2007 X'mas

メディアの調子が悪く、カメラではプレビューできているのに、PCではプレビュー出来ない。
おかげで、10数枚しか残っていない。
残念!


2年ぶりに見る子供たちは、少し逞しくなり、同年輩の人達は、年齢を感じさせた。
元気だった人が病気になっていたり、定年退職していたり。
奥さんに子供が生まれ、今回参加できない人。
2年という時間は、短いようで長かったようだ。
目に見えない時間を、具体的に見せてくれた。
逆にベースの岩田さんは、もう 10 年も来てくれている。
「そうか、もうそんなに来ている?」まるで 2.3 回しか顔を合わせていないように感じる。
年に一度しか会わないというのは、ある意味で鮮度を保っているということだろう。
また、余計な記憶を甦らせてくれないこともある。
観客も 10 年連続で来てくれている人もいるし、今回初めての人もいる。
持ち込みのパーティなので、集まる料理がバラエティに飛び面白い。
それを目当てに参加している人も多い。

今回は、昼過ぎにはミュージシャンが全員到着していたこともあり、念入りにリハーサルを積めた。
東京の教室からも大阪の教室からも、時間を調節したりして、多数参加した。
おかげで準備や後片付けがはかどった。

演奏が終わった時「先生何がとは言えないのですが、前回とまるで違いますね」と常連の人たちの嬉しい言葉も飛び交った。
違いが聴き取れる耳も育ってきているということだ。

ジャズは、ジャズ愛好家だけの為のものではない。
また、音楽は音楽を好きな人だけの為のものではない。それを実証するためのパーティでもある。
何よりも、子供たちは素直な反応を示す。
喜んではしゃぎ回る子供もいれば、身体が無意識的にリズムを取り、揺れている子供もいる。
大人は、ある意味で世間体や、人に気遣い本当のことは言わない。
分かったような評論をする人もいるが、そんな言葉を全部飛ばしてしまうのが、力のある生きている音だ。
つまり、パフォーマンスに対して口を挟める隙があってはいけないということだ。
来年はソロコンサートするので、そういったことも頭にあり、全力で演奏をした。
久しぶりに汗を流した。
自分の流れやリズム、イメージを、こと如く裏切り壊す。
そんな歌わない演奏、流れない演奏。
いや、既成の音楽という概念をぶち壊す演奏を正当化するには、圧倒的な力や技術がいる。
演奏スタイルの違いではなく、音楽というものに対する概念の違い。
「俺のやっていることを音楽というなら、音楽の歴史にある音楽は音楽ではない。逆に言うなら、俺の音楽は音楽ではない」 25 歳の時にその言葉を吐いて、前衛の道を突き進んできた。
その頃から、前衛=分けの分からないもの、という認識を覆そうとしていた。それも革命だ。

約 20 分程のソロ。
2 度ほどスティックを飛ばした。
握りを極限まで緩めたので、ミスタッチがあると飛んでしまう。
まだコントロールされていない、ということだ。
練習の量が必要だ。
でないと、これは解消されない。
音は、想像していたよりも静だ。
音が暴れていない。
「ラウドではなかったが、身体にずっしり響いた」
と観客。
握りの柔らかさが、この音を生んでいるのだ・

しかし音は思っていた通り、空間を支配できた。
といっても、それは私の体感したこと。観客は…。
言葉としての現われは、様々だが反応は共通していた。殆どの人の頬は紅潮し、興奮状態になっていた。
「本当に来て良かった」皆が言ってくれた。
「これがパフォーマンスだし、コンテンポラリーやで」ダンサーが数人いたので、プロの舞台というものの実際を体感し、自分達の甘さを実感したようだ。
「よっしゃ!コンサートは成功するで!」

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