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昔日の剣の達人伊藤一刀斎は「身体に備わる機能を使うことが剣の妙機」だと記しています。

そして、直心影流には「後来習態の容形を除き、本来清明の光体に復す」とあります。

何やら難しそうでしょう。

簡単に言うと、自分自身の考え方や身体のクセを取り除いて行った時、本当の自分が現れる。

そして、その本当の自分になった時、本来の身体を使えている、ということになります。

まだ、難しいでしょうか。

現代風に言えば、究極の自分探しだと思って下さい。

但し、自分の都合の良い自分ではなく、本当の自分です。

そんな果てしのない旅をすることを、日野武道研究所では「武道」といいます

 

 初見宗家  教室 からだを使う

武道の答え 達人技

 


■「武道」や「武道の稽古」と聞けばどんなことを想像するでしょう

鍛錬、修行、刀、突き、投げる、投げられない、強くなる、精神修養、神技、力がいらない、真剣白刃取り、

空気投げ、護身術、達人、礼儀作法、古武道、柔術、ナンバ、老人でも強い棒等々。

そして、少し専門的になると、合気、丹田、腰、気、腹、気合等々があるでしょう。

確かに現代でも数は少ないですが、そういった言葉に匹敵する神技的な達人もおられます。

雑誌の取材等でお会いし、その「技」に伝統武道の歴史を、垣間見せて頂いたこともあります。

常識的というか一般的な見方からすれば、武道の技は全て神技と言えます。

それは、私達が単純な身体運動で、しかも筋力主体の肉体運動しか知らないからです。

では、知ったら簡単なのか、といえば、もちろんそうではありません。

まず、手に届かないものです。

スポーツのように、誰でも楽しめて出来るようなものではありません。

しかし、稽古をすることは出来ますし、「どれかだけ」なら手に入れることは可能です。

現代においては、稽古をすることに価値があり意味があるのです。

納刀

■武道の技とは

出来なくても稽古に価値があるというのは、「神技」に挑戦することだからです。

武道の技を創りだすには条件があります。

敵は一人とは限らない
敵の武器は一つとは限らない
敵は何時攻撃するのか決まっていない

この3点が、条件になります。

これだけでもスポーツとは違うでしょう。

更に

人は意図的行動を自然に察知する
人は直感的に相手の作為を自然に察知する

があり、この二つの前提を踏まえた稽古を武道の稽古と言います。

だから、身体に対するアプローチ、精神に対するアプローチが違うのです。

これらの条件を考えると、現代の私達から遠くかけ離れたものではない、という事が想像できるのではないでしょうか。

つまり、私達が住む社会生活と全く同じなのです。

■現代における武道

私達が生きる社会で、付き合う人は一人ではないでしょう。

そういった人達の個性や、仕事も一つではありません。

社会の動きは、様々な影響から動き出すので、自分自身が管理することは出来ません。

また、後半の2つは完全に「人間関係」での必要能力です。

という具合に、社会に置き換えたり、人間関係に置き換えれば、

誰もが達人にならなければ充実した生き方は難しいとかんがえられるでしょう。

だから、稽古をする価値がある、というのです。

達人宮本武蔵が書いたとされる「五輪書」があります。

この本は翻訳され、世界のロングセラーになっています。

それは主にビジネス書として読まれたからです。

もちろん、ビジネス書という置き換えだけではありませんが。

ただ、置き換える力があれば、現代に必要な内容で有ることが分かるのです。

■全ては相手との関係性で

当たり前の事ですが、武道の稽古は身体を使います。

しかし、それはスポーツや単なる運動のような、身体の使い方ではありません。

後半の2つを前提としたものです。

人は意図的行動を自然に察知する
人は直感的に相手の作為を自然に察知する

ということは、自分勝手に身体を動かしたり、何かをしようとしてはいけない、ということです。

相手を投げるのに、投げようとしてはいけないのです。

相手に気付かれて、逆に倒されてしまうからです。

ではどうするのか。

で、稽古なのです。

納刀

■力を入れれば、力は出ない!

例えば、相手を投げる為には、投げるだけの力は必要です。

がしかし、投げようと力を入れれば、相手に気付かれて逆に持って行かれます。

力を入れて投げる、ということが間違っているのは、それだけではありません。

力は出すものであって、入れるものではないのです。

ですから、それをあらゆる状況、場面で使うということは「技」が必要だということです。

しかもそれは、「相手に気付かれる」という、無意識的な身体の反応を超えるものです。

しかし、いくら相手に気付かれないようにと思っても、実現するのは容易ではありません。

それが自分自身のクセであり、 自分の持つ固定観念、もしくは自分の持つ潜在的なイメージなのです。

ですから決して身体運動が間違っているのではありません。

力は出すものであって、入れるものではない、この当たり前のことを理解は出来ても実現できないのです。

クセだからです、潜在意識に染みこんでいるものだからです。

昔日の武芸者達は、ここで立ち往生したのです。

そして参禅したり、滝行をしたりと、本来の稽古以外の所に活路を見出そうとしました。

納刀

■現代だからこそ稽古ができる

現代は達人たちが活躍した400年前、500年前ではありません。

現代です。

つまり、医学や科学の進歩や、様々な発見や情報を手に入れる事が容易な時代だということです。

当時は、潜在意識という言葉ありません。

固定観念という言葉もありません。

しかし、現代ではそれらの言葉は、殆ど日常語として定着しています。

達人伊藤一刀斎は「人の持つ機能を働かせることが、剣の妙機」だと記しています。

その事が、固定観念や潜在意識を働かせる、ということです。

それは、現代だから分かることです。

ここで整理です。

武道の稽古とは

相手との関係の中で動き(行動)を作り出せるようになること

どんな状況の変化にも対応、即応できる自分になること

自分自身の無意識的反応(違和感)をキャッチし、動き(行動)に転化出来るようになること
敵を作らない自分になること

これらを「技」を実現していく為の様々な稽古を通して実現させる。

それが日野武道研究所の「武道塾」の目的です。

ここまでで、色々な人の役に立つ事が見えて来たことと思います。

アスリートやダンサー、スポーツ選手、とにかく身体を使うパフォーマンスをやっている人。

人との関係性の中で身体を使う人。

一度、道場をのぞきに来て下さい。

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