「存在感Presence」の有る無し

前半2週間のダンスのワークショップで、色々と考えた事が、最後の武道の1週間で飛んでしまった。
今日から仕切り直しだ。
ダンサー達と動いて気付く事と、武道をやっている人と動くのとでは、気付く事が違うから面白い。
そんな質問も沢山ある。
どう違うのかと。それを話したところで、何も分からないだろうから繊細さが違うと、お茶をにごすことにしている。
今日は平岡さんも教室に来るので、京都のワークショップの打ち合わせをすることになっている。
今回のクルベルバレエでのワークショップの時、海外では「存在感Presence」の有る無しが、舞台にとって重要な要素であり、観客もそこを見て評価するという。
当たり前の話なのだが、その事でダンサーからも質問を貰っていた。
海外では「ZEN(京都の竜安寺の石庭の石のように、という意味で)」という呼び方のワークがあるそうだ。
詳しく聞いて見ると、なるほどだ。
しかし、稽古が難しいことで役者達には不評らしい。
そんなアホなだ。
稽古が難しいのは当たり前なのだが、特に難しいのは、自分勝手な思い込みが通用しないからだ。
つまり、私のやっている「表現塾」そのものが、海外でも展開されているということなのだ。
思い込みのバカみたいな舞台は見たくない、という理由で私は始めたものなのだが、やはりそれはスタンダードだったということだ。
思い込みの気持ちの悪い舞台に気付いてきた、つまり、観客の目が良くなってきたのだ。
これは良いことだ。

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