【2006年度分】 【2005年度分

●12/16東京武禅レポートから抜粋

普段人との対話や付き合いが下手な自分にとって、物凄く考えさせられる一日となりました。今まで関わった人たちに、自分も思いや考えはしっかり届いてのだろうか?と不安になります。

「こんにちは、に何も感じないのは、感情がないからや」という先生の言葉に凄くショックを受けました。表現する事は、感情こそが全ての源である、ということは、頭では分かっていたつもりだったのですが、改めて体を通して実感できたように思います。

改めて振り返ってみると、今日の稽古中「正しい形、やり方」に執着していました。

仕事の上では、経験が浅くスキル不足なため、策に走り勝ちなこともありましたが、本日参加できたお蔭で、本気で真剣に相手に向かい合うとはこういうことか、とほんの少しだけ殻が破れたような気がします。

今日は向かい合った人に、「表面的」と言ったが、私こそが固い殻で覆われていて、これはちょっとやそっとでは簡単に壊れないものだ、毎日毎日意識するしかないと感じた。

集中して向かい合う(向かい合おうとする)ことは、集中が切れて疲れてしまうものではなく、ワクワクして相手からどんどん力を貰って、益々元気になることだと思いました。
今日は、本当に時間が短く感じました。
まずは、「コンビニありがとう運動」から始めようと思います。

一番難しく感じたのは「相手へ言葉を伝える」ことです。どうしても上っ面だけの「こんにちは」になってしまい、しかし、時間が経つにつれ徐々にはですが、伝えられるようになり、対話が楽しくもあるんだと、生まれて初めて感じました。そういう対話を友達や、家族ともしたいと思えるようになりました。

初めて武禅に参加した人達が、どんどん声が出るようになり、目が生き生きするのを見て、皆誰もが、そして自分もがもっともっと本音で、ノビノビ、イキイキと生きていく可能性は絶対にあるんだと思った。頭でアレコレこねくり回し始めたら、まず行動!とにかくやってみて後から反省すればいいんだと、肝に銘じてまた頑張ります!!

この1年間感情を抑えつけて生活をしてきました。自分をただのロボットとしていく作業を繰り返して来ました。先生の場にいると、自分が抑えてきた感情が解放されて、回復してきたのを実感します。日常生活の中で、いかに感情を育てるか、それが今後の課題です。

最初の方は「よく分からない」の繰り返しでした。実はその「分からない」と言っているのは、本当の事を隠しているんじゃないかと感じました。分からないで済ませておこうとしているのではないか、です。先生のおっしゃった、初めの「第一印象は?」に戻ってみようと思いました。

本当に全く「こんにちは」が相手に届かず、どうして良いのか分からなくなりました。「ナマムギ〜」に移って、自分の気持ちを届けるというか、表現するというか、そのような事が出来るとは、自分が思っていたこととは違い、もっともっと熱い感情だというように思えました。知らず知らずのうちに、自分の感情表現も出来ない人間になっていた自分にショックを受けました。まずは「コンビニありがとう作戦」から実行に移します。駄目な自分が分かって、逆に楽しみになりました。今日参加した人全ての人に「ありがとう」という気持ちが湧いてきました。

今日初めて木刀を持っての向かい合いで、姿勢を直していただいたのですが、直していただくと力を出しやすい、というか、やりやすい、というか、「型」のもっているものの力、具わっているものを感じてびっくりしました。これが「型」の意味なのかと、感じて感激しました。

●11/18東京武禅レポートから抜粋

自分から相手に働きかけることが無く、いつも待っている自分を分かっているつもりでしたが、最初のワークで改めて強く感じさせられました。

コミュニケーションにかかるエネルギーは大変な量なのだと思いましたが、通じ合えたと感じられた時、喜びはとても大きかったです。

日頃いかに自分が人と向き合っていないかと、つくづく思いました。「声を相手に届かせる事」シンプルですが、それが中々出来ない自分に気付きました。

「こんにちは」を相手に届かせる、という練習が、私にとっては最も難しかった。自分が感じるのではなく、相手に感じてもらうということは大変なことだと思いました。

自分がいかに集中力散漫か、相手と向き合う時に本当の自分の気持ちを隠して、外面の良い自分を演じようとしているか、ちらりちらりと見え隠れしたような気がします。

自分の身体の事を放りっぱなし、首から下を全く認識していないことに改めて驚いたりもしました。

いかに自分を偽って(押さえ込んで)毎日を過ごしてきたのかが浮き彫りになった。自分本位な考え方やスタンスに、嫌気がさすくらい思い知らされ、自分のコミュニケーション能力に疑いを持った。

もっと周囲に目を向けよう、相手を意識してみよう、やっている“つもり”この曖昧な表現ではなく“本気”物事にぶつかりたい。この先進国日本において、世の中が便利になればなるほど、人間に本来備わっていた「素晴らしい能力」を失いつつあるような気がする。

普段私は、人と目を合わせて話すのは苦手だけれども、今回武禅では躊躇せずに人と目を合わし、会話できたことがうれしかったし、気持ち良さも感じた。初対面の人と、あれだけリラックスしていられるなんて、本当に不思議です。

「エンジンが無い」と言われた。何となく自分で似たようなことは感じていたけれど、やっぱりと思った。でも、「エンジンのある人」「無い人」の違いって何なんだろう。言われた時はその言葉を受け止めることしか出来なかったが、最後の「ナマムギ…」をやった時、少しはエンジンの存在を自分で感じられるようになった気がした。

今回は集中力が続かず途中に休憩を挟むこともあったのですが、これはむしろ今まで途中で無くなるほどパワーを傾けていなかったということに気が付きました。本当にわずかずつですが、「感じられるもの」が増えてきたように思います。

●10/14東京武禅レポートから抜粋

いつも何も考えずにしていたことを、あらためて“やる”というのが難しかった。何をどうしたらいいのか。普通に言えば言いのだろうが、それが出来ず自分にいらいらした。
いつも考えすぎるところがあるので、つい色々考えてしまい、わけがわからんくなっていたが、最後は楽しくなってきて、考えずに声を出していた。

一部は自分が予想していた通りの反応をしていました。怖気づいてしまい向かい合うことが出来ずにいました。しかし、生死(?)に向かうことを感じた時には、向かい合わないと負けてしまうので、向かい合う自分もいました。
こんなにもエネルギーを使うものなのかとびっくりしています。

相手と向かい合っている時の充実感は(ほんの少しだけでしたが…)忘れがたく、逆に普段劇団の稽古で何をやっているのか…と、本当にがっかりしました。

円になってみんなで声を出し合った後、2人で向き合った時、相手の見え方も違っていた。焦点があっていなかったものが、ハッキリ見える気がした。今日はとても楽しかったです。声も出して、スッキリしました。

今、仕事の上で、どのように人に対していくか、ということが課題なので、とても具体的で難しいレッスンでした。つい細かいところに意識がいき、からだ全体をどのようにまとめるのか、エネルギーをどう使うのか、ということが欠けてきがちなので、とてもよい体験でした。

他人との距離のとり方が上手くないので、今日は大変有意義なレッスンでした。きちんと全身100パーセントエネルギーで向き合ったことがほとんどなかったことが、ハッキリと判りました。
だから、声はかれるし、疲れるし、エネルギー便秘はあきませんね。

知らない人や、話の合いそうに無い人とは、クールな関係を保って相手を知ろうという労力を放棄していました。それは自分を知ることを投げていた、いということにも繋がっているのだと思いました。
もっと、こだわりや見栄を捨てて他人やものに向き合いたいです。

頭だけでこねくり回していることが多く、それが邪魔をしていることがよく分かりました。
相手と向かい合う時も、気付かない間に受身になっていて、何も発信していないことがほとんどでした。
ショックです。

●9/16東京武禅レポートから抜粋

普段大声を出すということをしない生活で、大声を出し気持ちを伝えるという行為に、とても新鮮さと気持ちの良い疲労感を感じました。人と向き合うことに真剣になります。恋人や家族や、友達などと、こんな時間を作ってみたいです。

いつも自分が心配だったり、不安なのは周りをきちんと見れていないからかもしれません。自分を忘れ相手に集中するのは気持ちの良いことだと感じました。この感覚を忘れないようにしたいと思いました。

こんにちは、から始まった「伝える」ことは、だんだんと相手の事を良く知らないからこそ、自分のことを伝えようと思って、そのことで必死になり、受けることも必死になり、円になってナマムギをやった時は、もう受けることと発することだけに集中していた。気持ち良かった。

私の中で一番効果があり、差が出たのは「こんにちは」と言うことで、改めて言ってみると普段とりあえず言っとけば良いかな、という感じの発声で全然相手に届いていないんだな、という感じでした。それよりも、自分が今まで相手に伝えようとして言っていた事は、余り無いのではないかとなと思います。

今までなんどか身体塾に参加させていただいている時、昔から通っていらっしゃる方々は、皆なんて感じの良い人達なんだろうと思っていたのですが、今日の武禅でその理由が少し分かった気がしました。ちゃんと「connect」出来れば、人とのコミュニケーションは凄く気持ち良いんですね!!

今回初めて参加させて頂きました。とても良い体験と勉強をさせてもらいました。39年間生きてきてどこか自分自身の嫌いなところをハッキリと表面化出来、知ってはいたけど正当化していた自分を、今日、今から正していけそうな気がします。この気持ちの持続が大変なのでしょうが、本当に良い時間と素晴らしい人たちに出会えたことを幸せに思います。出来れば、もっと早く知ることが出来たなら……。

人と真っすぐ向き合って、自分の意志を届けることの難しさに、日常の中で自分が無自覚であったことを強く感じることが出来ました。「ナマムギ〜トナリノ〜」の連呼の後の最初の「こんにちは」で初めて声が届いたと相手の方に感じてもらえた時は、とても清々しい気持ちになりました。

「相手ときちんと向かい合って立つ」ということの感覚がかなり欠如しているため、どうしてもやることなすこと観念的になって、自分自身の足でしっかり立つということが出来ない。自分自身の身体に対する鈍さを実感し、かなり危機感を覚えました。「それはやっているつもりや」という日野先生の指摘に、全身が何度も凍りつきました。

「ナマムギ」「トナリノ」を言い終わった後、大声ではない「こんにちは」は、初めて人の言葉が胸に入ってきたし、自分も伝わった感じがした。何が違ったのかよく分からない。でも自然に出てきた言葉だった。気持ちを込めてと思った訳でもない。ごくごく自然に。「あっこれか」先生がおっしゃられる「そう思っているだけ」の意味が少し分かった気がした。今日のセミナーの中で、パートナーと交わした会話は、ととも清々しかった。常日頃より、あの清々しさを味わえるよう、声を届けられるようにしていきたい。

普段の自分がいかに力一杯過ごしていないかを感じた。まばたきをするクセが、徐々に邪魔なものになり、目を開き相手の目を見て話すことが自然になってきた。心を伝えるようにして、相手に声をかけるのは非常に高いテンションを必要とするが、とても気持ちの良いものだった。相手に自分を伝え、相手から伝えられることがすごく気持ちよかった。

声を出して相手に気持ちを届けようとすることも、とても恥ずかしかったですが、一通り終わってみると、楽しくて打ち解けた感じになりました。怖いけれども一度真正面から向き合えれば、それほど怖れることも無いのかもしれない。「怖い」と事前に感じて閉じる自分をどう壊していくかが、大事なのかもしれないと感じました。今回はとてもとても楽しかったですし、弱い自分のこころに向き合えるきっかけになると思います。

人の正面を意識して感じられたのは初めてで、びっくりしました。今日この講座に来て、ダンスをしていて今まで悩んでいた、誰にも聞けなかった疑問が解決したり、解決の糸口が見えました。


●8/5東京武禅レポートから抜粋

私は今まで何をしていたんだろう、と思いました。相手を見ているようで見ていない。意識がどこか別の場所いってしまっている。思考が先行しすぎで大切なことが何なのか、分からなくなってしまっているような気がします。目の前にあるもの、あること、相手をもっと感じたい。

ずいぶん自分が閉じていることが良く分かりました。色々開き直って、開いていると思っていたのですが、まだまだ臆病で自分に対して誤魔化すことが上手になってしまっていることを痛感しました。だから正面に立てないし、伝えられない。人と向き合えないし、交われないし。認めてリスペクトすることもない。

訳の分からないことをやっている自分、演技をしている自分がいて苦々しく感じて仕方ありませんでした。まだ「わからない」自分の方がマシかなと思いました。どんどん、どんどん考えてしまって、バカな頭を自分で作っているようにしか思えませんでした。「やりなおし」これがまず一番の課題かなと思いました。

動作や言葉に気をとられる自分をとても不自由に感じる。気をとられた瞬間に、まるで足場を失ったようになって、気が戻ってきても同じところに立っていない。“相手毎に変わるようなら、それは本質ではない”という先生の言葉は、とても大きく私にのしかかっているところです。

今回も混乱の中にいます。目の前の人と向かい合うこと、目の前の人に声を届けることが容易でないことを、改めて実感しました。そして、目の前の人と繋がっていない時の表情がまるでデスマスクのような、とても気持ちの悪いものであることを知って、愕然としました。

人と向かい合う、前に立つ、本当に立っている時の自分はどういう状態になるのか?私が立っていると思っていた姿は全く嘘の姿だと気付いた。何年かの舞台経験で“出来ている気になっている”変なクセが付いてしまった。本当の自分がそこにいない。自分を隠してアラを見せないように、今までやってきたのだと思った。

今日、生まれて初めて“人と向かい合った”のかもしれない。今まで、何をやってきたんだろう、という自分の不甲斐なさと、同時にまだまだ残されている可能性を見せられて、何故か晴れ晴れとした気持ちになった。人生、自分しだいでいくらでも面白く出来る、というより、そうしないでどうする?これからなんぼでも出来る!と思えたのが、何よりの収穫でした。

頭で考えていると、全く身体がおいてきぼりになっていて、結果、相手が自分に向かっているのに何も感じられない。相手に向かうことは出来てない、苦手だろうとは自覚?はしていたのですが、受信することが出来ない鈍い身体になっていると、つくづく感じました。
向かい合いで、少し分かった時の身体同士の静かになる感じ、スッと繋がる感じは、初めての感覚で、後になってとてもドキドキしました。

●7/1東京武禅レポートから抜粋

自分の人に伝える力のなさや、人の正面に建つことが苦手であることは十分承知していましたが、改めてある意味面白いくらい、それを実感しました。
そして、そのことを真剣に見つめることで、どうするべきなのか、多くのヒントがありました。
正面に立つこと、向かい合うことをいかに軽んじていたかが良く分かりました。もっと、深いところで、人と接すると事の大切さだと思います。

子を持つようになって、最近の犯罪をテレビで見ていて、犯人よりその親(又は環境)がどうだったのか知りたいと思っていたところだったので、子供の罪に対する親の責任の話は深くうなずけました。
自分の日々の生活の中、全てに真剣さが必要と感じました。

三年ぶりの武禅の参加で、自分自身の中に感じていた違和感をはっきりと意識できました。
自分の中にあったと思っていた情熱といったものが、上辺だけのものでなかったのかと反省しました。
いくら自分はやる気があると思っていても、相手がそう思わなければただの独りよがりであるということを再認識しました。
自分の考えている自分と、相手から見えている自分は全く違うものということを考えて、言動を自覚したいと思います。

本当に幸運だったと思うことは、まだ20代のうちに「武禅」を知りえたことです。
自分の中にあるもやもやの原因の一端を垣間見ることが出来ました。
無意識のストレスをなくし、よい人間関係を作り上げるために、自分から見た自分ではなく、他者から見た自分を見つめる目を持ちたいと思いました。

今回、向き合ってやらせてもらった相手とだんだん何かリズムのようなものが合って、相手の目の変化が現れてきたとき、自分も嬉しくなるような充実した気持ちになっていきました。
人でも何でも調和した時って快感だなぁ…と、最近つくづく感じます。
とはいえ、未だに自分の我の強さみたいなものに振り回されていて、どうにかならないものか!と思います。
「武禅」を受けるたびに、何かを気付くきっかけを貰っています。

●6/3東京武禅レポートから抜粋

向かい合いにならない。自分でやろうとすればするほど、どんどん気持ち悪いと言われるようになる。普通が出来ない。くじけそうだけど、絶対になんとかしたい。

こんにちはは、声を出さないでやったのが、非常に不便に感じた。その後声を出しての第一声目が、結構出た。組んでくれていた人が、私の声でのけぞった。しかし、その便利な声に頼ってしまって、だんだん出なくなってしまった。

毎回「武禅」に参加すると、自分がどれだけ周りの状況、環境や人を無視し、自分勝手な行動をしているかを感じます。相手に良かれと思って行動しているつもりでも、実は相手にはその真意が伝わっていなかったり、反対に不快感を与えてしまったりです。自分の思い込みが強くて、周りに迷惑をかけていることも、多々あるのだと実感しました。

大切なのは「伝えること」ではなく、「相手に伝わるようにする」事なのですね。伝える気持ちも、相手があって生まれるもので、相手に伝わるような言葉、行動をちゃんと考えて実践する稽古を、日常でもやっていきたいと思いました。

ここではこんなに生き生きと、堂々としていられるのに、日常生活に戻った私は、毎日が不安で何も出来ずにいます。生きることすら辛く感じてしまいます。「武禅」に参加することで、人間らしく生きられるようになれる、そんな気がします。

向かい合っている間に「見よう・向かおう」と意識している。以前はそれが「向かう」だと思っていたが。今日やってみて、それが自分の中に戻って、外に向かっていかないことなのだということを感じた。もちろん、相手からもその瞬間を指摘される。
どうして、いちいちそうしようと、その最中に考えているんだ?

●5/6東京武禅レポートから抜粋

向かい合うというものが、今までの認識と全く違うものであることを感じました。声を届けるということが、こんなにも難しく出来ていないことに気付いたと同時に、自分の中の自分を制御している自分の殻を破れない未熟さを痛感しました。
何が理屈で自分をがんじがらめにしていて、本気さ、必死さが全然足りないことに、とても情けなくも思いました。
私にとって得るものが大きいセミナーでした。

普段の生活の中で、叫んだり大きい声を出す、ということがほとんどないので、まず全然声自体が出ず、相手に届かせるのはかなり困難でした。でも大きい声を、いっぱい出したらなんだかすっきりしました。

Feel(感じて)とConnect(つながる)とは、別々のもので、今まではFeelの後にConnectがくるものだと思っていたけど、それらは分けて考えるのではなく、Feel することが出来れば、同時にConnect出来るのだと感じました。

自分の気持ちや感じたことを必死になって相手に伝え、爆発するように表現することが大事なのだというように思います。

我々は感情をむき出しにすることがカッコ悪く、大人のすることではないと自分自身に枠を作ってしまうことが何と多いのだろう、と改めて自分の生活や生き方を振り返ってしまいます。
いつまでも、こんな風に情熱を持って生きられたら凄く素敵なことで、よけいな自意識や過去の記憶などもどんどん削り取っていけたらと思いました。

私は、普段から相手と向き合うことも出来ず、自分の定めた世界にしかいないことを思い知りました。
当然相手に届く声も出ていなかったと思います。日野先生はじめインストラクターの方の迫力に圧倒されました。いかに沢山の鎖を身にまとい、人と関係を持つことに自分で鍵をかけてしまっているかを、実生活で削ぎ落としていきたいと思います。当然できるはずのことが、当然出来る人間に戻りたいと思います。

はっきりとやばいと感じたのは、一対一の早口言葉だった。自分でもどうして良いか分からなくなってしまった。及川さんが手本を示してくれたとき、自分の幼さと情けなさで涙が出てきた。その後少しずつ感情が動いてきたのを感じた。普段の生活で、どうやってこの感情を維持していくか、一ヶ月後、振り出しに戻っていたのではどうしようもない。
本当にどうしよう。

相手の正面を感じることにせよ、向かい合いで、向かい合った相手のことを感じるにせよ、感じることができているのか。ただの思い込みなのか、ぼんやりしています。
でも最初に、向かい合いで「逃げている」「オドオドしている」といわれた時には、傍からはちゃんと見えるものだと思いました。

●東京武禅レポートから抜粋 4月1日

「伝える」ということはなんて難しいのだろうと痛感しました。
自分では一生懸命やっているつもりなのですが、それはやはり「つもり」の域を出ていないんだな…と感じます。結局、真剣でない人生には、言葉や態度にも必然的に現れていて、いくらその時になって、取り繕ってみたところで、決してごまかしきれるものではないでしょう。

声を出せば出すほど、何か壁があるというか、遠慮している自分に気付いた。
どうやって、心の底から言葉を相手に伝えればいいのやら…。

「向かい合い」「声を届ける」という2つのメニューを通して感じたことは、今まで自分はずっと一人で立って、一人でしゃべっていたということだ。
相手がどう感じるか、どう見えるか、という感覚が欠如していた。
出来ていたつもりで、全て終わらせてしまっていた。

今回2回目の参加ですが、人に伝えることの難しさを再確認させられました。
自分では必死に伝えようとするが、伝えたい人に伝わらない。
これらからも、人に伝えることを努力していきたいと思います。

日々の生活の中で、人との関わりが表面的であり、口先だけのコミュニケーションで終わっている自分に気付きました。

相手にメッセージを正しく伝えることの困難さについては、実は自分に問題があったのだと感じています。
なさけないです。

相手の正面に自分が本気で立てるようになりたいと感じました。
本気で立つのは難しいですね。子供たちの正面に立っていけるように、一日も早くなりたいです。

●東京武禅レポートから抜粋 2月7日

自分が頭で思っているだけで終わってしまっている事に気付きました。正直ボーっとしているように周りから見えている。自分では、きちんとやっているはずなのに。日常から僕はそうなんだと思います。人と関係を持たず23年間生きてきたのかなぁと思うとぞっとします。頭で関係をもとうとするのじゃなく、相手を感じて六感まで総動員して感じる事、もっともっと感覚的な事、本能に近い事を感じないと駄目だと気付きました。

本当(真剣)に人に向かう事、自分と本当に向き合う事というのは、もの凄いエネルギーがいるのだと思い(気付いた)、今までは〜したつもりばかりで生きてきたのだと思います。今まで使った事がない、出した事もない力が必要なのだと感じました。相手がいればこそ自分も出来る、ということに感謝の気持ちを忘れずに心がけていきたいです。

今回先生と向かい合った時、私にちゃんと向かい合っている先生を初めて感じて「怖くて」目をそらしそうになってしまいました。その後は目をそらすまいと、自分を意識してしまったのですが、一瞬でも相手を感じるという感覚を得られたのは、私の中で大きな収穫でした。毎回人と向かい合うつもりで稽古に望んで、結局独りよがりだという事を実感させられます。

この武禅で学んでいる基本の教えを日常生活での基盤として実践していく事が、私にとって何よりの稽古になるのではないかと思います。 どうしても居ようとしてしまう、相手を見ようとしてしまう、感じようとしてしまいます。その「しようとする」というのは、先生が言われた「思う」と同じ事で、自分の中だけでやっていることだと、相手の前に立てば立つほど気付かされました。

今日「全く分からない」ことや自分の中から出るものが決定的に「弱い」というのは、自分の中ですごく意識出来たので、これからの課題としてやっていきます。

「真剣向かい合い」この瞬間について皆さんから頂いた言葉に、今現在の自分自身も感じていた、人間関係における問題点が凝縮されていた。

日常の中で、人と向き合う事を意識してきた、と自分では思っていたが、実際は人から関わってくれるのを「待っている」待ち人間だったと気付かされた。なんとボヤボヤボケッとしているんだと思う。「言葉を伝える」自分から相手に働きかけている筈なのに、言葉が?声が?こころが?相手にダイレクトに届いていないのを感じた。今日は、自分が大きな苔まみれの石であると感じた午後だった。(一回水で洗ってきれいになりました)

自分でブレーキをかけているのだと凄く感じました。声も気持ちも全部、出せるだけ出してみたいです。もし、顔もなく、声もなく手も足も動かない人間だったら、私はどうやって人に伝えようとするだろう。そこが大事な気がします。正面を取る稽古も自分の目の情報に頼ろうとする自分がいました。もっと、自分の感覚を信じたい、もっともっと信じられる感覚を持ちたいです。昨日のワークショップでも、人の手をしっかり握れていない事が分かりました。人と繋がりたい。結果を恐れず、今あるところ、今いる人に自分の何かを強く伝えて、その人の感じた何か、その人自身を感じたい。早く人間になりたいです。

僕はいつも人の話が聞けなくて、どうしてかと今考えると、いつも聞いた後に答えを言わなきゃいけないとか、色々思って勝手にプレッシャーに感じて、結局何も相手を聞けなかったと思います。また、向かい合って聞いて貰う関係でも、自分がどう思ったか、ではなく、どんな答えを言ったら良いのだろう?と人の顔色をうかがっていた気がします。

向かい合う前に、相手はどう思っているのだろう、どう考えているのだろう、と実際目の前で起こっている事に対して行動するのではなく、自分の妄想を元に行動していました。 自分は本当に相手と関係しようとしていないのがはっきりした。

相手をただ見るだけでは向かい合っておらず、本当に関係しようとして初めて出来るというのは驚いた。これは、この場に来なければ分からなかったと思う。

 

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          【2005年度分】 

● 東京武禅レポートから抜粋 11月19日

私は今までコミュニケーションをちゃんと取っていたのか!?これほどまでに閉じていたとは!…と、今日、強烈に実感しました。
日頃うっすら感じていることが拡大されて、ドカーンと体を通して感じました。
何ていったらいいのか、ショックと気持ちよさを同時に受けています。
最後には向き合った人とつながってるかどうか、という感覚が少し分かった様な気がするので、快感だった。

色々な事を考えてしまって、結局どれもそれをやってみてどうだったのか、だったらどうするのか、と具体的な検証をしていませんでした。
何か一つの具体的テーマを自分に命令する回路を強くしていきたいです。

とかく、目的であるはずの相手と関わるという大前提を無視しがちなところがあり、部分的なところでああでもない、こうでもないとやっている自分にあきれてしまいます。
今、自分は何をしているのか、何をしようとしているのか、目的をしっかり見据えていくために、多くの余計なものが邪魔をしてしまいます。

「前の人」「気持ち」「見る」先生の仰る事を繰り返し意識しようとするものの、その瞬間再び相手を見ていない。自分の相手、人に対する気持ちの無さ、意識のゆるさをあらためて、見せつけられかなり落ち込んでいます。
でも、逃げません。今後ともよろしくお願いします。

自分の気持ちが本当に相手に伝わらないことを実感しました。伝えたいのに伝わらない、何とももどかしい。もっと、人に気持ちを伝えられるようになりたいと、武禅が終わって今感じています。

向かい合いの時、片方の人が自分のことばかり考え始めると、今まで、相手の事を見ていた人も、見る事をしなくなってしまったのを感じました。
誰もが確かなものが無く、すぐに人に影響されてしまうことを目の当たりにし、自分のことを恐ろしくなりました。

正面向かい合いで、「見る」ではなく「見られる」ということに焦点を当てた時、いかに今まで「自分が」見るということだけしか意識していなかったかに気付かされた。
そして見ている時も、「見る時はこういう形」をすれば良いという「それ風」をやっている自分に気付き、恥ずかしくなった。
多分日常でも、「それ風」を当てはめているに違いなく、恐ろしくなりました。

● 東京武禅レポートから抜粋 10月1日

改めて、声を出すこと、相手に届けようとすることで、自分のパワーみたいなものが戻ってきたように感じ、やっぱりこういう状態の自分でいたいと再確認しました。
参加しないと、出せないし、向かう事がうすくなるなんて、甘い自分がいたことに今日は気付かされ、今から軌道修正したいと思います。

自分がやった事と第三者から見える事がずれている。今までのダンスの稽古で、自分がどうしたい、という回路が全てだった。そして今、自分がやっていると思った事がずれているのだから、今までやってきたことは、全て思い込み押入の中だ。
自分がどうしたいばかりなのだから、もちろん、相手とも関係していない。ということは…。

自分がものを見ていない、聞いていないということを改めて感じました。
稽古をしている相手と関係しようと努力したつもりでしたが、やっぱり関係出来ていなかった様に思います。でも、少し大きな声を出せるようになったのは嬉しかったです。

聞く側の姿勢が変わった途端、出している声の響きが変わった事等、沢山の変化を体験できました。

「武禅」のおもしろさは、日受精活に戻った時に、『あれっ?!』という感じで、現れるところにあるように思います。
人を指導する立場にあるため「声」の威力には驚いています。
そして、大きな声は精神まで開放してくれます。

今日の稽古では、特に「見る」事が出来ませんでした。「見ようとする気は見えるけど、見られている気がしない」と相手の方に言われました。
「見ているつもり」にはまってしまい、実際に見る事が出来なくなっています。
自分の気持ちと行動のズレに戸惑います。

久しぶりに人が真剣なのを見た。そして接した。
相手をしてもらった人の真剣さに引き出され、自分が真剣になったのには驚いた。

自分は他者とコネクトしていなかった、というか、相手に関わる、関心を持つという事が出来ていなかった事に、生まれて初めて気がついた。
気付かされた。今まで、挨拶一つまともに出来ていなかったと思うと恥ずかしい。

相手に向かって、真剣に言葉を発し、逆に真剣に最後まで相手の話を聞く。
とても気持ちの良い体験をしました。
お互いに前向きで、何かを一緒にやろうと思った時のエネルギーが湧いてきました。
今日だけで、終わってしまわないように、日常でも常にこころがけられるように頑張ります。

● 東京武禅レポートから抜粋 9月3日

人に向かって話すのは、最初喉が痛くなってどうしようか、と思ったけど、その後、円陣を組んで色々な人と言い合って、どんどん熱くなってきたら、大声を出していても喉が痛く無くなったのが不思議でした。

とにかく、色々と考えてしまった。客観的に自分を見て色々な事を評論している自分がいました。
日常でも同じです。
「ここ一番集中してやろう!楽しんでいこう!」これは全部嘘。
なぜそこで「集中していこう!」となるのか。
自分をだまして、自分に役を与えて演じているだけ。
もっと理屈抜きにして、考える時間を与えず、ひたすら動きたい。
「つまらない」とさえ思えなくなっていた事が残念で仕方がない。
多分、自分を評論して客観視し、自分を傷つけないように必死だったのだろう。

他の人が向かい合っているのを見た時に、殆どの人が目がうつろで身体は固まり、ぼんやりしているように感じました。自分もそういう風に見えていたのだろうと思うと、自分の感覚と実際のズレに驚きました。
今まで、自分や相手の気持ちを考えた事が本当にあったのだろうか?という思いが大きくなり、この今までさぼってきた時間を取り戻せるのかが不安です。

日常生活でも、当事者にはならないような逃げ道を自分で用意しているように思います。
失敗が失敗としての意味を持っていませんでした。
つまづいた時に思いっきり痛みを感じられる事が出来るような場所に立ちたいです。
立ち続けられる、体力・気力をつけたいです。

正面から向き合う事の難しさを感じています。やってみて、「向きあっていない」といわれると反射的に何かを頭で考えている事に気付きます。
そうじゃない、そうじゃない、と思えば今度はどんどん気持ちが揺れてきます。
ただ正面に立つというだけなのに、なぜ、多くの余計なことを思ったり考えたりするのでしょうか。

夏のワークショップの時に同じ事をやりましたが、その時にいかに自分が向かい合えていないかに驚きましたが、今日、武禅に参加してみて、ワークショップの時よりさらに自分が向かえてないかに驚いてしまいました。

今回、特に感じた事は、身体で素直に感じるだけで良いのに、すぐ頭が働いて余計な事を考えてしまうと言う事です。頭ですぐ考えてしまう事に苛立ちを感じ、出も治す事が出来ずにまた同じ事を繰り返してしまう自分が情けないです。

初めて参加させて頂いて、日常の自分のあいまいさに愕然としました。今の自分の人生の結果が、三年前、五年前の自分の思考・決断・行動の結果だと最初に先生に言われた時、絶対に今の自分じゃ嫌だと思いました。

ワークショップを受けてから一ヶ月が過ぎました。いかに自分が「偽り」で人の前にたっているか…。人の正面に立ち、まっすぐ向かい合えた時、こころの奥にジワッとこみ上げてくるものがありました。

● 東京武禅レポートから抜粋 7月2日

今まで自分では一生懸命のつもりで、仕事や生活をしていたけれど、本当につもりだったのかもなぁと、まだまだボンヤリしているところはあるけれど感じます。今回は初参加で、見よう見まねでとても新鮮で、自分自身に何時も出している自分の駄目出しも、凄く甘くて霞の様であることを、まったく初対面の先生やお互い生徒さん達にスパスパと意見をシンプルに言い合える、シンプルな感動がありました。普段使っていなかった脳みその新しい部分が動き始めた気がします。

声と声がキャッチボール出来ている瞬間は、見ていてもとても気持ちが良かった。人と人がいるのに関係をどうして持てなくなるのか。「なぜだー!」と叫びたくなりました。

『表現をすること』『人前に立って何かをすること』を目指しているので、自分の今いるれべるに愕然としてしまった。一番大きな気付きは、肩を掴もうと相手と対峙した時、「頭だけで考えてしまっている」「目の前に壁がある様だ」とアドバイスを貰った。そこで、本当に掴みにいったら「さっきより顔、表情が出てきた」と言われた。しかし、表現をする場合には、本当に掴みにいかなくても、周りの人にその事が伝わらなければならない。今の私は、それをやろうとすると、どうにもくさくなってしまう。回路がないのだと途方に暮れてしまった。

今回は自分の気付いて無さが分かって、何とも言えない気持ちになった。「必死さが足りない」と言われたのが、ズンと胸に来たが、必死に気付こうと今までしてなかったのだ、という事が、気付いて無さだったんだなと思った。全てが中途半端で、何かそれが殻の中って事なんだなと思った。自分を出す、というのは最初の頃より大分気持ちよく出来る時もあるが、その中にも沢山のレベルがあって、さらに深いところに気付いて出していかなければ、同じ事を毎回武禅で繰り返すことになる。そこを絶対に気付いていこうと思った。

特に感じたことは、自分がとてつもなく分厚い殻の中にいて、そこから抜け出したくても中々抜け出せないということです。本当に情けない重いです。出したくても出せない自分、悔しいです。一つだけ収穫があったのは、自分が出来てないと思った時は、相手の人も駄目と言い、自分が少しだけ出来たかなと感じた時は、相手の人も同じ事を言ってくれる。というように、ほぼ一致してきたことです。少しだけ自分を客観的に見れる様になったのかな、と感じました。

「人と対する」ということは、本当に難しいことだなぁと思いました。全てに於いて、要は自分の心の中の有り様が映し出されているのかなと思いました。まだ今日初めて参加した段階では、迷いだらけで有ることも分かりました。自分がどの方向に行きたいのか、どうなりたいのか、そういったことが自分の中で分かっていないと、どこにも行きようがないと思います。おそらく、何が正解か?というのは無いのだと思いますが、今、生きていて人と関わって日常の中で過ごしている以上、もっと自分の中が広がって、よりよく生きていけたらと思います。

● 東京武禅レポートから抜粋 6月4日

自分で考える自分は当てにならない上に、相手と関係を持つ時に役に立たない。そればかりか、邪魔もするというとんでもないものだった。自分一人で気づけないということは、確実に相手が必要で、今日の練習で初めて他人を意識しました。自分が成長する為には、必ず他人との関係の中でしか出来ないということが重要で、それが自分に一番必要なことだと思った。

相手の正面に立つを、目を閉じて行った。目が見えてないと全く出来ないと思ったが、意外に「何か」を感じ、正面に立てたのが新鮮だった。そして、その後目を開いた時の恐ろしいほどの刺激の強さに、また驚いた。頭は気付かずとも身体は感じているのだということ、目からの情報が非常に刺激的だということ。まさに、昼間は星が見えないような感覚だった。

武禅に参加して感じたのは、事前に予想していたよりもずっと難しかったこと。そして、これまで自分なりに正しいと思っていたやり方が間違っていたことを知ってガッカリしたことです。その一方で、これ迄の方法が間違っていたという新しい発見に、何だか笑いが出てしまいそうなうれしさも感じました。でも、間違いだと分かったので、今までと違う方法を試みて自分で工夫していきたいと思います。そして、自分の進んでいる方向が間違っていないかを確認する為に、また武禅に参加します。

正面向かい合いがこんなにも難しく、普段の生活で友達や仲間との会話でも、きちんと相手の目を見て向き合っていなかったのかと…、正直恐くなりました。相手との関係性の中で毎日過ごし、生活しているはずなのに、私は自分勝手なものの見方で相手との関係を無視したり、感じているふりをしたり、感じないようにコントロールしたりと、真っ直ぐそのまま感じていない事を今回発見しました。相手と向き合った時、なぜかとても恥ずかしく自分のするのを誤魔化してしまったりしているのも、発見しました。

今日、最初に感じた驚きは、正面向かい合いの時、Aさんの姿勢の胸骨を上げた時と、上げない時の印象が全く違ったことだ。胸骨を上げた時のAさんは、確かにそこにいる、という存在感を感じ、大きく安定した印象を受けた。自分も胸骨を上げ正面向かい合いをすると、上げていない時よりも相手に集中することが出来た。また、目を閉じた声を届ける時、自分に向かって届けられているにもかかわらず「僕かな〜」と一寸思いを巡らしてから目を開けている。相手の行為に対して素直に反応出来ない自分、頭がまだまだ取れていないようです。

相手に手を握られ「こんにちは」の時、相手を見ずに眺めてしまっている自分に気付きましたが、それを自分で直そうとしても、まったく自分を変えられないので、どうして良いかとまどってしまった。しかし、それとは裏腹に相手はどんどん変化し声が出る様になっていく様子を見て、焦るばかりでした。どんどん声が出ていく人を見ると、自分も声が出る。また、声の出る人に、自分に向かって貰うと自分からも出せる気がする。つくづく人間関係が人を作るのだと思った。ということは、先生のいうとおり自分の友達や仲間が大事なのだと思った。類は類を呼ぶんだと思いました。

● 東京武禅レポートから抜粋 5月14日

初めて参加しました。全体を通して新たな発見がたくさんあり、貴重な体験でした。まず「相手を見る」ということが、こんなに難しく、見ているようで見ていなかった。ただ相手を見るのではなく、何かを伝えるということが大切で、一方的であってはただの思いこみになってしまうのだと気付きました。「相手の前に立つ」というのも本当に難しい。気が遠くなります。日常生活で相手と向かい合うことよりも、すれ違う事の方が多いのではないかとも思いました。普段生活していると、「なんとなく」が積み重なって忘れてしまうような大切な感覚を、今日、思い出しました。

今、やっていることだけが大切なのであり、やってしまったことについて考える事は「今」を無視することであり、意味のない作業だ。一区切りついて、反省考察は必要だが、「相手を見る」ことをしている時に、同時に迷ったりしているのは意味のない作業だ。普段から一瞬、一瞬を非常に無駄使いしているのではないだろうか、もったいない、恐ろしいと思う。確かに、本当に目の前の事態に集中した時は、直前の失敗をいちいち悔やんだりはしていない。

今まで自分でうまくやっているつもりが、全部駄目でした。自分が感じていることと、他者が感じていることのギャップにびっくりして、とまどったけれども、それ以上に大きな気付きがありました。こんな清々しい気持ちになったのは初めてです。わずか5〜6時間で、こんなにも気付くことが出来るとは思いませんでした。

今日は「引かない・逃げない」をテーマに武禅に参加させて頂きました。しかし「引かない」という意気込みはあってもまだまだ思い込みだけだったようで「置物」と言われてしまいました。その「置物」の身体を打破する為に、相手に何度も向かっていくことをしたら、身体もこころも前に向かえた様に思えました。

● 東京武禅レポートから抜粋 4月2日

「こんにちは」と向かい合って話す事によって初めて気付く。まったくもって相手と
向かい合っておらず、声を相手に届けようともしていない事に。「もっと声を出して」
「かっこつけている」「冷静をよそおっている」と指摘されるたびに、あー、いつも
俺こういうふうに物事から逃げてたんだと気付くきっかけになる。

この数時間で、今まで体験した事が無い事が体験できました。相手と関わる、関係を
持つと言う事を普段あたりまえと思っていながら現実として向き合ってみると、自分
は今まできちんと人と向き合っていなかったのかもしれないと思い、少しショックで
す。相手の声に気づける、そのような事をやっていけたら、と思います。

相手と向き合い、相手とかかわり繋がって発信する事、感受すること、全く自分の経
験則が役に立たない事が(実は今まできちんと経験していない事)先ず分かりました。
それ故、自分の心身に羅針盤が無いわけですから、ただ右往左往するだけの自分であ
りました。

自分にとっての相手と関係を作れる距離や気持ちがこんなに足りないとは思いません
でした。相手の声がしっかり届いた時や、相手がしっかりと正面に立つと、一本の棒
どうしが向かい合うように感じました。私は、理屈ばかりで考えてしまうところがあ
り、それが何度も意識が散漫になりましたが、この体の感覚を大事にして、体そのも
のの姿勢などにも気をつけて生きたいです。

まず、自分がいかに人とまともにコミュニケーションしていない事を実感しました。
しかし、上辺だけでないコミュニケーションはなかなか感じる事が難しかったです。
どこまでが自分の思い込みか?頭で考える事を停止することによって感じたのか?自
分の思い込みなのか?その区別が認識出来ませんでした。まともに、人と向き合う事
は大変エネルギーの必要なことだと感じました。ここちの良い疲労感ですが疲れまし
た。

● 東京武禅レポートから抜粋 2月6日

人を見てコメントを求められた時、自分の観察力の無さ、甘さ、以外と、その思った事を言葉にする事のボキャブラリーの低さを思い知り、周りの人が様々な視点や言葉の表現力を持っている事を知らされました。
その点において、他の人の物の見方や考え方を知る事が、自分の視野も広げ表現をも豊かにしてくれるという、人から学ぶという事を今日の稽古で痛感しました。

複数で輪になって、声を届かせ自分だと思ったら、また言い返すという稽古では、相手に何度も言っているのに届かず、やっと届いたと思ってうれしくなっても、必ず相手が「私に言ったって事でいいんですよね?」という顔を見ると通じない事がとても嫌になりました。出来ないという実感を得て、初めて本当に通じたいと思うようになるのだと思いました。

声を届ける事の難しさに驚きました。相手に伝えるということって、とても疲れるのだなとただただ実感。今まで一体どれだけ伝えたい相手に伝える事が出来たのだろう?と疑問も生まれました。おそらく名前を言う事や状況に助けられていただけではないかと思いました。

感じた事を言葉にするのは難しかった。見た瞬間は何か感じているのに、うまく言語化しずらく、ドキドキしてしまった。これは日頃から常に訓練すべきだと思いました。

今回一番ガツンと来たのは、人の話を聞けない自分に上乗せして、人の言葉をブロックしてしまう自分を指摘された事でした。言葉というか、人から強い気持ちを受けると、ガシャンとシャッターを下ろしてしまう自分。……なんで?相手が恐いから?何で相手が恐い?傷つけられそうだから…、でも傷つけられた事ある?傷つけられたと思うのは、自分の思い一つだと思うのですが……。

● 東京武禅レポートから抜粋 1月15日

何度も何度も同じコメントをもらった。「目の前にいない・一人で演じている様だ・今ここにいない・頭で考えてはいけない・すぐ反応すること」真剣に目の前の相手と対するのだと。頭で分かっても、得心しても。更に実際にやってみるのは簡単ではないことを体験した。考えてみると仕事上や対人関係でも、今回貰ったコメントと繋がるところがあることに気づかされた。本気になること、真剣になることの入り口に触れることが出来た有意義な体験だった。

普段何気なく立っていたり、人と接している自分はどれだけ本当に話を聞いているのか、伝わっているのか、と考えてしまいます。ただ、お互いに向き合っていると言葉はなくとも伝わるのだと感じました。雑念が入ると「作り物」になってしまう自分がいるのに、それに気付かずにいる…日常を送っているのではないか?客観的に見ると「見えてくる」のにもびっくりしました。

色々な今迄の固定観念が邪魔をして、自分が無いことに気がつきました。こんな風に思っていいのかとか、余計な自分が出てきてしまい、本当は何も感じる事が出来ないような気がしました。また、相手に何も伝えられていない様にも思います。とても単純な事をするのに、何故かすごく難しく感じました。

人を見てコメントを求められる時は、自分の観察力の無さや認識力の甘さを痛感しました。二人組で声を出し合う時は、一斉に周りが大声を出し始めた中で、その気迫に押されて声も出せず集中できず、言葉もきちんと言えませんでした。私はこれまで何をしていたのか、状況に流されてやってきただけで、自分の人生を、人に、仕事に本当の意味で立ち向かっていなかったことを、この稽古を通じて痛感しました。

「どこか遠い所を見ている気がする・高みの見物・空っぽな感じ・安全圏・いつでも逃げる用意は出来ている」とか言われたのは、全部やっぱりショックでした。何か言い当てられていると思うので(でも自分では見ない振りをしてきた面だと思うので)そうゆう事を言って貰った事は貴重な体験です。自分の何をそんなに守りたいのか自分でも分かりません。結局はそれで、自分を小さな所に閉じ込めているので。

自分がしっかりと他人と関係を結んでいないことが分かったけれど、それを直に感じることによって、それをどうにかしていこうとする意識に繋がっていく気がしました。日常生活の大事さを改めて気付かされた気がしました。人間の基礎でとても大事なことだと思いました。

数日前の事。数ヶ月ぶりにあった友人に「変わったねえ、中身が」と言われました。今までは対面していると、トゲのような相手を傷つけるようなきつさがあったけれど、それがなくなったそうです。角が取れて丸くなったとも……。おかげさまで少しずつ変化、成長しているようです。

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