目 次
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お金を稼ぐ
音楽の第一歩
初めての背広
京都先斗町へ
京都2
ソフトからドライ
一人で店を

小学校時代 
小学校2 
初めての喧嘩 
ほんまの喧嘩 
喧嘩の結末 
器械体操にチャレンジ 
秘密兵器を使う
体操競技に取りつかれる
中二の初恋物語
初恋物語2 
三都市大会が始まった
昼食になった
中学時代はこんな時代
人生最初の決断

俺が弱いということを知ったのは
俺が弱いということを知ったのは2
一人で店を2
一人で店を3
えっ!お●●
クラブの仕事

喫茶バーテンに
梅田の店がオープン
梅田の店2

大騒動の序
大騒動の序2
大騒動の序3

大騒動の序4
大騒動の序5
大騒動の序6

これが大騒動

ゲイバー?
応援に行って
店、実現一歩前
 



昭和23年

芸者の子として生まれる(もちろん私生児・母子家庭)。
ちなみに母はもちろん、大叔母、祖母、曾祖母も芸者。
芸事と女系の家系。
幼い頃母が大阪の歌舞伎座でリサイタルをしたのを覚えている。
びっくりするほどきれいやった。
もちろん、母の元ではなく曾祖母に育てられる。
ここがミソ、おばん(曾おばあちゃん)は歳とり過ぎてて、しょせん人生なんてどうって事無いと悟っていた。

小学校時代
自分としては、よく女の子にいじめられて泣かされていた記憶がある。が…
初めて学校さぼったのは一年生の時。
酒を飲んだのもこの頃。
小学5年生の頃、冬の寒い朝、おばんが『寒いから一杯ひっかけていき』と言うので、冷や酒をクーッと飲んで走って学校へ、着いたら顔まっかっかで酔っ払ってた。
学校が面白くなくて、三年生の頃は学校さぼっては、一人で茶臼山(ちゃうすやま)行って、池でボートを漕いでた。
始めは見様見まねで、それから色々自分で工夫して漕ぐのが面白かった。
煙草を吸ったのは四年生の頃、キセルで吸うてた。
おばんが余りにも美味そうに吸ってたから、横に座って一服吸うたら、クラクラっときて倒れてしもたが、それが病みつきに。
そうそう、自転車というとんでもない道具を手に入れてからは、行動半径が50キロくらいには伸びた。
はじめて、京都まで行ったのは確か5年生やったやろか?
昼過ぎに大阪の源八橋交差点から国道一号線を見つけ、これをまっすぐ行ったら確か京都やったなあ、と思ってぐんぐん飛ばし、京都へ着いたら夕方やった。
「これが京都や!」とひとこと言ってすぐに大阪へ向かった。
一寸俺の変わったところは、同じ道を通るのが嫌いや、そやから他に道があるやろと思い、探しながら帰った。
家に着いたら真っ暗や、おばんが「今ごろまで、どこをうろついてたんや!」
「一寸京都へ行ってただけや」
「ああそうか」
チャンチャン。
(まだまだ続く、今日はここまで、2000.2.15)topへ




(小学5年生の正月)
おかんの長唄や踊りの会があると、かぶり付きで見ていた。
俺にとっては、おかん、という存在は「頭(概念)」にしかなく、舞台で三味線を弾いているおかん、舞っているおかん、はまるで別人だったのかもしれない。
会があると、ちょこまかと楽屋に出入りする。
楽屋にはきれいなお姉さん達が一杯いて、「あき坊」と呼ばれ可愛がられた。
おかげで、きれいな人に対する目が肥えてしまった。
今、俺が日本伝統文化うんぬんと言う下地は、意外とこの時期に作られたのかも知れない。
ラジオからは、ポール・アンカのダイアナが流れ、日本のロックン・ロールの夜明けが訪れた。
俺も、ご多分に漏れずほうきをギター代わりに、お膳の上でおがりまくり、おばんに「ええかげんにしいや!」といつも怒鳴られていた。
ポール・アンカが来日したとき、飛行場で出迎えたのは三橋美智也というところがおもしろい。
おばんが、三橋美智也の後援会に入っていたので、よく会について行ったものだ。

(後援会の記念写真・左の○が三橋美智也、右の○がおばんと俺)
家には風呂がないので、近所の銭湯へいくのだが、その銭湯がある種のたまり場だった。
そこで、色々な相談をしたり、可愛い女の子の話し、いやな先公の話、喧嘩をしに行く話、何でもそこが会議所だ。
もちろん、あそこの大きさ、毛がはえてるかはえてないか、何でも有りだ。
風呂の煙突は高い、高いはダイヤモンドではないけど、
「おい、誰かあの煙突の上まで上れるか?賭けようや」
「あほか、あんなもん誰でも上がれるやんけ」
「ほんなら上がってみいや」
「何言うとんねん、言うたもんが上がらんかい」

「お前、よう上がらんねんやろ」
「じゃかましいわ、ほんならお前が上がってみいや」
「あほか、ぼけ、なんぼ賭けるんや」
子供の頃の成り行きに、ええかっこをして俺は煙突を上っていった。
しばらくは何ともなかったけど、途中でふと我に返ったとき、手が緊張し足が緊張し、上へも下へも動かれへんようになってしまった。
俺は、上だけを見つめ直し、上がり始めた。
下にいたガキどもは、確かいなくなってたように思う。
上に近づくにつれ、煙突が揺れていることに気が付き、それで叉ビビリが入った。
結局、天辺まで登り降りてきたときは、相当時間が経っていたんだと思う。
近所のおっさん達が集まって来て、えらい怒られた。
そやけど、賭けたお金はなんぼやったか忘れたけど、その時払った奴の話を最近聞いたから、俺は受け取ったらしい。
この、エピソード憶えていたその頃の同級生が、面白い話を思い出させてくれた。
近所の金持ちのボケ息子がおって、そのボケ息子は俺等と同級生やった(小学四年生くらい)。
いつも、金持ちヅラをしているから、どないかしたろと思って、そいつが大事にしていたモデルガンを、だまし取ろうと話が進んだ。
結局は、だまし取るのには成功したんやけど、その後が今から思い出しても傑作や。
そいつのモデルガンをお金に代えるのに、何と質屋へ行ったんや。
「おっちゃん、これでなんぼ貸してくれる」
「こんなおもちゃでお金に代えることはでけへんで」
「ええっ、これ高いねんで」
「かえり、かえり」
と質屋を追い出されてしもたんや。
しかし、小学生のガキが何で質屋やってんやろ、思い出しても不思議やで。
それにしても、質屋のおっさんも何で子供の言うてることを聞いたんやろ?
時代やろか?
今日はここまで、次は初めての喧嘩からや
(00/2/25更新)topへ


「初めての喧嘩」

小学5年生、生まれて初めての「喧嘩」。
もちろん、ふざけて殴り合いをしたり、何か訳の分らない取っ組み合いをした記憶はあるが、面と向かった喧嘩は初めてだ。
小学4年生の時に仲が良かった可愛い女の子がいた。
5年生になったとき、クラス替えが有り別々のクラスになったけど、何だか仲が良かった。
そこに、彼女と同じクラスになった、ちょっとした暴れん坊が「俺の彼女だ」と言い出した。
それを聞いた俺は、頭に血が上り
「何をぬかしてやがんねん、俺の女に手を出すな!」
と、暴れん坊の教室へ乗り込み、啖呵を切ったのが事の起こりや。
すると、その暴れん坊が
「うるさい、文句あるんやったら決闘でけりを付けたるわ!」
と逆アップをかけてきよった。
俺も後先を考えず、
「何時、どこでや、何時でもやったろやないけ」
になってしまった。
当時は、一クラス64人ほどおり、そのクラスが10クラスも有ったから、そら訳の分らん奴から、無茶苦茶頭のええ奴迄色々いてた。
その中で、自分の存在をアピールしようと思ったら、並大抵では出来ない。
俺は、すでに名前は売っていたから、
「日野が決闘しよるぞ」
と言ううわさが学校中に広まった。
おかげで、先生に事前にばれて説教しようと思いよったらしいが、俺が「知りません」と白を切り通したので、結局どうにもならなかった。
さて、俺は実際に面と向かって殴り合いをした事がなかったので、コーチAが付いた。
このコーチに付いたAとは、中学1年でAが退学になるまでの付きあいになった。
Aは、とにかく喧嘩慣れをしていて、中学生を相手に喧嘩をしても余り引けを取らないくらい度胸が据わっていた。
その日の夕方、学校の屋上でやることになっていたので、授業もさぼって特訓をしてもらった。
時間が来て、指定された校舎の屋上へ二人で行くと、そこにはたくさんのやじ馬たちと暴れん坊がいた。
「何時でもやったるで」
俺が啖呵を切ると、
「ええやんけ、俺も何時でもええで」
と叫び返しよった途端、そのやじ馬達はさっと場を空けよった。
まるで、映画のようや。
やじ馬が俺達二人の周りを取り囲んだようになった。
暴れん坊は、俺の周りをぐるぐる回りながら、拳をボクシングのように構え何か訳の分らんことをほざいていた。
俺も、頭がパニクッテしまい、何やらわめいた。
俺は、面倒くさくなって、いきなり相手の顔面目掛けて殴っていった。
それは、見事に相手の顔面にヒットしたのだが、その一発をきっかけに、俺より少し大きい相手は組み付いてきよった。
バリートゥドウの小学生版や。
俺は、フェンスの隅まで押しまくられ袋にされかかった。
とっさに、俺は相手の首に手をかけ両手で首を締めまくった。
相手は
「お前卑怯やぞ、首締めたらあかんやんけ」
と声を振り絞って叫びよった。
俺は、
「じゃかましいわ、喧嘩に卑怯もへったくれもあるかい!勝ったらええんじゃ!」
と怒鳴りながら首を締め続け足で相手の胴体を蹴りまくった。
やじ馬達が、暴れん坊の顔色が変わっていくのにビビッて、二人の間に割って入った。
離されてから、体勢を整え俺は構わず相手に殴りかかっていった。
不意をつかれた暴れん坊は、泣きを入れよった。
チャンチャン

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喧嘩初め=ほんまの喧嘩

強いということに対する憧れは、多分この頃に出来上がったのではないかと思う。
このコーチAとは、中学以来会ってなかったが大阪の上六というところで、二十年くらい前にばったり会った。
その時は、立派なやくざの親分になっていたから、初心を貫徹したということだ。
この時の喧嘩をきっかけに、喧嘩をするようになったのかといえばそうとは違うんや。
「強い」に憧れたものの残念ながら体格も腕力もなかったから、発想が喧嘩にはいけへんかった。
何と、武器を考える、という方向にいったんや。
この辺りのことは、もう持効やからちょこっとだけ紹介しとくわ。
何でや言うたら、今現在独学で武道を研究せなしやないような新聞沙汰の体験を沢山した入り口やからや。
人を殺傷する力のある火薬や拳銃を作り出したのが、この小学5年生や。
せやから、俺の喧嘩は常に、生命が掛かっていたし懲役が掛かっていたんや。
云うとくけど、素手の殴り合なんかした事が無いで、何時も、武器をもってやってたんや。
喧嘩ということで、いきなり中学1年生に飛んでしまうわ。
ほんまの意味で、喧嘩初めは、中学1年の冬やった。
連れの中2の悪いやつと、百貨店を散歩していたら、目付きの悪いやつが(自分もそうやけど)ガンつけてきよった。
連れは、そいつの胸倉をいきなり掴んで、
「おい、もんくあるんやったら屋上へ来い」
と啖呵を切って、居れと二人で先に階段を上がった。
そやけど、そいつはついてけえへんかった。
俺は、ふと嫌な予感がして連れに
「おい、あいつらぎょうさんいとるんと違うやろか?」
というと、
「そんなもん、かむか、いってもうたったらええんじゃ、ここは俺等の縄張りやぞ」
というと、二人で階段を下りて、さっきの奴を探した。
すると、さっきの奴が俺等の前に来て、
「お前等こっちへこんかい」
と逆アップを掛けてきよった。
やっぱり、俺の勘は当たってたんや。
俺達二人は、百貨店の売り場を抜けて外へ出た。
7人もいてやがった。
俺等はその7人に誘導されて、工事現場で囲いの中に入っていった。
俺の連れが、自分の指を見せて
「こらっ、ぼけら、俺の指が無いのが見えへんのんか!」
とはじまった。
「じゃかましいわ、そんなもん知るかい」
というが早いか、俺の連れを殴りよった。
俺も、負けてられへんから
「お前等いてもうたら」
といいながら相手目掛けて殴りかかっていった。
すると突然、

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初めてのほんまの喧嘩2

この時、連れが言うた
「俺の指が無いのが見えへんのんか」
の、指が無い、理由は、俺と二人で火薬を作っていたとき、火薬が暴発して連れの指が吹っ飛んでしもたんや。
大音響とともに、煙で真っ暗、何事が起こったんか一瞬分かれへんかった。
耳は「キーン」と鳴ってるし、何や分からんけど唇はしびれてるし、目は煙で見えへんし、無茶苦茶や。
そこへ突然、
「指あれへん!」
と絶叫や。
俺は
「ええーほんまかい、病院や」
とパニクルし、えらいドタバタやったんやで。
それ以来、その連れは指が無いのが売り文句になったんや。
俺は、
「お前等、いてもうたら」
と叫んだ瞬間、相手が3人くらい掛かってきよった。
「あっ、あかん」と思ったとき、目が一瞬横へ行った。
目には、連れが塀を乗り越えて逃げていくのが見えた。
次の瞬間3、4人が連れを追いかけて行き、電子柱の横で捕まえたかと思うが早いか、コンクリートの欠けらで連れの後頭部を一撃や。
連れは、完全に伸びてしまいよった。
それを見ているとき、3人のうちの一人は俺を後ろから羽交い締めにしよった。
前におる奴は、俺の顔面目掛けてコンクリートの欠けらで殴り付けてきよった。
それは、よけられへんで。
目から星が出たどうかは覚えてへんけど、数発殴られた。
そのまま俺は倒れてしまったので、上からほんまの踏んだり蹴ったりや。
何故か顔面だけは勝手にガードしてたわ。
連れを伸ばした奴も帰ってきて、7人でボコボコや。
せやけど、不思議やで、一つも痛く無いんや。
もちろん、コンクリートの破片でどつかれた時も、痛く無かったで。
ここが現在の武道研究の原点や。
本気で戦ってるときは、何も感じないんや。
そやから、本当の殴り方や切り方を知らんかったら、くその役にも立たんのんや。道場での達人は道場だけなんやで。
そやから、伝統武術の達人を研究しようとしたんや。
どれくらい踏んだり蹴ったりされたか分かれへんけど、ふと、蹴ってる奴の足がスローモーションみたいに見えたときがあってん。
その瞬間、自分では知らんまにその足を捕まえて、蹴ってる奴をひっくり返したんや。
さあ、反撃やで。
手は俺の血でヌルヌルしてて、相手を捕まえにくかった。そやけど、何とか捕まえようとする。
後の6人が叉無茶苦茶殴ったり蹴ったりしよる。
その時、ふとポケットにナイフが入っているのを思い出した。
俺は、ポケットから切りだしナイフを出し、
「お前等いてまうぞー」
と叫ぶが早いか、目の前にいた一人の太ももを取りあえず刺したった。
刺したのはええんやけど、手がヌルヌルでナイフが抜けへん。
刺されたやつは、何が起こったのか分かれへん、というような顔をしてフリーズしてしまいよった。
多分、痛みはなかったやろうけど、衝撃はあったと思う。
その衝撃に固まりよったんやろ。
相手は一寸ビビリよった。
「こら、お前卑怯やぞ」
と怒鳴りながら腰が引けよる。
「じゃかましいわい、卑怯もへったくれもあるかい、お前等はコンクリーの欠けらで殴ったやないか、いてもうたるで!」
腰が引けた残りの6人に

続く

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喧嘩
の結末

猛然と襲い掛かった。
腰が引けて逃げる奴、わめく奴、おまけにコンクリーの欠けらを投げてきよる。
俺の頭や胴体にレンガくらいの大きさのコンクリーがガンガン当たった。
そんなこと一切構わず、俺は突進して二人目の足を刺したった。
もちろん、それも抜けへんかったわ。
ふと気が付いたら、俺等が喧嘩をやっている周りは人垣が出来てしもてた。
もちろん、大人たちやけど誰も止めに入られへん。
そらそうやで、血まみれのガキがナイフもって暴れてるし、それを目掛けてコンクリーを投げてる修羅場やからな。
俺が追い掛け回しているとき、パトカーのサイレンの音が聞こえた。
一瞬、膠着したで。
俺は、こらあかんと思ってパニクッてる残りの奴等を刺しまくってから、逃げようとしたとき声が聞こえた。
「こっちへおいで!」
女の人の声やった。
俺は、伸びている連れを抱えてその声の方へ行ったんや。
すると、身も知らずの女の人がタクシーを止めてくれて病院まで乗せてくれたんや。
おかげで警察には捕まらなかったんや。
まるで、天使に出会った見たいやで。
病院で手当てをしてもらっているとき、ふと我に返ってきた。
真っ白のとっくりのセーターが染めたみたいに血で真っ赤っかや。
顔はお岩さんのように無茶苦茶、耳の色は完全に変わってたなあ。
そやけど、どこも痛いことあれへん。
完全に麻痺状態や。
つれは、 一発で伸びよったからあんまり怪我をしてなかったんで、俺を抱きかかえて家へ連れて帰ってくれよった。
家へ帰ったらオバンはびっくりしよった。
「どないしたんや!その顔、セーターは」
「何にもないて、階段から転げ落ちただけや」
「あっそうか」
チャンチャン

続く


器械体操にチャレンジ


中学一年生は、喧嘩だけと違って俺の人生の重要なポイントがあった。
中学一年に入学したとき、強くなりたいと思って柔道部に入った。
そやけど、この柔道部は学校で一番悪い奴を筆頭に、まあ、不良の溜まり見たいなもんやった。
入部間もなく、三年の身長百八十位ある奴に背負い投げをされ伸びてしもた。
こんなものやってられんわ、とさっさと部を辞めた。
ぶらぶらしていたある日校庭の高鉄棒で大車輪をしている奴を見掛けた。
「無茶苦茶かっこええやんけ!」
俺は、体操クラブに即入部した。
大車輪をやっている奴を見ている女の子の多いこと、動機は目茶純粋や、これが出来たら女の子にもてる!やっぱり動機は単純で純粋に限る。
俺は、入部したけど先輩や先に入部している一年生のボケどもとどうもしっくりいけへん。
それで、同じころに入った仲間二人と別に練習することにしたんや。
ようよう考えたら、俺は一人っ子でしかもオバンに育てられているから、たいがい甘えたで人に指示されるのが大嫌いやった。そやから、先輩や先生に指示されるのが虫ずが走ったんやな。
夏休みになり、三人で毎日公園に出掛け子供用の低い鉄棒で蹴上りと倒立の練習を開始した。
大車輪の運動的構造を考え出し、どこから練習に取り組めば出来るのか?を、毎日毎日一日中考え、銭湯で夜遅くまでねばって練習論議に花が咲いた。言うとくけど、中学一年やで。
俺は、天王寺図書館に行って器械体操の本を借りて見たら大車輪や蹴上りの分解写真を発見。
ただ、ひたすらその分解写真を眺めた。
手は、豆が破れてずるずる、それでも包帯で工夫をして鉄棒にくらいついていった。
夏休みの何時で来たのかは忘れてしまったが、多分終りかけだろう。
公園の鉄棒で、先ず俺が出来るようになった。
出来てしまったら簡単や。
俺は、家で精度を上げるために色々な工夫を試していった。
その工夫を他の二人に教え、同じように練習する。
結果、夏休みが終わったとき、三人共大車輪が出来るようになっていた。
これは、他の新入部員達を抜いてしまった、ということになっていたのだ。
ここから考えると、自分で言うのもなんだが身体運動と言うことに関しては、分解したり組み立てたり教えたりの才能はあったのかもしれないと思うことがある。
九月に入り、二学期が始まった。始業式の日俺達三人は運動場にある高鉄棒のそばにいた。
先ず俺が鉄棒に飛び付き、蹴上りから大車輪をかましたった。
しかし……。

続く
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秘密兵器を使う

傑作やで、なんやと思う?さあ考えましょう。
答えは、大車輪からの降り方を練習して無かった、でした。
公園での練習は高鉄棒といえど子供用なので足がつくんや。
だから、車輪で下に回ってきたときに足で地面を擦って回転を止めていたんや。
そんなことも無意識的にやっているから、学校の高さ2メートル40の競技用鉄棒では全く役に立たないことに回ってから気が付いたんや。
「どうしよう?」と車輪を周りながら考えた。
鉄棒を回転して、一番速度がゆるくなる倒立の手前で意を決して鉄棒から手を離したら無事着地した。
これは冷や汗もんやった。
仲間の二人に、俺がやったようにやったら無事に降りられるから、といい大車輪の完成を三人で喜んだ。
しかし、しかし、目的は女子に注目してもらうことにあるんやから、あくまでもかっこよくなかったらあかん。
試合が目的と違うで、最後まで純粋に目的を達成せなあかん。
それから、叉図書館に通い、降り方をいくつか仕入れてきた。
でも、どれもこれも難しいものばかりや。
開脚カット降り、伸膝飛び出し、宙返り降り、全部当時のオリンピックの自由種目や規定種目の降り技や。
宙返り降りは、この場合論外や。
というのは、大車輪でも俺等が出来たのは逆手大車輪というて、手のひらをこちら側に向けて倒立し、そのまま倒れていって回転するもので、宙返りは順手大車輪で、倒立から後戻りするようになる回転やから反対や。
よくよくその本を見ていたら、基本として片手横降りというのがあることに気が付いた。
これは、倒立から回転を利用しながら身体を鉄棒と直角方向にねじり、片手を離して降りるというものや。
「よっしゃ、これやったらいける」叉、三人で公園に行き、底鉄棒で倒立から練習を開始した。
これは本当に簡単やった、多分数時間で出来たと思う。
こうして、我々仲間三人は、授業の休み時間の10分の時に、校庭にかけ降りていき大車輪を回り続けるのであった。
コの字型の校舎の窓からは、女子達が沢山こちらを見ている。
「ざまあみさらせ」
本当に掌がズル剥けになりながら頑張った夏休みが酬われた瞬間だ。
ここで、この大車輪完成に向けて秘密兵器を使ったことを紹介しておこう。
それは、カメラだ(何じゃあそれ、とは違うんや、当時そんなことを考えた奴はいてないんや、それから39年経っているけど、武術で自分の動きを客観的に検証している奴は数えるほどしかいないんやから、ほとんど人は成長していないというこっちゃ)。
当時は、カメラも子供用のおもちゃのバカチョン位しかなく、本当のカメラは絶対に手の届かない高額なものだった。
そのバカチョンを、本で見た分解写真のように仲間に撮らせて、自分のやっていることを確認したのだ。
つまり、自分を客観的に見る、という工夫はすでにこの頃からあったということだ。
自分を客観的に分からなければ何も出来ない、何が出来ているのか、何が出来ていないのか、が分かるはずがない。
そういったことを、直感的に分かってやっていたのだ。
言うとくけど中学1年やで。
それこそ、明けてもくれても写真屋のオッチャンのところにいって、手で現像したり焼き付けたりするのを見たり手伝ったりしたものだ。
そこで、何となく現像や焼き付けの方法を覚えてしまった、と言う付録もついてくる。
分かる?全ては「好奇心」が原動力や。
義務や、ねばならない、とは違うんやで。

(上の写真は逆手からクロスして順手に持ち替えの練習/下の写真は逆手大車輪の練習共に中学1年生)

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