●53回〜61回

61回武禅レポート(1泊2日)

セクション3

自分の声を人に届かせることの難しさを初めて実感した。今まで話の中身の問題で、人が聞いてくれないという理解であったが、それ以前の問題が存在することを気にしていなかった。
それよりも、自分が人の声を聞いていないという実例を見せられ、意外の感に打たれた。自分の意思次第の聞くという行為が最後までコントロールできなかった事は、我ながら不満が残る。

50代 男性 会社員 初参加


豚バラ肉とタマネギの焼酎味噌煮込み、タケノコ・ふき・高野豆腐のオランダ煮、わらびのおしたし、色々春野菜のサラダ、うどの新芽・ヨモギ・三つ葉の天ぷら、三つ葉・わかめ・ふのおすまし、タケノコご飯


セクション1

「感じる」「正面に向かい合う」共に日常よく使われる言葉ですが「できているのか?」という問いかけをされて、「出来ていなかった」「していなかった」という答えしか出ません。
初めは何のことかさっぱり分からなかった事が、向かい合い感じる、セッションを体験した辺りから少しずつ感じてきました。
ただし、感じたのは良かったのですが、自分が人と正面から向き合っていないのではないか?という、新たな発見をしてしまいました。

40代 自営業 初参加

セクション3

「相手に伝えるということ、それは感情を伝えるということ」理屈抜きで体験させて頂きました。
感情から発せられる言葉と、口先から出る声とは本質的に違うのだと、体験させて頂きました。
大きな声で言葉が出だした時、自分でも分かる気がしました。しかも、のどが痛くならないのがよく分かりました。
口先だけでは、相手に伝わらないばかりか、自分をも痛める事になると思いました。
教えて貰った利教えるものではなく、とにかく体験と実践が最高の師なのだと感じました。
その体験と気付きの場を与えて頂きありがとうございます。

40代 自営業 初参加


和風ハヤシライス ・ショウガご飯添え


セクション4

会話が気持ちいいなんて。しかも相手が自分に話してくれることって、こんなにも気持ち良いものかと体験させて頂きました。
今まで、「しゃべる快感」は経験していましたが、実はこれは、相手にとってはどうでもいい内容で、自分だけの空回りだったわけでしょうが……。
口先だけの発声のかけあいを会話だと思っていた間違いに気付かせて頂きました。日常において実践できる事と思います。
「会う快感」にはまりそうです。

50代 自営業 初参加


 

59回武禅レポート(2泊3日)


セクション2

手のひらは凄い!相手が伝わってくる。
にぎった部分から伝わってくる。
同時に自分も伝える。
最後に先生が話して下さった事をきいて、伝わってくることには敏感でも、伝えること(相手がやりやすいように)に対しては鈍感だったのでは、と思う。
自分がやりやすい方で、あいてがやりやすいではなかったな、と。
相手から感じる違和感はもちろん、その人のやっている事からくるものだけれど、その違和感を作り出す、もしくは倍増させているのは相手である私ということも、あり得るのかと思うと、ぞっとする。

30代 女性 25回参加 学童教員



鯖のコチュジャン煮込み、エビ団子・がんもどき・白菜の煮物、菜の花のおひたし、糸寒天とキュウリ・わかめ・卵の酢の物、ゆりね・ウナギのあんかけ茶碗蒸し、煎り青大豆の炊き込みご飯、豆腐・ネギのみそ汁


セクション1

人と向き合えていない(人と向き合うことをしない)自分がいた。
向き合っているふり、向き合おうとするふり、全て自分より人を低く見る悪いクセを直さない限り、このことは直らないと感じた。
人を人として感じ取り、素直に向き合わない限り、自分の誤魔化しが通じる相手にしか対処できないと思い知った。
自分を飾る全てが相手に通じず、素の自分だけで、相手に対することが本当にしんどく疲れることだと感じた。
自分を自分として、相手に対して本気でぶつけることを知らないのかもしれない。
そういう自分ときっちり真正面からぶつかることが、今日は少しできたような気がする。

50代 男性 初参加 会社役員



セクション4

受け手にいる時に、相手からの働きかけを待っている自分は、日常のコミュニケーションと同じでした。
練習で、受け手であっても相手と同じくらいの働きかけをすること、相手としっかり向き合うことの大切さを実感しました。
全員が並んで順番に相手から受ける練習の時、他の人に比べて相手の私へのトーンが低かったのは、自分がしっかり受けていなかったせいでした。
日常的にも思い当たる節もあり、寂しく感じました。
相手の優しさや真剣さを感じた時は嬉しく(これが生きているという実感かも知れません)、相手にしっかり応えられる自分でいたいと思いました。

40代 女性 初参加 公務員


お代わり用・やさしい味の和風野菜たっぷりカレー

セクション5

後ろ向きの相手に声を届ける稽古は、まさしく孤独、悔しさ、歯がゆさ、情けなさとの闘いだった。
これまで同様「声を届けたい」という切実な思いを爆発させたり、相手にぶつける事が中々出来なかった。
伝えている‘つもり'の時間が異常に長く感じられ、手を上げてくれない相手への苛立ちになった。
苛立ちをどんどん募らせてそれを爆発させれば良いんだ、と思い、実行するも全然駄目だった。
頭で考えてはいけない、と分かっているのに作戦を立ててしまう。
日頃のクセが如実に表れてしまった。
稽古終了後にAさんから、「あなたのその体格で、あの程度の声、行動じゃ弱すぎる。
もっと気持ちを出しなさい」を、いつも心に置いてこれからの日常生活を生きていきたいと思う。

20代 女性 初参加 家事手伝い

 


特製武禅カレー、今日は牛肉とエリンギ入り、フルーツポンチ、小豆、自家製ラッキョ、福神漬け

セクション3

今回のセクションで、初めて本気で人に話と言うことが少しだけ分かったような気がします。
本気で人に話をすることが、今まで無かったと言うことが分かりました。
後、何に関しても、本気になったことが無かったということも分かりました。
勉強、仕事についてもそうだったと思います。
人に話をする、聞くというのが、こうなのかなあ、と感じた処があります。
今まで、何でも逃げていた私に向かっていかなくてはいけない、ということも教えて貰った様な気がします。


30代 男性 初参加 会社員



セクション3

すごい、すごい、すごい、最初は虫が鳴くような声だった女性が、最後は別人のようになっていた。
本当に凄いことだ。
私も含め、皆が終わった後に生まれ変わったようだった。
人と人が真剣に向かい合ったら凄いことが起きるんだと思った。
これが本当の稽古だ。
人と人が真剣に気持ちをぶつけ合う、そこには沈黙も混乱もない。
ただ必死に自分をぶつけ合うだけ。
怒りと笑いと全てが含まれている。
終わった後は、皆がまるで同級生のように、友人のように、家族のように語り合う。
これが本当の仲間だと思った。
気持ちをぶつけることは「超気持ちよい」ことだ。

30代 男性 20回参加 公務員

 

58回武禅レポート




セクション3


ほえた!ほえた!ほえた!俺の中にこんなエネルギーがあった!
エネルギーをぶつけ合った!
なんか2,3枚カラがとれた!
なんていらんもんをつけて人間は生きているんだろう。
このままでええじゃないか。
遠慮も何もなく、思う存分声を届ければ、ええやんか。文章もスラスラ進む。
飾らない。
思いを届けたい。
それだけや。
俺は大声でどなられて、一歩も退かなかった。
俺にもこれだけ力があったのだ!
今はもう出し切った満足感で、胸がすっきりしている。
眠れるだろうか。
何か獣になった夢でも見そうだ。



20代 学生 初参加


トロトロ豚ばら肉・柔らか大根・干し椎茸・ウズラ卵の煮物、おろし大根の蒸し物・あんかけ、白菜と小松菜のお浸し、水菜のサラダ、豆腐とねぎの味噌汁

 

 


セクション2


触れられている感じを感じる、圧力を感じる、頭では簡単に理解できても全く感じられなかった。
というより、自分では感じていると思っていたのに、手が感じようとしていない、生きている感じがしないといわれ、非常にショックだった。
意識しよう、頑張って感じようとしても全く上手くいかず、握られている圧力だけになった時は、体も自然に動けたように思う。

この感覚の鈍さは仕事の面で非常に大きなマイナスなので、日頃から磨いていきたいと思います。
心と体が繋がっていない。
体を使えていないということがよく判りました。

20代 整体師 初参加

セクション4

「どうぞ」が一回も言えなかった。
生まれてこの方他人は「どうぞ」したことのないのに初めて気付いた。
アルバイトで接客業をしていた時、お客さんの反応があまりよくないのは薄々気付いていたけど、俺は「上から」ラリッた感じで「どうぞ」と言っていたのに気付く。
「どうぞ」と言った瞬間に、体が全然「どうぞ」になっていない。
相手を全く受け入れていない。
全部独りよがり。
気持ちだけ。
いや気持ちすら「どうぞ」になっていない。
相手に対して無関心だ。
「どうぞ」の練習は自分にとってかなりショックだった。
日頃どのように自分が相手に接しているか如実に現れた。
先生に自分の写真を見せられた時、自分の姿のおぞましさを知った。
あんな写真を見せられたら気軽に相手と接せられない。
けど日常では接しなければならない。
そこが悩みだ。


20代 学生 初参加

セクション5

一度真剣にやってみると、いかに自分が日頃真剣でないかが解る。
日頃の自分が軽薄なもののように思える。
一語一語、赤ん坊の頃は一生懸命しゃべっていた筈の言葉を、自分は乗りこなしているつもりで、普段意識することなく使っている。
けどそれは、本当にきのせいで、普段の言葉は独り言に近い。
相手に届くのは抜け殻だけ。
その事に気付けただけでもこの2日間は、本当に人生にとって意味のある経験だった。
日常生活の中で、この感覚を磨いていくのは大変だが、意識しなければ感覚はどんどん鈍っていくだろう。
まず意識することから始めたい。

20代 学生 初参加

セクション3


声、ひとに言葉を伝える。
どんでもない、今まで何を口を使って伝えていたんだろう。
全くの独り言。
腹の底から声が出ない。
どうしても口先だけの言葉。
ともかく大きな声を張り上げて相手の目をよく見て自分を伝えようとする。
それしかないような気がします。
自分は何のためにその人の前に立っているのか、自分に対して腹立たしくなる。
もっと、もっと大きな声を出してみたい。


50代 パン職人 初参加


セクション5


武禅を終えて、とにかくよく判ったのは感覚が鈍い、という事です。
寝ぼけたような生き方をしてきたことを痛感しました。
これからは、物事について、これはどうしてこうなっているのか?何の理由があるのか?と疑問を持ったり、自分の言動に注意を払い、相手とどんな関係になっているのか、というようなことを見る様にしていきたいと思います。
とにかく、出来ないことだらけなので、なにはともあれやってみる、という指針で行きたいと思います。


30代 治療家 初参加

 

57回武禅レポート(1泊2日)




セクション1

シンプルなことほど難しい。
今迄自分や他人の存在が希薄な感じがしながら生きてきたのですが、それが浮き彫りになったようです。
自分を他人をしっかり見ることは当たり前のことなのですが、全然出来ていない。
先生の言われるとおり頭で考えていたのでは答えは出ない気がする。
向かい合って歩いていくとき、何度か相手とつながっている感覚があり、それが自分ではすごく納得のいく感覚でした。
それが何十回に一回。
なぜ出来たのか?止まらずに考える。
感じるように考える。
この習慣が今迄無かったのだろう。
自分のシステムを変えるのは難しい。
考えても改善の方法が浮かばない。
どんどんやっていくことで、今後何かを掴めれば良いと思う。


30代 治療家 初参加


牛すじのどて焼き、ごぼう、こんにゃく、椎茸、ウズラ卵入り。やわらか大根のエビあんかけ。中華風サラダ。里芋、ブロッコリー、人参の白和え。秋のキノコ色々の炊き込みご飯。すまし汁。自家製ぬか漬け。

 

 

セクション1

隙があったら攻めてよいと言われ、前蹴り、回し打ち掌底とやってみた。
自分が勝てていそうな事もあったが「相手に合わせていない。
勝手に動いているだけ」と言われ、空手やキックをやっていた時のことを思い出した。
ましてや、日常のコミュニケーションでは尚更だろうと思った。
一方的に話し、笑い怒りしていることが、容易に想像できる。
今迄言われなかっただけで、本当は皆が思っていたのだろう。
いずれにしても客観的に自分を捉えられていないということを感じた。
相手に合わせる。
自分を伝えるということが、現実には何も出来ていないと思うと恐ろしくなる。
しから、これが判って良かった。

40代 教師 初参加

セクション2

気持ちを届ける。
相手の気持ちを受けとめる。
日ごろいかに自分本位で生きているか判りました。
面と向かっているのにその人を見ていない。
日常よくある「言ったやん」「聞いてない」はこんなところから来ているのだ。
でも自分をぶつけようとしても、中々出し切れない。
これもセクション1で動きに捉われていたのと同じで、言葉に捉われて気持ちからいくと言うことが出来ない。
でも、何度も繰り返すうちにほぐれていく気がする。
やはり、やっていく中で発想を自分を変えていくしかないのだろう。
とにかくそつなくこなすという事で生きてきたので、それを壊すのは骨がおれそうです。

30代 治療家 初参加


特製「武禅」カレー。フルーツポンチ。杏仁豆腐。小豆。自家製ラッキョウ漬け。

セクション2

大声を出すのは気持ちいい。気持ちが開放的になっているのが分かる。
普段はいかに気持ちを解放できていないか逆に分かる。
相手の目を見て、真っ直ぐ相手の気持ちを受け止めて、自分の気持ちを届ける。その途中で、自分が人の話を聞けていないことや、間の悪さ、自分の思いの弱さに気づかされる。
また、人それぞれの声やテンポの個性があって面白い。
しかし、自分の声が相手にはどのように届いているのか、自分には分からない。
もう少し声がきちんと届けられるようになりたいと思う。
その前に、相手と向かい合うのが先か。
普段から少しずつ実践していきたいと思います。

20代 塾講師 初参加


セクション4

声を届ける「誰に」これがちゃんとすれば、簡単なことなのに人とちゃんと向き合えない。
評価、人の目を気にする自分がいる。これが手ごわい。
でも、見る目は明らかに違ってきている。
向き合えたときの感覚はなんとなく分かる。
自分の駄目なところもドンドン浮き彫りになっていく。
これに気づくことで自分を改善していけるはず。
身体のことも確かに力を込めると力は出ない。
ものすごく納得のいくことだった。
自分を詰めていかないと、ずっとこのまま。
確かにそうだ。
今の状態は生きていない。
このままではいたくない。
変えていこうと思う。

30代 治療家 初参加

 

55回武禅レポート(2泊3日特別行会)

「代表的なコメント」

セクション5

Aさんと組んだ。何度やっても自分に言われている気がしない。
自分が届けるを意識すると芝居がかって「気持ち悪い」と言われる。
気持ちを伝えるということは難しい。
本気で伝えたい気持ちになっているというよりも、なったつもりから抜け出せない。
ビデオで見ても、自分が本気の顔をしているようには見えないし、気持ちを伝えたい顔には見えない。
今までは、本当に気持ちを伝えたくて会話をしたことは少なかったと思う。
ただ言葉だけを無造作に、自分勝手に相手に投げかけていたと思う。
自分の目の前にAさんがいるのに、何度やっても言葉が届かないことはショックだった。
30代 男性 会社役員 5回参加


他人から見た自分というものを、いかに認識していないか、ということで、このレポートは「武禅」に参加した全ての人共通の驚きだ。
他人から見た自分、つまり、人の気持ちになれる、人を思いやることが出来る、に繋がる、日本人の美しいこころの原点である。
同時に、自分自身の「独りよがり」という幼児性から一人前の「人」への原点でもある。
このような、他人から見た自分を認識する、は、実は「私」という個人の形成でもある。
つまり、私が他人に、という意志形成、感情形成、そして、表現形成があるからこそ、自分という「個」が作られるのである。
ここが欠落していると、「独りよがり」で、他人という存在を全く認識できない幼児のまま年だけとる、というパターンはまるのだ。
当然、全ての人間関係でトラブルが続出し、それが元で、自律神経失調症という身体のバランスを崩す病気になり、大きな病気の引き金的役割を持つ症状に悩まされるのだ。


牛肉の赤わいん煮込み焼き大根添え、厚揚げコンニャク、ちくわ、はんぺんの煮物ネギみそ添え、もずくとキュウリの酢の物、しし唐辛子のお浸し、豆腐とネギのみそ汁、サツマイモご飯


鶏肉のくりーむ煮込みご飯、煮ショウガ添え、野菜サラダ


豚バラ肉と根菜の焼酎味噌に込み、白菜とエビ団子の葛煮、柿と人参、大根のなま酢、里芋の煮転がし、五目ご飯、松茸のお吸い物


とにかく「理屈ではなく気迫で迫れ!」
そこからしか、「相手」を自分の中に存在させることは出来ない


特製牛肉とたまねぎのカレーライス4日煮込み、フルーツポンチあんみつ、自家製らっきょうと紅ショウガ


4つのパターンの言葉の組み合わせを誰かにフル。
ふられた人は又誰かに。
でも、言った人に言い返しても良い。
それが口げんか以上の興奮状態に発展する。
「気力」が身体の中から沸き上がり、自分でも驚くほどの声がでる
つまり、気力や感情が「声」をリードしていると言うことを実感する。


セクションが進むに連れ笑顔も良くなってくる(左)円陣で雑談をしているところに、二階から誰かを呼ぶ。
その誰かだけが手を挙げたら交代。
これは結構きついですよ。
本当に呼ばなければ手を挙げてくれないのだから(右)

 

 


自分の表情を客観的に見る。
自分で思っていることを「自分はしていない」ということを実感する。
と同時に、人は今ビデオに写っている自分を見ていることに気付き愕然とする。
ここが全ての入り口である。
このビデオの目を自分が持つ、というところが大切なところなのだ。


円陣を組み、声を掛けられた間髪を入れず、誰かに声を掛ける。スピードが上がりエスカレートしてくると、舌が回らなくなる。
と同時に「感情」が言葉を越えて出現する。
その時、相互に「気持ちの受け渡し」を実感する。
何だか分からないが「気持ちが良かった」という感想。
そうなのだ。気持ちの受け渡し、つまり、コミュニケーションは「気持ちの良い事」なのだ。

 

54回武禅レポート(1泊2日)

セクション3
相手を見ていなくても「誰に」という対象がちゃんとあれば声が届くのを実感した。先生が自分に紙を見ながら読んでくださった声がめちゃめちゃこころに響いた。相手の目を見て声を出しても、その人に「誰に」がなかったらただの独り言になってしまう。先生は普通話しても声が届くが、気持ちの出ていない自分たちは、もっと思い切り出さなくては気持ちが出てこない。声無しで思い切りだしたら、それまで変わらなかったS君の目に表情が出て前に出てきた。嬉しくなって、「よっしゃーもっと、もっと」という気持ちになった。
30代 男性 会社役員 25回参加

平家物語を読んで相手に声を届かす。これはパニック!自分では届けているつもりなのに届かない…。ブレーキを踏みながらアクセルを踏んでいる、一枚壁があると言われ、自分でも何となく分かる。声を出さないで届けるバージョンなど難しすぎる…。でも、先生0の声を聞いた人皆が顔を赤くするような感じ?嬉はずかしみたいで、胸が熱いってのになってびっくりした。ただ純粋に届ける。俺は色々考えて壁一枚ある。自分でもそれは感じる(今までの人生においても)。『素直』と『目的』がキーワードの様な気がする。
20代 男性 教師 初参加

いつものおいしい夕食
鶏手羽元とこんにゃく大豆の柔らか煮、ごま風味のあんかけ冷やし茶碗蒸し、茄子・トマト・おくらの南蛮漬け、平天・鶏挽肉・タマネギのさっと煮、豆腐とネギのみそ汁、自家製ぬか漬け

 

 

 

 

セクション3
向かい合い、声を出し、言葉を伝える。
始め、恥ずかしさと緊張で分からなかった。
全くピンと来ない。
何をどのようにすればよいのか?
対面した時、ただ声を音に出すのではなく、気持ちに音をのせるだけでよい、気持ちをだすと言うことを今まで考えたことがなかった。
ただ言っている、出来事を話しているだけだった。
赤ちゃんが、言葉になっていない言葉でお母さんに要求をした時、その言葉がお母さんに分かるようなものと同じなのか?
気持ちという、目に見えないものなので、まだやり方が分からないが、もしかしたら自然に出来ていることで(何も考えず、必死になった時)考えない方が良いような気もする。
考えること、言葉、気持ちを伝えようとすると、何かがシャットアウトされた感じもする。
先生が、自分に声無しで言った時、声が届くという感じより、聞きたい、聞こうという感じが強かった。
吸い込まれる感じがした。あのようなこと、まだまだ出来ません。
20代 男性 スポーツインストラクター 初参加

セクション3

初参加のKさんは、セクション1でも感じたが「分かりたい人」で「出来るようになりたい人」ではないと感じた。
稽古中「どう見えたか」と質問しても、見えたことを言わずに状況を説明するだけだ。
Kさんが読んだのを受けて、とても押しつけがましいと伝えると「まだ文を読むことに注意がいっている」と自分のことをいう。
私も最初はそうだったと思う。
大差なかったのでは。言い訳だらけと言われていることが自分とくっつかない。
しかし今回「人に対して、あなたは押しつけている、それがとても不快だ」と言われているのに、出来る出来ないと問題を転化するのをKさんを通して見せられびっくりした。
先生がいつも言われている「そんな自分でいいのか、嫌いじゃないのか」。
自分に対して「これは嫌だ」がないとそうなるのかと思う。
しかし、別に生きるのに困らない。
人から言われたことに関係するもしないも自分次第だ。
ということも、Kさんとの稽古を通して知った。
20代 女性 学童職員 23回参加

セクション3
相手に気持ちを伝える、声を出すことが全然出来なかった。
とにかく、自分が声を出すと言うこと、内容とかばかりに意識が向いてしまい、相手を無視した感じになっていた。
人に指摘されることで、初めて自分がおかしいと認識でき、修正する方向に向かえることが実感できた。
まず「誰にむかって言っているのか」を日常生活で意識していこうと思う
このセクション全体から感じたのは、自分の日常の会話というのは、どれだけひどいものになっているのだろうか?ということである。
20代 男性 フリーター 3回参加

 

声を届けるでは、先生に平家物語を声無しで読んで頂いた時、体が熱くなり、声が自分の中から出てくるような感じがした。
相手の目を見て読むと「ただ目を広げているだけで、しかも押しつけているような感じ」と指摘された。
普段、話す感じで読むと「まだまし」とのことだった。
稽古中、AさんがKさんに「壁になっている」と言い、それは実際にどんな感じなのかやって見せて、壁は不快だとはっきりと伝えると、Kさんの感じが変わってきた。
相手にありのままを伝えることで、人が変わる、それを見ました。
20代 男性 公務員 4回参加

セクション3
           
「こんにちは」相手に触れる、吸い込む、伝える。「こんにちは」を言う。話す。
どれもとにかく、その人に「誰に」がなければ独り言だ。
Fさんと稽古をしていて、目がお皿のようになって表情がない。
先生が「やってくれるのに慣れている。
甘やかされて育った」とおっしゃているのを聞いて、自分にドカンと当てはまる。
特に武禅に参加し始めた頃の私、何か新しいことを始める時の自分。
「何で、こんなにも壁なんだ」と受けていて感じていたが、自分から積極的に行くことをしてこないとそうなんだ。
ジュースをこぼしてもそのままで、ふいてくれるのを待っている子供の目、顔と同じ。
それが、先生が何時も言う「幼稚な目」ということなんだ。
20代 女性 学童職員 23回参加

 

 

53回武禅レポート1泊2日)

セクション3

二人に話をする。話を聞く。聞く側は自分の経験してきたものと比較して違いを聞いていく。
ただ受け身でいるのではなく、聞きたいものを準備してそれを引き出す。引き出すように質問していく。
先生がIさんに「向かい合いが前より良くなったのは何故か?」と聞かれた。
「竹刀を構えている相手の前に立って、ボウーっとしていられない、それに対して行動したから」
この具体的な事が言葉として私はなかった。
そして「とおりゃんせ」に当てはめたならば、となった時、「ここはどこの〜、と聞いているのだから、てんじん〜と答える」と答えた。
その前に、話を聞く稽古で、自分がどうしたいのかを準備して、そう引き出す、という話を聞いたばかりだったのに。
「てんじん〜」と自分は言いたいのだから、その為に「ここはどこの〜」を言わせなければ。

目茶うま食事
豚肉の冷シャブ野菜の盛り合わせ、高野豆腐・ニンジン・椎茸の含め煮、カボチャ・なす・いんげん・ピーマンの揚げ浸し、山芋の冷やし豆腐、ワカメとネギのみそ汁

セクション1
二人からの攻めでは考えているヒマなど無く、絶えずどちらか一人に入れるスキを探していた。
が、攻めなしに向かい合うと「相手を見なければ」と考えてしまっていた。
攻めの稽古をしている時には、まだましなものだったと言われたが、その事を忘れ「見よう・向かい合おう」と「考えて」しまった。
自分自身が「何をやっているのか」そこが抜けていた。

セクション1
自分の使う言葉が自分に影響してしまうと言うことを、I君との稽古の中で実感した。
少し良くなっても、その良くなったことを「考えないようにした」「見ようと」した等と解釈して相手に言うとと、次に相手は「考えないように・見ようと」をしてしまうので、良くなったのが壊れていく。
自分に対してもいかにあいまいで、いい加減な言葉を無自覚で使っているかを知った。
もっと、自分の使っている言葉を疑って、明確にしていきたい。

セクション4

稽古の目的と手段がすり替わってしまう。
「こんにちは」でピタッと相手に視線を合わせることが出来ないから、出来るようにする為にお互いスキがあったら突くという稽古を始めたはずなのに、いつの間にかそれが目的になってしまって、視線がまっすぐになっているのに、あーだこーだと言って続けていた。
折角出来るようになったことを潰そうとしていた。
一つのことをアドバイスして出来ても、全く他のことを言ってそれを潰してしまう。
相手のレベルを全く考えずに勝手に完成形と比べ、それを相手に求めていた。何も具体的な取り組みをして来なかった。
何故出来ないのか?
どうすれば出来るのか?をしてこなかった。
一つ一つ出来ていくようにしなければ、完成形と比べ、思ったことをいっているだけでは何も変わらない。

セクション4

三人での共通目的を決める事、確かめ合う事に全く気付きもしなかった。
何より始めに感じたこと、そのままにしてしまった。
「この稽古の目的は何か」その目的を実現する為に手段を使う。
実際にやっていると、その目的を全く忘れて手段に一生懸命になり、手段が出来ていないことを口に出し、脱線させていた私。
私が混乱させている。
先生に言われて「あーそうか」となるのに、先生がおっしゃっているように一分もしない内に忘れる。
本当に忘れた。
忘れて、またそこに出たことに集中している。
自分に泣きそうだった。
「具体的に」と普段何気なく人に使っているのに、それが自分のことになると出てこない。
考えられない。
具体が分かっていない。
その言葉の意味さえ知らない。
帰ったら調べる。
いい加減だ。
本当にいい加減だ。
セクション5
           
武禅で稽古して教えていただいた、「始めの目的を忘れ外れていってしまう」という事は、私の日常の生活で当たり前におこっていました。
自分が、生活のなかで行っていることで自覚が無いまま目的を忘れて外れた行動になってしまっている。
「私、何をしていたんだっけ」と思う事があります。
目的に対してどうすればよいのかがはっきりしていなくて、「こうしよう」と決めてもその過程で違う事になってしまう。
これは自分の行動で、はっきり思い当たる事が一つあって書いています。
私の行動ほとんどがそうだろうと思うけれど、まず思い当たった事をはっきりさせる事にします。
でないと、またぼやけてしまいそうです。
忘れる、聞いた事がぼやける、行った事がぼやけるといった事が、本当に多い。
はっきりさせる前に、他の事にも当てはめた気になって、さも考えたようになって「私って本当にわすれるな」と気が付いた気になって流れてしまう。
書いていて、恥ずかしい。「その気になっている人」は、私だった。
今まで、武禅に何度も参加して何度も先生に同じ事を稽古の中で言われる言葉を聞いて、「言葉」を知ってそのままでした。
 


●武禅レポート1(48〜52回)

●武禅レポート2(53〜61回)

●武禅レポート3(62〜66回)

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●武禅レポート5(74〜79回)

●武禅レポート6(80〜88回)

●武禅レポート7(89〜)


 

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