体操競技に取りつかれる
中二の初恋物語
初恋物語2 
三都市大会が始まった
昼食になった
中学時代はこんな時代
人生最初の決断

俺が弱いということを知ったのは
俺が弱いということを知ったのは2

●体操競技に取りつかれる

逆手大車輪が出来たことで、体操競技というものは面白い、と教えてくれた。
鉄棒に関しては、次から次へと種目が完成されていった。これも面白いものや、一つのことが出来たら、関係する周辺が勝手にできていくんや。蹴上り、俗に言う大振り、中抜き等々、そう努力をせずに三人とも出来るようになってしまった。これらの細かいところが出来なかったら、試合には出られない。規定種目があるから、それをクリアしなかったら自由種目には出場できないんや。
三人は、規定種目を徹底的にマスターした。同時に、順手大車輪にもチャレンジしたが、これは冬には全員出来るようになっていた。しかし、これも大変な状態に何回もなった。それは、順手車輪で鉄棒の真上に来たとき、回転が弱いから逆回ってしまうんや。最初の時は、どうしょう!とあせったで。逆に回転したら手が離れてしまって、後ろに吹っ飛んでしまった。周りにいてる奴はびっくりしよった。「大丈夫か!」と駆け寄ってくれた。俺は内心頭を打って死ぬんと違うかとあせったけど、そこはかっこつけなあかんから「大丈夫や何ともないで」といって、すかさず鉄棒に飛び付くんや。
せやけど、その時は何回やっても逆に回転してしまった、後で考えたらビビリが入っていたから、鉄棒の握りが強くなっていて回転が鈍くなったんや。そんなアクシデントばかりの中で体操の魅力に取りつかれていったんや。家に帰ったら、倒立やバランスの練習、跳馬も何とか工夫して練習できないかなあと考え、当時着物などを入れる柳の木で編んだ郡(こおり)を持ちだし、馬替りにし飛び込んで稽古をした。
勉強?そんなもん、全く興味が無かったから全然したことがない、学校へは体操をしに行っていただけや。授業中は、ずっとスケッチや、つまり、運動線や力の方向など、人体と運動と器具を書いて徹底的に研究していた。何かヒントを得たら、休憩の10分に運動場に全力疾走で降りていき、鉄棒にぶら下がったり砂場で試したりしていたんや。揚げ句の果ては、人形等を持ちだして、具体的に考えていたこともあった。中学1年の熱い冬や。
理科や数学の授業で、運動線や力の方向など習ってないで、そんなもんは全て「必然」が教えてくれるもんや。「必然」がないところに学問なんか身に付くわけない、逆に、必然が有れば勝手に「分かる」もんや。それが人間の不思議なところや。

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中二の初恋物語 

この中一の冬は、ひのあきらにとって人生を左右した一つのターニングポイントだったのではないかと、今になって思う。一つは体操、一つは前に書いた喧嘩、この二つが例えば現在の武道研究に大きく関わっていることは間違いない。近くの中学に軒並み殴り込んだり、逆に殴り込まれたり、行くところが無くなったから高校にまで殴り込んだり。待ち伏せをされ袋叩きにあったり、恐喝をされ泣きながらお金を渡し、立ち去りかけて後ろを向いたところを思いきり殴り倒したり、木刀で、バットで、チェーンで、ナイフで、人間は結構タフやという事を身体で覚えた時期だ。
体操も大阪府の大会に初めて出場し個人で六位に入り、二日後の市の大会では四位、それで大阪市の代表選手に選ばれ三都市大会(大阪・神戸・京都)に出場、鉄棒で最高点を出した。それから、大会では顔を売ってしまったから楽勝やった。
俺達は現在団塊の世代と呼ばれているが、この頃はベビーブーム世代と呼ばれていた。一学年が870人から80人は居た。学校全体では約3000人近い人間がひしめいていたんや。おかげでホームルームというものは無し、授業が終わると学校中が大移動をするんや。
中二の時、その大移動で次の教室に向かった。教室はまだ前に使っていた連中が残っており、中に入れなかったから、何気なく窓から運動場をボケッと眺めていた。「あっ」と心の中で叫んだ。無茶苦茶可愛い子が運動場を横切っていたんや。
「あの子は何組やろ」身を乗り出し目で追ったんやけど校舎の入り口に消えてしもた。胸がドキドキして、咽が渇いて、完全にのぼせ上がってしまったようになった。これが は・つ・こ・いや!
次の休み時間になって、急いで二年生の各教室を回った。やんちゃの仲間が俺が走り回っているもんやから、「どっかの中学が殴り込みにきよったんか!」と俺の後を走って付いてきよった。「ちゃう、ちゃう、俺の用事や」俺は、そいつらをまいて、探し回ったが、そもそも、何組がどの教室へ行っているのかが分かれへんから、探しだせるわけがあれへん。
まあ、この学校にいるということ、同じ学年ということは確かやからその内に又出会うやろ。と思いながらも、そわそわし落ち着けへんかった。多分数日してからだと思うけど、又見かけた、何と同じ体操クラブで俺と一緒に夏休み特訓をした奴と同じクラスやった。
ラッキー!俺は放課後、そいつに「クラスに可愛い子いるやろ」と聞いてみたけど、「どいつや」というだけやった。明くる日、そのクラスの移動教室のスケジュールを聞いて、顔を見に行った。名前も知らんねんからどうにもならん。同じクラブのやつを呼ぶように教室に顔を出すと、やんちゃの一人も一緒やった。「しもた、何を言いよるか分かれへんな」と思いながら、教室を見渡した。すると、その我が初恋の君は誰かと話をしていた。突然そのやんちゃが「何や日野、何か用か」と大きい声を出しよった。
初恋の君もこちらを向いたので目が合ってしまった。多分真っ赤な顔をしたんと思う。「ちゃうで、クラブの奴に用事があるんや」と誤魔化したけど、「日野おかしいぞ」と勘付きそうになりよった。俺は、クラブの奴と教室を出て、初恋の君の場所を言うたけど分かりよれへん。「お前、こっちを向きながらその辺へ行け、そのこの前に来たら合図をするから」と教室へ帰した。そいつは、うろうろしながら、その子が居る方向に行きこちらを向いた。
「そうや、その子や」俺は、頭を振って返事をした。

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初恋物語2

初恋の君と話をしていた数人の女生徒が、クラブの奴の挙動を不審がってこちらの方にも視線を移してきた。俺はとぼけた顔をして、クラブの奴を呼んだ。「あいつの名前は『栄子』やで、そやけど何でや」「何でて可愛いやんけ」「それやったら、日野が好きや言うてた、と言うといたろか?」「あほか、かめへん名前が分かったらええわ、ほんならクラブでな」
それからというものは、屋外でのクラブの練習は特に熱が入った。もっとうまくなったろ、もっときれいに出来るようになったろ。恋は人間の潜在能力に火をつける。
頭の中はその子のことばっかりや。クラスの男連中が寄ったら女の子の話になるのは時代を越えて何時も一緒や。純情というか、バカというか、何も知らないという事は怖いことやし面白いことや。
恋の話はいくらでも盛り上がるが、その次の段階の手を握ったりキッスに始まる体験は誰も無いんやから、全部想像や。それだけに薔薇色になるだけで灰色になるなんて誰も知らない。誰も女性を知らないんやから(でも俺は中学一年生の時に……)。
俺のクラスでは時間と共に俺が「栄子」という、他のクラスの子を好きだということが知れ渡ってしまった。俺のクラスには、学校で一番か二番くらいに人気のある女性がいた。その女性が俺に「何であの子がいいの?」と聞きよった。「ほっとけや、ええもんわええんや」その子は、多分俺に気があったんと違うやろか?何せ目立っていたからなあ。
ある時、屋外の練習をしていた時、ふと視線を感じその方向を見たら、二階の校舎の窓から女の子数人で俺の方を見ていた。よく見たら初恋の君も交じっていたのでドキッとした。同時に視線があったのか、初恋の君は窓から消えてしまった。「俺が好きや、というのを知っているんやろか?」俺は、初恋の君と同級生の奴に「お前、あいつに言うたんか?」「いいや、俺いうてえへんで」「ほんなら偶然やろか?今、こっちを見てたと思うんやけどな」
それは、俺が知らんかっただけで、その子の周りでは皆知っていたらしい。その原因は、悪い方の連れが俺のクラスの誰かにたまたま聞いて、それはおもろい、という事でその子の耳に入っていたそうや。
窓から見ていた、ということがあってから、練習にも熱が入りまくる。夏には三都市大会(大阪・神戸・京都)があり、俺は大阪代表に選ばれているので無茶苦茶盛り上がっていた。もちろん、その子が応援に来てくれたら最高やけど、それは無理というもんやろ。俺が何にも言うてえへんねんから。
その子の住所を聞きだすことに成功した。それは、成功というたいそうなもんやないんやけど、俺にとってはたいそうなもんや。同じクラスの奴に調べてもらっただけや。住所を聞いてびっくりした。何と、家の近所やったんや。自転車屋の子やったんや。
ラジオからは坂本九の「ズンタタッタ節」が流れており、俺の心境と全く同じやったから勝手にその歌を覚えて口ずさんでいた。「聞いてくれ、聞いてくれ話さなきゃいられないんだ、素敵なのさ、坂の上の白い家のあの子は素敵なんだ17才なのさ〜」と始まる歌や。もちろん、俺は17才ではないけど、それこそ青春の1曲や。

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三都市大会が始まった

三都市大会は神戸の王子体育館で行われた。俺らは、大阪市というチームで学校に集合し、現地に向かった。
会場につき着替えを済ませ、ウオーミングアップをかねて軽く鉄棒にぶら下がる。神戸や京都の連中も同じように練習を開始した。
大阪以外の連中はどれ程の技術を持っているのか分かれへんから、あまりたいそうな動きをせずに敵の実力を観察する。あんまりうまい奴がいたら、どつき回して出られへんようにしてもうたろか?と仲間で密談。
大阪の監督が俺の方に寄ってきて「日野君、皆は鉄棒で逆手車輪と順手車輪を必ず入れてくるから、日野君もいつもの逆手車輪だけじゃなくて、順手も入れてみよう、クロスの練習はしたことがあるんか?」「いいえ、ありません」「それやったら、今練習して入れるようにしよう」「はい」という具合で、今まで一度もやったことがない順手車輪から手をクロスさせ逆手車輪になる練習を始めた。
無茶苦茶や、今までに一回もやったことのないことを試合当日の直前から練習をするんやから。
俺は、順手で車輪を周りながらクロスするタイミングを見計らってチャレンジした。身体がねじれて視線はどこを見ているのか分かれへん。それでも、気が付いたら逆手で回っていた。何となく出来るようになってきたが、何とも心細い話や。
ぶっつけ本番とはこのことや。しかし、自分の中で違和感があって、試合で出来るような感じはなかった。何じゃかんじゃとしているうちに試合が始まった。俺は大阪のトップバッターや。
「大阪、夕陽ケ丘中学日野君」「はい」俺は鉄棒の下に立ち、クロスをするかしないかをまだ迷っていた。どちらにしても順手車輪と逆手車輪は入れなあかん。そやけど、出来る気がしない。そんな事が頭をよぎっているのが何万分の一秒か、何分か分かれへん位頭は真っ白けや。
目の前に鉄棒が迫ってきた。俺は、鉄棒にぶら下がり蹴り出した。無茶苦茶緊張しているから調子は最高や。何時もより力は余っている感じや。最高!この緊張感が潜在能力を引きだしよる。蹴り出しが無茶苦茶うまくいったから、その後も順調や、開脚リヤボルト、蹴上がり、倒立から順手車輪、回ってしもた。
さあどうしよう、車輪の回転数は三回と決められている、それをオーバーすると減点の対象や。
一回、二回、不安が頂点に達する。決断が迫られる。ええい、いってまえ!

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昼食になった

俺は順手車輪の三回目が倒立になりかけた時鉄棒の握りを強くした。回転は急に減速し足は鉄棒の方にくっついて来た。「よっしゃ」そのまま回転半径を小さくしトモエまでつなげ、無事に鉄棒にぶら下がる形になった。そこから方向転換し蹴上がり逆手車輪、横降り、着地、あっという間に演技が終了した。
どこにもミスが無かったから良い点が出るやろ、と思いながら審判に頭を下げて鉄棒から離れた。拍手がかなりあった。審判団が主審に集められた。「何でや?」と思っていたら、監督が近寄ってきて「日野君、今の演技の一番最初の振り出しが失敗したのか成功したのかでもめてるんや、得点が完全に二つに割れてしまって協議になったんや」
俺がやった振り出しは、オリンピックの選手などがやっているもので、鉄棒に飛びついたときに、身体を水平に振り上げ、その勢いで一回鉄棒の上位まで上がって、それから振り出しに入るのをやった。もちろん、それがカッコ良かったからやし、オリンピックでやっているんやから一番良い形やと思ったからや。
それが失敗とはどういうこっちゃ、後から分かったことやけど、その二つに割れた得点の良いほうは、9,8で悪い方は7,0やったそうや。その地域によって演技の採点が違うんやったら競技と違うやんけ。審判団が分かれて判定が出た。やり直しや、あほちゃうか、なんでやねん。
悪い得点を出しよった審判の意見が多分通ったんや。頭に来たけどやり直さなしやない、それやったら、ダサイ審判に合わした中学生らしい振り出しをしたらええんやろ、と、こころの中でつぶやきながら、鉄棒に飛びついた。順手車輪からのつなぎも上手くいって、無事に演技は終了した。
9,8や、ざまあみさらせ。大阪の選手達も俺の演技が上手くいったので気を良くして、誰も失敗せずに終わった。この段階では、大阪がまずリードや。
観客が沢山入っていた、といっても地元の中学生や父兄ばっかりで、知らん顔ばかり。俺は、何気なく知らん顔の観客席を見渡していたら、知っている顔が合ったので目が点になった。何と初恋の君が友達と神戸まで応援に来てくれてたんや。「えっ、何で?」 そうや、俺が三都市大会に大阪代表で出場するのは、朝礼の時に校長が話したので学校中が知っていたからや。その娘と目が合った。その瞬間は一秒かも一分かも一時間かも、俺にとっては完全に時間が止まった一瞬や。
午前中の演技が全部終了し、昼食の時間になった。俺は、別に昼ご飯の用意はしていない、どこか近所に食堂でも有るやろと思っていたからや。彼女の方に目を向けたら、その友達が俺を手招きしている。急いで、観客席の方に向かった。「日野君!」「えっ?」別のクラスで俺のファンの女の子が、友達と応援に来てくれてたんや。「日野君、お弁当作ってきたから一緒に食べよ」「うん……」「どうしたん?」「いや、初恋の君が来てるんや」「どこ?」何でこんなところで鉢合わせするんや。ほんまにどうしようもないで。「一寸いってくるわ」どうしたらええんや、と思いながら初恋の君の処に着いた。「日野君、誰か来てるの?」友達の方が話しかけた。「うん、俺も知らんかったんやけど、同じクラスの娘が来てたんや」「日野君はもてるもんね」「違うって」「日野君、栄子がお弁当作ってきたから一緒に食べよ」「……」「日野さん!」「えっ!?」
それは一学年下の娘達や。

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中学時代はこんな時代

中学生活の半分は、体操で占められていた。勉強はさっぱりや。中学一年生の時初めての大げんかをして以来、学校の悪い連中、当時は「不良」と呼ばれる連中から目をつけられていたし、こっちも目をつけ勢力範囲を広げるので小競り合いがしょっちゅうあった。校庭の人目につかないところへ三年生に呼びだされ殴られたり蹴られたり、その仕返しで教室にバットをもって殴り込んだり。
「おい、日野、ええもん見せたろ」1年生の二学期が始まったとき、小学校からの悪友が俺に言った。そいつは、カッターシャツを脱いだ。「ええっ!お前どうしたんや?」「どうや、かっこええやろ」両肩にはきれいな桜吹雪の入れ墨が入っていた。それでも中学一年生や。
残念ながらそいつはすぐに悪い奴ばっかりいる学校へ転校になってしもた。今では立派なやくざの親分になっている。子供の頃の夢を実現させた数少ない人間の一人やろな。
勉強はさっぱりやけど、どんけつにはなれへんかった。それは、今で言う特殊学級というものがなく、知的障害や身体障害を持つ人達も一緒やったからや。皆が、それこそ垣根なく遊んだり勉強していた。
しかし、今で言う「エセ人権を守ろう」とは違うで。垣根がなく皆が平等ということは、それこそ修羅場のごとく言葉が飛び交うし、それに負けじと体全体で喧嘩をしてたんや。お陰で、「何かがあったとき」皆は、そういった障害を持っているということを認識しているから、勝手に守っていたわ。
俺が、仲良かった軽度の知的障害を持ったやつは、卒業後すぐの同窓会の時背広を着てきよった。そいつは、自分の名前を書くのが精一杯やった。しかし、何時もにこにこして皆から好かれていた。「お前、今何してるんや」「板前の修業やってるんや」「それはよかったなあ、はよ一人前になれよ」と励ましあったもんや(彼のことは又後日詳しく書く)。
冬は寒いから酒を一杯引っかけ、全力疾走で学校へ行く。顔を真っ赤にして教室で机を枕に寝る、それが、冬の日課や。俺が酒を飲んでるという事を知らない先公は「日野どうしたんや、赤い顔して」と怒鳴りよる。すかさず、同級生で生徒会の会長をしている秀才が、「日野君一寸熱があるみたいです」とかばってくれるんや。中間テストや期末テストでも、俺が成績が悪いのを皆が知っているから、答案用紙をわざと見えるようにしてくれたり、小さい声で答えを教えてくれたり、ほんまにええ感じの時代やった。

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人生最初の決断

「先輩、お祭り一緒に行って下さい」「えっ、今からか、俺は別の奴と行くの知ってるやろ」「はい、あの人でしょう、知っているけど、一緒やったらあきません?」
近くの生国魂神社(いくだまじんじゃ)の夏祭りが始まった。後輩達や、同じ学年の女の子が沢山家へ誘いにきよった。ほんまにもててたんやなあ、と、今となったら懐かしい。
中学三年生、進路を決める為保護者を交えて面談、という儀式が始まった。俺の親は、記憶では小学生の時代から一度も学校へ顔を出した事はない。当然、こんなしょうもないこと(進路を決める)で学校に来るはずもないし俺も言わない。俺は、体操で色々な高校から特待生での誘いがあった。顧問の教師が○○校にしたら?等と声をかけてくれていた。
実際、体操は今後続けていきたい、そして、出きることならオリンピックに出場したい、と思っていた。名前をうっていたおかげで、オリンピックの強化選手の一人に選ばれたりもした。そやけどな……、高校へ行って、大学に進み、それは多分日本体育大学か日大か、やろう。その後、きっと教師か職員になるんやろ。当時は、今のようにタレントになるとか、評論家になる、といった道はなかったんや。
そこでほんまに考えた。生まれて初めての決断や。友達は全員高校へ行って体操をするものだと思っているし、初恋の君もそうする事を信じて疑わなかった。親も教師も、俺の周りの全部がそう思っていた。
ある時、同級生が中学を卒業して就職する事になり、その会社に面接に行くことになった。授業なんて退屈以外の何ものでもないので俺も付き合ってその会社に行った。面接になり、何でや分からんけど俺も一緒に面接を受けたら「会社に来て下さい」と言われてしもたんや。「これはおもろい」俺は社会で働けるんや。
俺は、将来教師か職員になる、という灰色の人生を選択したくなかった。何でやいうたら、教師は大嫌いやったからや。死んでも教師にはなれへんで、が俺の心を決めさせた。「やめた!」親も周りもびっくりしよった。
人生最初の決断や。

その冬の12月、二学期も終わりに近づいてきたとき、ふと連れに「自転車で白浜まで行くけど、行けるか行かれへんか賭けへんか」と喋った。連れがそれを言いふらしよったから「行かれへん」という奴が、一人百円とか五百円持ってきよった。新聞配達で朝夕配って五千円、一般社会人が月給一万円そこそこという時代や。
新聞配達は中学一年の時からやっていた。「働く」という事が面白かったからや。それに働いたらお金が貰える、という事も面白かった。新聞配達をしながら「もっと儲かれへんかな、もっと楽に仕事でけへんかな」と始終考えていた。ある時ぼろ儲けの口を見つけた、それは、配達途中にある病院や、そこの患者と個人的に入院中だけ契約して、その金を全部貰う、というもんや。新聞は余分に10部位はもって出るのでどっちゅうことはない。これは儲かったで。
夕刊は、配達途中の公園で遊んでるガキに配らせて10円やる、この方法は結構上手いこといって、何時も夕刊の時間になったら公園にガキが集まるようになった。とにかく「何でも考える」という事が趣味みたいなもんやった。

これは大きい賭けや。
「よっしゃ、行ったるで」当時の国道は、市街地以外は砂利道で、国道42号線は細い道やった。俺は地図を見て、大体12時間くらいで行けるやろ、とふんだ。そやから、到着時間が陽のあるうちの午後三時とし、午前三時に家を出たらええやろ、と思いその準備をした。
当日になったら連れが二人俺の家へきよった。俺を心配したんと違って、ほんまに行くかどうか途中まで付いてくるためや。見張りや。わらかしよんで。当日おばあちゃんに「一寸白浜まで行ってくるわ、なんか持っていくものないか?」と聞いたら、これ持っていって、と土産を持たしよった。
12月のくそ寒い朝三時、俺と連れ3人は天王寺の家を出た。

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「俺は弱い!」という事を知ったのは

天王寺を出てナンバに、そこから26号線一本道や!玉出、住吉、浅香で大和川や。余りの寒さに三人は口も利かずに黙々とペダルを漕いだ。「日野、ほんなら気つけてな」「おう、任さんかい、白浜まで行ってくるわ」皆と別れたのは三時頃やった。長距離トラックが物凄いスピードで飛ばす細い国道を一人旅。トラックが俺を追い越すとき、思わずトラックに吸い込まれそうになる。何回、何十回「ヤバー!」と思ったか分かれへん。
夜は暗い、という事をこの時初めて実感した。トラックが前から来たり、後から来たとき急に明るくなるので、その落差で初めて感じたもんや。夜の暗さを知ったとたん、急に心細くなってきた。
延々自転車を漕いだ。寂しさのあまり大声で歌を歌ったり、怒鳴ったり、ほんまに挙動不審者やで。浜寺を抜けかけた時、それこそ挙動不審の人影が目に入った。浜寺辺りはお屋敷街で、高い土塀が並んでるんや。そこで、うろうろしてるのは可笑しい奴やで。
俺は、自転車の速度を緩めてその不審者を伺っていた。やっぱり可笑しい奴やった。そいつは、いきなり土塀を上りかけたんや。「こらっ!何さらしとんじゃ!泥棒や泥棒や!」俺は、大声で怒鳴りまくった。
その不審者はびっくりして土塀を上るのをやめて、声の方を見よった。やばい!俺は全速力でペダルを漕いで逃げ切った。猛烈にペダルを漕ぎながら「何で俺が逃げなあかんねん?」と頭は迷路に入ったが足は止まらない。おかげで、一寸くらいは時間が短縮出来たのかもしれん。
岸和田を抜け貝塚へ。足はパンパンに張る、風が顔にぶつかり涙は出る鼻水は止まれへん。革の手袋は汗を逃がさないから、手は凍傷状態や。「何が悲しくてこんなことをしてるんやろ」「止めや、もう止めや、ここから帰っても誰にも分かれへんで」「よっしゃ次の駅に来たら料金を見て帰ったろ」
国道26号線は南海電車と平行するように走っている。駅の名前は忘れたけど、小さな駅で料金を見たらポケットに入っているお金で充分足りた。「これやったら取りあえず次の駅までは行っても大丈夫やな」みさき公園という立て札が目に入った。幼稚園や小学校の時遠足に来たところや。
「もうええやろ、ここからかえろ」みさき公園の駅まで行った。自転車を降りてびっくりした。足が重い、歩けない、身体が重い、ジャンパーのせいやろか、ジーパンの性やろか?シャツは汗でビッショリやからやろか。俺の身体はこんなに重たかったんや。「次の駅はきよし峠で、もうすぐ和歌山やんけ、ほんなら和歌山に入ったら帰ろ」夜が白々と明けてきていた。
線路沿いに最後の力を振り絞って自転車を漕いだ。峠にさしかかったが、これは自転車では無理や。自転車を押して峠を登って行く。頭はもうろうとしていた。真っ白や。「この峠を越えたらやっと帰られるんや」と思うと、重たい足取りも何となく軽くなる。何十分掛かったのか分かれへんけど、峠のてっぺんにやっと着いた。「後は下るだけや、楽勝や」
道はうねりながら急勾配で下っていたが、自転車のペダルを思いっきり漕いだ。とにかく漕いだ。まるでお化け屋敷から逃げ出すように、誰かに追いかけられているように、思いっきり漕いだ。
あるカーブを曲がった時、太陽が見えた。「太陽や!」真っ白の太陽が、山を国道を和歌山の平野を俺の目に映してくれた。靄がかかり真っ白な平野に俺は吸い込まれて行くようやった。
「ワアー!」俺は分けもなく思い切り叫んでいた。「和歌山や!よっしゃーこれやったら白浜まで行けるでー!」

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「俺は弱い!」という事を知ったのは 2

師走の風、峠を駆け降りる風、気持ちを奮い立たせる風、汗を飛ばしてくれる風、どこまでも行ったれーとエールの様な風、風、風。ビューっという風を顔に、目に、頭に、身体全身に受けながら、悲しくもないのに、何故か溢れてきた涙を風が吹き飛ばしてくれた。疲れも一辺に吹き飛ばしてくれた。
霧の向こうには工場街の煙突が見え、通勤する人達の自転車や人込みが急に目に入ってきた。国道沿いに自転車を走らせ、市街地のある交差点にさしかかった時交番があった。道路は42号線に分かれていたのでどっちがどっちか一寸迷ったから交番で聞くことにした。
「すみません、白浜はどっちですか?」「えっ、君はどこから来たんだ?」「大阪からで、今日中に白浜まで行きたいのです」「ふーん、そうか、42号線はこっちや、気付けて行くんやで」「おおきに」言うが早いか俺は自転車を白浜方面に向けて漕ぎだしていた。朝陽に後押しされながら紀三井寺を過ぎ海南、下津、あっという間に見知った駅を通り過ぎていた。気が付いたら腹がペコペコや。国道沿いのパン屋でパンを買い食べながら自転車を飛ばした。この辺りから道路事情は一辺に悪なった。駅前だけしか舗装はされてない。駅前を過ぎると砂利道や。分かっていることとはいえペースが一辺に落ちる。
峠を幾つか越えた時、タイヤは砂利道で釘を踏んだのかパンクしてしまった。パンク修理の道具は持って来て無かったので、次の駅まで押していかなしやない。たいがい駅前には自転車屋があった。無事に自転車やを見つけてパンク修理をしてもらい、遅れを取り戻そうとピッチを上げた。それから幾つも峠を越え紀伊田辺、朝来、を過ぎた。次は白浜や。陽は落ち掛けていてうす暗くなってきた。白浜の駅を目指して最後の力を振り絞った。真っ暗になってしまった。しもた、ここは田舎や、街とは違って街灯なんかあれへん。真っ暗の中を自転車の電灯なんかくその役にもたたん。ガードレールの無い道、その道に沿って川が流れている。道端には雑草が覆い茂っているので、道と川の境界がわかれへん。ゆっくりと自転車を走らせていたら、前方にバスのテールランプが見えた。
「あれや、あれを目指したらええんや、よっしゃー、わあー」俺は、川に突っ込んで行ってしもた。バスのテールランプは真正面に見えているが、道は曲がっていたんや。急に地面が無くなったのにびっくりしてしもたが、半身ずぶ濡れになりながら気を取り直してバスを追いかけた。
「白浜駅や!よっしゃあ、まだ5時やんけ大体予定通りや」かくして、おっさん自転車200キロ一人旅は達成した。白良浜に向い親戚の家に着いた「こんばんはお歳暮持ってきました」「ようきたな、お母ちゃんから電話をもらってたけどほんまに来るとは思えへんかったで、えらいやっちゃなあ」「そんなもんどってことなかったで」「はよ温泉入って温もっといで」「はーい」
白良浜にある銭湯で身体を暖めたけど、お尻がヒリヒリしてお湯に浸かられへんやんけ。
帰りはのんびり汽車の旅や。白浜駅の駅長にサインをしてもらって到着した証拠にしたんや。冬休みが終わった三学期は大儲け。いくら儲かったんか忘れたけど、とにかく集金したで。
この旅は今の私の色々な意味での原点になっている。何かあった時、この旅を思い出す。「すぐに弱音を吐く弱い俺」それを確認するために。

そうそう、これを書いてて思い出したことがある。中3の夏休み、初恋の君と連れ立って夏祭りに行った時の事や。うちの学校の奴がよその学校の奴に殴られた、と連れが俺を呼びきよった。「日野、U中のアホが束になってあいつを殴りよったから仕返しや!」「なにー、そんなもんいてもうたれ」「日野君やめとき、行ったらあかんで」これは映画と一緒のパターンや。「何いうてんねん、おんなじ学校の奴が殴られたんやで」俺は連れの後について走った。夜店の屋台がひしめいてる間を縫って走った。走りながらうちの学校の奴等を片っ端から呼び込んで戦争や!
現場に着くと相手の中学の奴は十人くらいおったが、こっちの勢いに押されてか全員逃亡しやがった。「追いかけていてまえ」暗がりの中で追い掛けあいや。俺らのいつものグループは追いかけんと戦果を待った。「うちの奴等大丈夫かな」「大丈夫やろ」と言っているとき、次々と集まってきた。「あかん、逃げられたわ」「俺もや」「あかん、それやったら連れを集めてきよるぞ、こっちも集めとかなやられるぞ」「よっしゃ、集めるわ」真っ暗がりの中で声だけが響き渡っている。
夜店の屋台の裏というだけで、真っ暗や、今からやったら信じられへんで。その時、「どいつらや」という叫び声が聞えてきたと思ったら、数十人が俺らの回りに走ってきよった。「なんじゃこいつら」と俺は怒鳴り返しながら、そいつらの方に進んだ。「お前らよううちの奴等殴ってくれたな」「じゃかましい、因縁付けてきたんわそっちじゃボケ」「なにーコラ!」と俺は意気がってみたが、何故か俺らの方が静かやから後を振り向いたら誰もおれへん、全員勢いに負けて逃げてしまいよった。残ったのはたったの二人、「こらあかんで」残った奴と顔を合わせて一瞬の思案や。俺はしやないから「お前ら殴るんやったら殴ってみんかい!」とかました。俺の腹には自慢の手製の拳銃が入っているのを思い出したんや。そやけど四連発やからやばいかな。俺は拳銃を右手で確認してから啖呵をきった。相手の番長としばらくにらみ合いが続いたとき「お前ええ根性してるやんけ、もうええわ」俺は内心心臓が飛び出すほどびびっていたんやけど、この一言で息を吹き返した。相手の中学の連中は消えてしまいよった。俺と残った奴と顔を見合わせて「よかったなあ」と安堵の目配せをした。

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