熱溢れるピナのカンパニーのダンサーが二人。
この二人もほんとに素晴らしい。
ダンスが好きだ、というのが滲み出ている。
いや若者のように溢れ出ていた。
表現という曖昧な姿を的確に指示していく。
「視線は強く」「視線は一点を外さない」
やはり、これは世界共通だった。
しかし、「感情」ということでは、言葉が明確では無かった。
「感情を表現する」と「感情が表現されている」という違いは言語化されていなかった。
ここは、ダンスに限らず芝居の方でも誤解されているところだ。
ピナ自身は忙しく、毎回リハーサルに付き合う事は出来ない。
ゲネに近い形の通しリハの時、ピナのアップが映る。
ピナは音楽に身体が揺れていた。
決して身体を動かしているのではなく、また、身体を動かすトレーニングの延長としての動きでは無く、完全に身体の内から、こころの響きから身体が揺れ動いていたのだ。
その姿を見て何故かホッとした。
映画は本番を少しナメテ終わった。
若者達の出来そのものは映画だから計りしれないが、日本の若者よりも自意識が過剰な分、カッコがついていたのではいかと思う。
4月20日からの京都ワークショップ
「身体と向かい合う3日間」のお知らせ
https://www.hino-budo.com/2012-KYOTOWS.htm

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