稽古は自分で探す

今日は人数が少なかったので、久しぶりに棒をやってみた。
やるほどに、この稽古の重要性が見える。
そんなことをツラツラ考えると、時間が少なすぎる。
稽古はあなた任せにするしかないのが現状だが。
何を稽古するのかは、自分で見つけなければならない。
見つからなければ、見つかるまで探すしかない。
但し、自分の外からではなく、自分そのものからだ。
だから、自分に対する客観性が必要だ。
私的ではない客観性だ。
ドラムをやり出した頃、何を練習すれば良いのかは分からなかった。
だから、先輩のアドバイスを鵜呑みにするしかなかった。
本当の意味での鵜呑みだ。
そうしているから、練習している事がさほど身に付かなかった。
先輩は先輩として何が必要かを知っている。その体験からこれを練習しておくと良いと、アドバイスをしてくれているのだ。
しかし、その体験を理解も出来ないし、想像も出来ないから大事な事だとは心底から思っているのではない。
そこが問題なのだ。
それから数カ月して、これだ、と気付いた事があった。
その瞬間から、アドバイスしてくれた練習は全部身に付いていった。
つまり、自分として何が大事かを、自分の練習を振り返って理解できたということだ。
そして、それをいくら続けてもどうにもならないことが分かった。
自分の練習に対する客観性が生まれたのだ。
4月20日からの京都ワークショップ
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https://www.hino-budo.com/2012-KYOTOWS.htm

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