目次
大騒動の序
大騒動の序2
大騒動の序3
大騒動の序4
大騒動の序5
大騒動の序6

これが大騒動

 

梅田の店で残ったのは俺だった。おかげでフルーツ場を任される事になった。リンゴ、ミカン、メロン、その他、フルーツポンチやパフェ、メルバ等々、フルーツのカットから飾りカット。いずれにしても包丁を使うのは面白い。難しいのはこの上ない。
「日野君ジュース用のリンゴが足りないから20個ほどカットしてくれ」「はい」私は厨房のドア付近にあるリンゴ箱からリンゴを取り出し、ゴミ箱の上に腰を下ろし先輩がリンゴをむいていた様にリンゴを剥く。
それを見ていたチーフが「日野君リンゴの皮は削るのではなく、剥くんやで」「はい」というたものの確かに俺の皮は分厚い。セカンドの人が私に側に来た。「日野君見ときや」リンゴを一つ取り両端を落とし、人差し指と親指でリンゴの芯を持ち、ペティナイフとリンゴを動かしながら皮を剥いていった。リンゴの皮は、透き通り向こうが見えるくらいに薄い。皮は規則正しくゴミ箱に向かって飛んでいく。当たり前のことだが、剥かれたリンゴはリンゴの丸みを残していた。
俺が剥いたリンゴはナイフの跡が付きガタガタだ。「削ったらあかんで」畜生!!分かってるわい!分かっているけどでけへんねんやないか。
休みの日は家に帰る。その週の休みはリンゴを大量に買いリンゴ剥きの稽古をした。チーフは最初は、ペティナイフで親指を切ったり、刺したりするからリンゴが血で赤くなるから、その血の赤がリンゴ中に染み渡る前に剥いていくんや、と修業時代の話をしてくれた。
それを思いだし、リンゴに取り組んだ。しかし、いっこうに親指を切らないし刺さない。
きっとリンゴの持ち方、ナイフの持ち方が違うんや。一個のリンゴが小さくなるまで剥く。何個か剥いた時、左手の親指をナイフで刺した。「これや!!」
チーフの修行時代と同じレベルになるかもしれない。この感触を憶える為に、残りのリンゴを剥いていった。リンゴの原型を止めない位小さくなるまで。そうか、小さくなるまで剥けると言うことは、これもチーフが言っていた卵で剥く稽古をした、というのも出来るやんけ!リンゴ剥きを習った時、チーフが卵で剥く稽古をしたと教えてくれた。しかし、その時は、卵もしっかり持てないしペティもちゃんと持てなかった、だから、卵で稽古は出来なかったんだ。
どんなことでも、一歩一歩前進することはない。停滞もあれば後退もある。しかし、記憶の片隅に先輩のアドバイスが残っていれば、何れ気付くことがある。自分の実力のレベルと共に、そのアドバイスがアドバイスではなく過程として気付くこともある。何でも練習あるのみや。
「おっ日野君、だいぶリンゴが剥けるようになったなあ」とチーフに言われるまでどれくらいリンゴを剥き、卵で稽古をしたか分からない。ある時、たまたま暇な時間が出来た。チーフが「ジュース用のリンゴが少なくなってきたから、ついでにリンゴ剥きの競争をしようか」と言った。「まかさんかい」俺は自信があった。俺の下に入った二人の見習も含めて6人で競争や。
「いくで、ヨーイ始め!」俺は、とにかく早かった。リンゴもきれいに丸みを持っていた。刻むのも早い。「止めー!」一分たった。俺はリンゴ四個を刻み終わっていた。一番早かった!「日野君大したものやで」チーフもセカンドも誉めてくれた。
当たり前や、どれだけ練習していると思ってるんや。俺は相変わらず、本店のカウンターにも入っている。仕事は時間と量や。これが無かったら人並み以上になるわけ無い。
16才秋……だったと思う。
支店に可愛い女の子が入ってきた。それにいち早く目を付けたのは、東京から就職してきたアイビーの18才や。何週間か経ったある日、そのアイビーが「日野君、チカちゃんと映画に行きたいだけど…」と寮で俺に話しかけてきた。「行ったらええやんけ」俺はどうもアイビーのボケが嫌いだった。もちろん、東京弁も肌に合わない。何が「じゃんやねん、おまえは消防か」よくからかったもんや。アイビーは照れくさくて言えないらしい。「しやないな、ほんなら言うといたるわ」アイビーは本店勤務なので、チカちゃんとあまり顔を合わす機会が少ない。売店の女の子を通して、チカちゃんに伝言したんだが、返事がなかったらしい。だから俺に直接伝えて欲しい、と言うことだ。
これが後々とんでもない騒動になっていくとは、俺自身夢にも思わなかった。

 

店の女の子に「チカちゃんに伝えたったんか?」と、とりあえず確認を取った。「伝えたよ」と言うことだった。ほんなら、チカちゃんに気がなかったんやんけ。しかし、約束をした手前チカちゃんに直接伝えることにした。たまたまその日はチカちゃんと昼の休憩が同じだ。
「チカちゃん、アイビーを知っているやろ。あいつが映画に行かないか、と言ってたで」「……、日野君も一緒に行く?日野君も一緒やったら行ってもいいで」「なんでやねん、アイビーは二人で行きたいんやで」「それやったら行けへん」「分かった、そういうとくわ」何のこっちゃ。
その夜、寮に帰ってアイビーに伝えた。「何でやしらんけど、二人だけやったら嫌みたいで、俺も一緒に来てくれと言うてたで、どうする」「一緒でもいいよ、とにかくデートしたいんだ」「ほんなら、俺が途中でどこかへ消えたるわ、それで良いやろ」「ありがとう、日野、恩にきるよ」
何とも悠長な話だが、40年くらい前はこんなものだ。しかし、これで胸がときめくのだから感性は鈍くない。
提灯持ちとしてチカちゃんに、アイビーはそれでも良いと言っていたことを伝えた。チカちゃんは喜んで日時を決めた。なんせ、本店と支店だからお互いの早番遅番の時間もローテーションが違う。
何週目か後に、3人が早番の時があったので、その仕事が終わってから映画を見に行くことになった。
何の映画を見たのかは全く憶えていないが、とにかく見た。途中で消えようにも消えることが出来なかった。俺をはさんで3人で席に着いたからだ。アイビーは手を握りたかっただろうが、俺が邪魔でどうにもならない。きっと映画も上の空だっただろう。
映画が終わり、お茶でも飲もうとアイビーが提案したが、チカちゃんは遅くなったら叱られるから、ということで、千日前の市電の停留所で別れた。
アイビーに、今度はお前が直接誘えと言った。「照れてもしやないで、お前が直接言わないからこうなったんや。チカちゃんが遅番で、お前が早番の時支店に来いや、それで直接言うたらええやんけ」「そうするよ」

俺は仕事の事で頭が一杯だったので、チカちゃんもへったくれもなかった。手は段々早くなっていった。しばらくして、アイビーが支店に顔を出した。チカちゃんに直接言う為だ。寮では毎日、アイビーは何時言うんや、で持ちきりだった。寮は職種も年齢もバラバラだったので、恋愛の先輩達はアイビーに色々とアドバイスをした。というより、きっとおちょくっていたのだろう。アイビー真剣であればあるほど、おちょくりがいがあるからだ。
和菓子の職人のムッチャンは沖縄から就職してきた。ムッチャンは身長が150センチほどだったが、どこかしら底力があり面構えが濃くて負けん気が強そうだった。和菓子のアンを炊き込んだ大きな釜を抱えて歩く姿はこっけいなのだが、どこからそんな力が湧いてくるのか不思議に見えた。
そのムッチャンからは沖縄の空手の話をよく聞かされた。話を聞くほどに、本土の空手とは比べものにならない位実戦性を持っている事に驚いた。同時にそれを習いたかった。俺は当時は喧嘩を良くしたが、ほとんど素手ではしたことがない。身体が小さい事もあるが、俺のパンチなど効かない事を知っていたからだ。もちろん、俺自身も人から殴られているから、パンチは効かない事を身をもって知っていた事もある。
その夜、アイビーの成果を聞くのを楽しみにしていた。しかし、深夜になってもアイビーは寮に戻ってこない。
「アイビーは、チカちゃんとうまいことなって、ホテルにでもしけ込んだんとちゃうか」と盛り上がっている時、目を腫らしたアイビーが帰ってきた。直接付き合う気はないと断られたのだ。
後日失恋したアイビーは東京へ帰った。「日野君、東京へ来たら何時でも俺んちへ来いよ」と言い残して。

 

寮は沈黙した。そうかふられたんや。「アイビー、人生色々あるよ、女なんて星の数ほどいるから」一番年長のおっちゃんが慰めた。おっちゃんの若い頃の話で皆に笑顔が戻った。
別段寮に入っている連中は、同じ職場だとは限らない。故郷も年齢も学歴も全部バラバラだった。それが、皆から嫌われているアイビーがふられたこと。ふられた気持ちを共有出来ていたのだ。それぞれが、それぞれにだ。
今から思うと、このおっちゃんはどう見ても当時50才位か、それよりも上だったような気がする。どおりで遊郭の話が頻繁に出ていた筈だ。おっちゃんの若い頃は、遊郭で遊び方や女性の扱い方を習ったそうだ。そう言えば、俺も中学の時、遊郭から学校に登校したこともあった。遊び方や扱い方は習っていないが。

アイビーが東京に帰り、俺は仕事に精を出していた。12月に入って、クリスマスのメニュー作りに、主任達は厨房を陣取っている毎日が続いていた。あのアイビーとの三人デート以降、チカちゃんと口をきく機会が増えた。同じ遅番の時、途中まで送って行くこともあった。
冬のくそ寒い中、梅田から御堂筋を難波まで歩いた。お互いに年齢が同じだったせいか、話は弾んだ。しかし、チカちゃんは家の事を話さないので、気にはなっていたが、別段俺の彼女でも何でもないのでどうでも良かった。そんな、絵に描いた様な、昔の日活の青春映画のような毎日が続いていた。
この当時は、もちろん週休制だが、残業につぐ残業だし、休みもほとんど取れなかった。大晦日は夜8時まで仕事で、休みは元旦だけだった。正月の二日には仕事をしていた。オーダーの三揃えを来て初詣へ行く位が楽しみだ。この正月はチカちゃんと奈良の春日大社へ行った。……と思う。

そんなある日、出入りのコーヒー屋さんが、「日野君、今バーテンを探している店があるんやけど、いけへんか」と仕事を持ってきてくれた。今でいうヘッドハンティングだ。「えっどんな店?」俺は、とにかく仕事を一人前にしたい、という事しか頭になかったから、この店よりも仕事が出来たらどこへでも行きたいのだ。
「日野君が一人で切り盛りせなあかんねんで、小さな店やけどワン・バーテンや」「えっほんま?」ワン・バーテンのしんどさは、ドライで経験済みだ。だからそれは分かる。しかし、ソフトの方のワン・バーテンはまた違うだろうから、絶対にやってみたかった。俺は主任に「ワン・バーテンの話があるので、行きたいのですけど」と持ちかけた。
主任は「まだ早いからやめとき。日野君くらい熱心に仕事をするんやから、もっともっと仕事を覚えて、それからいくらでもチャンスはあるから」と言ってくれた。しかし、ガキの俺にはもうその話は耳に入らない。とにかく、思い立ったことをやらなければ気が済まないのだ。
「まあ、しばらく考えてみい」「はい、分かりました」
寮に帰って皆に話してみた。おっちゃん以外は全員「日野君、それはチャンスやで。若い時にしか冒険出来ないんやからやるべきやで」と盛り上げてくれた。チカちゃんにも話してみたら、やはり同じで「ワン・バーテンやったら工夫のしがいがあるやん」で一致した。
その月末、俺は店を辞め一人で新しい喫茶店に行った。確か大国町あたりだったと記憶する。小さな喫茶店だ。「コーヒー屋さんに聞いて来ました。日野です」「よう来てくれたねえ」ママが迎えてくれた。早速メニューを見た。俺の作れないものがあるのかないのか。全部作れる。俺は一安心し、厨房の中に入った。汚い。「なんじゃこれ、掃除からせなあかんやんけ」冷蔵庫の中も乱雑だ。きっと仕事の出来ない奴が入っていたのだろう。
コーヒーを入れ、生クリームを泡立て色々と準備をした。小さな喫茶店はバーの様にオープンカウンターだ。だから、こぎれいにしておかなければならないし、お客が来たら「いらっしゃいませ」と応対も必要だ。
ここの店のことは、これ以上余り記憶にない。きっと数日で辞めたのだろうと思う。何一つ勉強にならなかったからだ。
「よっしゃ、ほんなら東京へ行ってやろう」

 

東京での就職はいたって簡単だ。
南海電車の難波駅構内にある売店で「東京スポーツ」が売っていたからだ。その新聞の就職欄には「新聞配達員」と「土木作業員」「キャバレーのボーイ・バーテン」他が沢山載っていた。
中学の時に家出した時も、この売店で新聞を買い新聞配達員の仕事を決め上京した。ポケットには5000円だけ持って。
今回もその調子で、新橋にある喫茶店のバーテンの仕事を決め上京した。その店は、銀座側とは反対で、新橋の駅から徒歩5分くらいにあった。いわゆるオフィス街だ。社長から面接を受けその日から働いた。
しかし、相変わらず東京弁はなじまない。身体中に虫ずが走る。中学の家出の時、新宿の交差点でボーッと立っていたら、「お兄さんタバコくんない?」と言われ、思わず大笑いしたことがあった。で「なんだよ、てめえ、なにがおかしいんだ」と喧嘩になった。オレは「くんない?…あほかぼけ、なにぬかしとんじゃ、いてまうぞ」と怒鳴り返したら、相手はフリーズし喧嘩にはならなかった。

今回はバーテンの勉強だ。喧嘩をしに来たわけではない。私はその店の支店のチーフとして雇われた。ビルの地下にある小ぎれいな店だ。セカンドに入っているのは、何でも茅ヶ崎から通勤しているサラリーマンで、夜だけのアルバイトだった。
このセカンドが酒飲みで、店のウイスキーをよく飲んだ。その帳尻を合わせるのが大変だった。社長に見つからないようにしなければ、そのセカンドは首になるからだ。毎日毎日かかさず社長は帳簿に目を通しに来る。帳簿は間違っていないが現物だけが減っていく。
最初はうまく誤魔化せていたが、角瓶が半分になると誤魔化しようもない。醤油をうすめウイスキーに足すしかない。まあ、喫茶店でウイスキーを飲む客はほとんどいないので、オレが辞めるまではばれなかった。だからセカンドも首にはなっていない。
しかし、バーテンの仕事はぬるかった。というよりも、テーブルが30席ほどの小さな喫茶店だから目の回るような忙しさはない。これがどうもオレの性に合っていないようだ。暇な仕事は余計な事を考えさせる。あまり仕事が暇なのでさっさと辞めた。何も勉強にならないからだし、面白くなかったからだ。何の工夫もなしに一日過ぎる、これがたまらなく苦痛だったからだ。

オレは、辞めた足で巣鴨に向かった。巣鴨の青果中央市場で、大阪の喫茶店で一緒に働いていた奴が働いていたからだ。その日の内に、住み込みで働くことが決まった。新橋の喫茶店ももちろん住み込みだ。畳10畳くらいの部屋に、バーテンやボーイ5人くらいが雑魚寝だ。布団は湿気で重く、臭い。しかし、他人と同じ部屋に寝るのは楽しい。それぞれの生い立ちや、はったりのかまし合い。それらが楽しい。これがガキの特権なのだろう。
もちろん、全員オレよりも年上だ。しかし、履歴書は嘘っぱちなのでオレが年下だとは誰も知らないし、気付かれたこともない。

青果市場の仕事はきつい。秋もたけなわだったと思う。だから朝3時30分起床は寒い。4時に市場到着。倉庫の品物チェック、掃除。そのあたりからセリが始まる。戦争の開始だ。

 

「大八車には少し手こずった。ミカンの箱を3個乗せただけで、後ろに引き上げられてしまったのだ。これには少々慌てた。市場の兄ちゃんやおっちゃんは、俺を見て笑っているだけで誰も手助けしてくれない。そうか、皆が通った道なんや。
そんな新米が面白かった。リンゴのセリ。何を言っているのかさっぱり分からない符丁のやりとり。活気があって面白い。セリが終わり、得意先の果物屋や八百屋が買いに来る。それを車に配達。もちろん、ごった返した市場の中の配達だから、何時も背負って持っていく。最初は、背負い方が分からないから、前で持つしかなかった。しかし、それはかっこうが悪い。
まるでど素人だ。何とか肩で背負うように工夫を重ねた。
家に帰るのは午後4時過ぎになる。家に帰ると、主人から風呂だ。家族の人が全員入ってから俺等丁稚だ。
テレビは8時くらいまでしか見ることが出来ない。というより寝てしまうからだ。食事もそこの果物屋一家と一緒だ。しかし、これは京都で丁稚をしていたときよりもましだ。あの時は、ほとんど腐りかけのご飯に、おかきをふりかけての茶漬けばかりだった。

休みは日曜祝日。果物屋の家は十条にあった。そこから池袋に出て、連れがバーテンをする喫茶店でだべるくらいしかする事がなかった。後は、大阪の喫茶店で一緒だったアイビーの勤める東京タワーボールでボーリングをするくらいだ。ボーリングは、中学の頃大阪で初めて梅田に出来た。その頃に女の子と行って以来だ。しかし、不思議にスコアが良い。170点平均を出していた。だから、そこのプロボーラーが指導してくれた。とにかく最初は直球ばかり投げろ、と。まあ、何を教わったとしても直球しか投げられないのだが。
となると、退屈の虫がうずき出す。何かおもろいことないか、だ。

秋が終わり冬になっていった。その頃になると、何と大八車にミカン箱80箱は乗せて運べるようになっていた。一箱20キロだから一トン以上だ。50キロ足らずの体重しかない俺だが、自分ながら凄いと思った。また、これくらい運ぶとかっこいい。皆がよけてくれるし、誘導してくれるのだ。一寸一丁前になった気分だ。
12月の早朝はいくら慣れたとはいえかなりきつい。掃除の為に倉庫に行くと、なんと屋台が出ていた。早朝にだ。まあ、それもそうか、とにかく寒いから、一杯引っかけ身体を温めて仕事をしろということだろう。俺は、ここでいつも一杯引っかけることにした。まあ、早朝の一合だからどってことはない。バーテンをしていた時は、オールド一本は空けていたんだから。
そんなある日、主人に呼ばれた。
「日野君一寸」
「ハイ」
「日野君、朝から酒臭いねえ、酒を飲みながらの仕事は駄目だよ」
「えっ、何でやねん、仕事もちゃんとしてるし、かめへんのんと違うんか」
「駄目なものは駄目だ!」「何い!何ぬかしとんじゃ!ほんなら、最初にそういわんかいボケ!」
「何だ、その口の利き方は」
「じゃかましいわ!おかしいやんけ今頃言い出すのは、ボケーほんなら辞めたら!」
「そうしろ!」
これは時間が経って考えたら罠だった事に気付いた。丁度ボーナスを出す時期だった。俺の気が短いのを主人は計算に入れていたんや。
これがガキやというとこや。けったくそ悪い、どうしたろか、一寸やろうけどボーナスを貰わずに辞めるのはあかん。


この辺りの時間と仕事は一寸混乱していて思い出せない。
ただ、テレビでモデルにもなった、やりてママの経営するクラブで働いていた。
これは、ドライの最初に入ったおやっさんの紹介だ。そこにはチーフがいたので、セカンドではいった。

店は高級クラブだ。フルーツといえばメロン。メロンを半分に切り、氷をダスターでくるみ砕き、種をとったところに入れる。そしてブランデーを注いで当時5000円だった。ブランデーはヘネシーの三つ星だ。しかし、このヘネシーはくせもので、何と一本700円の大黒ブランデーを詰め替えていた。
でも、飲んでみると酔っていたら分からない程の良い口当たりだ。ママのマンションは俺のおふくろの家の直ぐ傍だった。だから、夜は俺が送ることが多かった。ママは、二人の男を上手くコントロールしていた。若くて和服の似合う美人とくれば、男は放っておくはずもない。
客あしらいも本当にうまい。こういったところのやり手のママに美人は少ない。にもかかわらず繁盛しているのは、全部客あしらいが上手かったからだ。本当に口八丁だ。何よりも、とぼけるのが上手い。

ある時、店でしこたま飲み酔っぱらったママをマンションまで送った。ほとんど店では飲まないママだった。しかし、その日はママの彼氏が来ており、盛り上がって酔っぱらってしまったのだ。
セカンドの俺は、ママやホステス達を他のテーブルからお呼びがかかっていないかに始終気を配る係だ。たとえ指名でついているテーブルに座っていても、他のテーブルに空きが出来るのはまずいので、そこに回す為に声をかける。ついたテーブルで酔った客に、からかわれていたり絡まれていたりするのを見つけると、さっさと他のテーブルに動かすのもセカンドの役目だ。
こういうことは、中学の時のキャバレーのバイトで知っていた。もちろん、俺が一人でバーを切り盛りした3ヶ月間でも体得していた。だから、優秀なセカンドだった。

ママをマンションの入り口まで送り帰ろうとしたら「アキ坊、部屋まで送って」と言われた。ママの言うことだから仕方がない。「ひょっとしたら?」というのも手伝って「はい」といって、ママをエレベーターに乗せ部屋に入った。
「何か飲む?」「じゃぁビールを頂きます」俺は、ママと部屋のソファーに腰を下ろしビ−ルを飲んだ。「アキ坊、私幾つだと思う?」いくら若く見えるといっても、ママをそして高級クラブを経営するくらいだから30代前半、もしくは30才位だろうと思っていた。
もちろん、女性の年齢を分かるほど女性の事を知っているのではない。「さぁ、30才位と違います?」「ほんまにそう見える?」「……はい」「アキ坊、絶対に人に言ったらあかんでぇ」美人ママと秘密を共有出来る嬉しさから「もちろん、誰にも言いませんよ」ワクワクした。
「ほんまはね、21才やねん」「ええええっっ!!?ほんまですか」「ほんまや、私は姫路の貧しい家で育ったから、絶対に大阪で一肌上げてやろう、と思って出てきたんや、アキ坊は19才やから二つしか違わないんやで」「…ほんまですか?」もちろん、俺は19才ではなく17才や。
このママが、俺が店を辞めしばらくしてから北新地にもクラブを出し、その後ガンで死んだ。ママの波瀾万丈の人生が、小説になりテレビドラマにもなった。

 

この時、16歳だった(?)筈だ。喫茶店で東京のアイビーが熱を上げていたチカちゃんと再会した。しかし、その再会こそ私の人生一発目の大ピンチになったのだ。
ミナミのお袋の家で店に出かける準備をしていたときの事だ。黒い車が家の前の路地に止まった。その車を見て、何だか嫌な予感がした。男が二人家の方に歩いてきた。みるからにその筋だ。俺は男と視線を合わせたままじっとしていた。
「日野の家はどこや」男は聞いてきた。「俺が日野や」「そうかお前か、ちょっと顔かして貰おうか」男二人は、俺の腕を両側から掴みにきた。「やばっ」と思い「一寸待て、どこへも逃げへんわ、服を着てくるから待っとれ」俺は家に入り背広を着た。ストライプの入った三つ揃いだ。もちろん、オーダーメイドだ。服でハッタリがきくとは思わないが、まず外見だ。
「お母ん、何や知らんけど、うっとおしいのが呼んどんねん、一寸言ってくるわ、何かあったら頼むわ」「そうか、気いつけてな」おふくろは芸者だ。芸者はその筋も何も恐いものなし。俺がビビッているのにピリッともしなかった。これには、さすがに驚いた。
俺は、男二人と車に乗った。車の中でいきなり「おい、日野お前ヘタうったな」「やかましい、何をやねん」精一杯虚勢を張った。この先どこへ行くのかは想像がつく。沈黙が俺の恐怖を煽った。きっと小便をもらすくらいだっただろう。
車は上本町から鶴橋、今里まで来た。当時はまだ市電が走っていた。「やっぱりな」俺は心の中でつぶやいた。この辺りには、その筋の事務所が沢山あるからだ。しかし、俺が誰にどんな下手をうったのか、それが分からない。原因が分からないというのが一番厄介だ。手の打ちようがない。もちろん、手を打つといっても、どう誤魔化すか、どういう嘘をついてその場を逃げるかしかないのだが。しかし、どう考えても思い当たることはない。
車は事務所の前に止まった。男と俺は事務所の中に入った。「お前、ええ根性してるやんけ、よう逃げへんかったなあ、まあ上がれ」事務所の中から、階段を上がって奥に通された。靴を脱ぎ座敷に上がった。
「日野君、ごめん、えらい事になってしもた」何とチカちゃんが走り寄ってきたのだ。何でここにチカちゃんがいるんや???頭の中は????だらけだったが、チカちゃんの表情を見て何となく成り行きが分かった。
座敷の上座に親ぐらいの年齢の男、その両端に先ほどの男二人とチカちゃん、その前に俺、俺を挟んで数人の若い衆。まるで日活の映画やんけ。俺は正座をして口を切るのを待った。
「おい、日野と言うんか、お前えらいことをしてくれたなぁ、チカはなぁ、こいつの許婚や、その女に手を出したんや。どうしてくれるんや!おとしまえつけ!」
正面にいた親父が俺を怒鳴りつけた。間髪をいれず「あほか!俺が何をしたいうんじゃ、何にもしてないわボケ!」と反射的に怒鳴り返した。「ガキが、俺の女を傷ものにして、何をぬかしとんじゃ!すぐに沈めたるから」こういう展開はどこでどう間違ったのか、さっぱり見当が付かなかった。
実際チカちゃんとはお茶を飲んだ程度だ。ということは、チカちゃんが誰か他の男と何かあって、俺の名前を出したのではないか。咄嗟に推理した。それならそれで言い訳をすればチカちゃんがやばい。どうしたろか。頭は高速度で回転する。表情を読まれたら負けや。その間一秒か、一時間か、まるで別次元のような時間だったに違いない。
俺は咄嗟に「俺がチカちゃんとできて何が悪いんじゃ、俺等は結婚するんやから!」「……なんやて…」場はこの一言で、一瞬にして静まり返った。俺はここぞとばかりに「結婚するのに何があかんのか言うてみいや!何で付き合ったらあかんのか言うてみい!」と畳み込んだ。よっしゃ!勝った!場の空気が変わった。
「何をこらっガキが!何が結婚じゃ!」許婚の若頭が吼えた。「何が許婚じゃ、そんなもんいつ決めたんじゃ、言うてみろ。ガキの頃の話なんか通用するかボケ!」「一寸待て」親父の組長が間に入った。
急に言葉つきが変わって「日野君、年は幾つやった」「俺は16歳や」「それやったら結婚は無理やで」「何でやねん、人を好きになるのに年なんか関係あるかい、法律なんかどうでもええんじゃ」「それは分かるけどな、こうしよ、日野君が18歳になるまで結婚は待ってくれるか、それまで頭を冷やして、後2年してどうでも結婚したかったら結婚したらええ」
収まった。勝った。俺は、結婚なんてどっちでもいい。とにかく、このピンチを切り抜けられたから、それだけでほんまに良かった。
「便所へ行きたいんですけど」俺は脚の痺れを悟られないように立ち上がり、廊下を歩いた。チカちゃんが走り寄ってきた。「ごめんな、ほんまにごめんな、えらいことに巻き込んでしもて」「かまへん、かまへん、どうにかなったんやから」
精一杯の見栄を張った、男16歳の春だった。


このページのトップへ