hino-body-Manual

1ーまず骨格で考えてみる
2-骨格の順番を実感する

3ー一番分かり易く大切な器官は背骨です
4ー手や足を身体全体として捉える

身体を不思議だと思うのか思わないか?そこが効率的なトレーニングが出きるのか出来ないのかの分かれ道です。

例えば、身体は「誰が」動かしているのでしょう。
足の隅々まで手の隅々まで「自分が管理できている」でしょうか?
自分が管理しているから手は食事を運んでくれるのでしょうか?
自分は「食事をしよう」と思っただけではないでしょうか?
いや、ふと頭をよぎったでけではないでしょうか?
心臓は誰が動かしているのでしょう?血液の流れは誰が指令を出しているのでしょう。
誰が指令を出しているから胃は食物を消化したり、栄養素だけを吸収するのでしょう。

そういった事を一切意識しないでも働いてくれる「身体」。
ちょっと気分が動いたらそれに比例して緊張してしまう身体、意識を一定方向に向けようとすればするほど萎縮する身体、思っていることを直接的には実現させない身体、意識の固さがそのまま投影されている身体、精神が直接投影されている身体。
しかし、無意識的には完全な身体。
といった「身体の不思議」という問題を抱えた「身体」を、こと「運動をする」という視点で捉えたとき、身体をどう考えどう働かせなければいけないのでしょう。
そして、様々なスポーツの記録や観客を魅了する、表現そのものを表現している身体に作り上げるにはどうすればよいのでしょう。
身体は天才
意識はからだを束縛する
例えば手や足は、それぞれが独立して動いているかのように思うし見えます。
しかし、それは自分では感じ取ることが出来ないだけで、全身は繋がっているし連なって運動を起こしているのです。
でも、一般的には独立して動く許容範囲(筋力・稼働)だからと思いがちです。
ですから、その許容幅だけを広げていくことを、ボディ・トレーニングやウエイト・トレーニングと呼んでいるのです。
それを一般的には、どんな有名なスポーツ選手も殆どの例外なくトレーニングと思い取り組んでいるのです。

では試しに、どんな姿勢でもいいですから、例えばコップを持つのとちょっと大きなヤカン(5リットル位)に水を一杯入れたものを持つのを比べてみて下さい。
どうですか、コップは精々肩と肘辺りにしかテンションは掛かっていないように感じるでしょう。
でも、5リットルの方はどうでしょう。
もしも立っているなら、体重の掛かっている背中・腰や足の裏にまでテンションが掛かっているだろうし、座っているのなら、肘・肩はいうに及ばず背中・腰から骨盤の下側にまでテンションが掛かっているのを感じられるでしょう。
ですから、手は独立して動いているのではなく、自分自身が感じ取りにくい場合と感じ取り易いかの違いだけで全身で動かしているのです。

となると、一般生活は別にして、色々なスポーツやダンス、といった身体を駆使する事で記録を、あるいは表現として何かを求めるとした時、手や足、そして身体全体を働かせるための基本的な考え方は、手・足といった部分だけを強化するのではなく、身体全体をどういう仕組みだと捉えるのが良いか、そして、その捉え方でどう働かせばよいのか、が非常に重要な問題になってくるのが分かるでしょう。
そうなんですよ、一般生活の延長線上で、そして、自分の鈍い感受性で身体のことを考えても駄目、ということなのです。

分かるでしょう。記録を出したり、人以上の力を出したり、人並み以上の表現される動きを作りたければ、日常生活の延長線上には何もないのですよ。
日常生活の延長線上というのは、先程話したように、手や足が独立して動いているかのように見えたのは、自分自身が身体に対しての感受性の鈍さという事ですね。
ですから、その部分の筋力だけを鍛えたり、稼働範囲を広げる、という発想を持つのですが、その発想が日常生活の延長線上だということになりますね。
1ーまず骨格で考えてみる
2-骨格の順番を実感する
3ー一番分かり易く大切な器官は背骨です
4ー手や足を身体全体として捉える

1ーまず骨格で考えてみる

先程の例からも分かるように、例え「手」だけを動かすであっても、身体全体に影響を与えています。
ですから、その手から腕を動かすとき、骨格で考えます。
もちろん、骨格そのものは当たり前のことですが動きません。その骨格を取り巻く筋や腱、そこに張り巡らされている神経に信号が送られ「動く」という現象が起こるのです。
しかしここではしばらく、この神経系統や筋や腱の事は忘れて下さい。
「手」に掛かった重みは足の裏にまで到達しました。
という事は、それらに関係する骨格郡は連なっている、と考えて差し支えありませんね。
つまり、骨格は末端から末端へ連らなっている、「連動している=伝動する」という事です。
逆からいえば、身体は連動する仕組みになっている、という事で、それを目に見えるところでいえば、動物達の動きと同じだということです。
例えば、チーターのようなヒョウのようなしなやかな動きが、本来の人間の身体の動きなのです。


からだは天才
各関節を連動させる

2-骨格の順番を実感する

末端から末端を感じる稽古をします。
まずは骨格ですから、見た目にはブレークダンスのような動きになっていきます。
でも、ブレークダンスとこの稽古の違いは、各関節の繋がりを感じるのは同じなのですが、この場合の稽古の目的は実際に繋がってなくてはならない事です。
実際に繋がっているから、動物達のように手や足という末端から力が発揮されるのであって、繋がっているように見えても力は発揮されません(というところから考えれば、ダンスなども『見えるだけ』から『本当に繋がっている』にレベルアップすれば、より滑らかに、そして、美しい動きが作り上げられていく、という事が見えてきますね)。
それと、各関節は繋がっていない、という矛盾する稽古をします。
それが出きるということは、繋がりをコントロールできるという事になっていくからです。
そうする事で、より緻密に連関できるようになる、つまり「力が出る」「緻密な表現ができる」のです。

3ー一番分かり易く大切な器官は背骨です

先程の全体の動きと手や足の動きのリンクの入り口は背骨です。
そして肩甲骨や鎖骨・骨盤を介して末端へと繋がります。
その前に背骨の一つ一つを実感していき、例えば腰椎から頚椎まで実感し、連動させ末端へと繋げます。(実感は外からの刺激を知覚する事です)
その時点で、本当に繋がっているのかどうかを末端に、例えばこの場合ですと頭頂に上から負荷をかけてその負荷以上の力が出るのかどうかを確かめます。

肩から肘、そして手首

●お問い合わせ


4ー手や足を身体全体として捉える

ライオンや虎が獲物を狩るとき、前脚でダメージを与えます。
もちろん、そのままカブリツク場合もありますが、何れも全身が同時に動いて前脚や顔が動いています。
つまり、全体移動と全身の連動がリンクされ行われているという事です。
それがここでいう「連動」なのです。
しなやかな動きは動物達が走っているときだけではありません。
24時間、生あるうちはどんな場合でもしなやかなのです。
それが動物本来の動きなのですから。
まず、手や腕は、背骨からくっついていると考えるのです。
もちろん、足もそうなのですが、足は背骨にたどり着く前に骨盤がありますから、この存在が邪魔になります。
最初は邪魔な骨盤を無視して腰椎から足だと考えればよいでしょう。
そして、全体が動くのと手や足が動くのをリンクさせるのです。
この場合は、末端としての「手や足」に負荷をかけ、それ以上の力が出ているかどうかを検証します。

ここまでで出てくる問題は、「実感していると“思う”」という“思ってしまう”という問題です。
いくら思っていても、それは“思う”ですから、当たり前ですが“出来ている”とは全く違うものですね。
でも、それはここで文字として言葉として現れているものですから理解できますが、自分の身体の中で起こっている出来事、また、頭の中で起こっている出来事は、文字や言葉のようには自分からは「目に見えない」ので、混乱させるのです。

ですから、ストレスをかける事によって
“思う”なのか“出来ている”の、どちらなのか確かめる必要があるのです。
そして、もう一つの問題は、自分に負荷がかかることによって、気持ちが“緊張”したり、意識がそのストレスに向いて“ストレスを取り除こう”という意識になったりする、という問題です。
ここで始めて内面が登場しますが、何を隠そうこの内面が一番のくせ者で、自分でコントロールできないものの一つなのです。

そういった意味で、この内面の動きを知るためにもストレスをかける必要があるのです。
そして、その内面を上手く活用して
「身体」により自由性を与えるという事がレッスンの狙いです。
といった身体の不思議の実際を知る、という事と同時進行で身体を作り上げていかなければならないのです。
それは、その不思議な身体をうまく働かさなければ、身体としての働きを作り出せないからです。

 

身体塾 武道塾 武禅 


●稽古と意識 ●ギエムという芸術  ●文楽は武道だ  ●トレーニングの仕方 ●メンタルトレーニング?

●お問い合わせ

ワークショップ2へ

●過去のワークショップ一覧へ